小松弘子のブログ

やさしいエッセー

せみの鳴く頃に……

 近頃は朝の六時頃の鳴き声で目覚める。夜間から朝にかけても寝苦しい。そんな日が二週間ほど続いた今朝、けたたましいセミの鳴き声に起こされた。一時的にセミの鳴き声はおさまるが、三十分くらいするとまた鳴きだす習性がある。案の定また午前八時頃から鳴きだした。午前中は十時過ぎにセミの鳴き声から解放される。夏の風物詩だと思っても、一日に何回も繰り返されると、やかましさで余計に暑くて嫌なものだ。

 そういえば近ごろ、家の玄関先にセミの抜け殻が転がっていることに気づいた。毎日一つか二つ、そのうちに数匹に増えていたが、例年のことで初めは別に気にも留めなかった。こげ茶色の小さなセミの抜け殻がなぜだか可愛いと思った。

 やはり数日もたたないうちに、セミが鳴きだした。あの時のセミ達が今まさしく、家の周りでうるさく鳴いているのだ。いよいよ夏本番となり、虫嫌いの私の季節がやってきた。

 七月に入ってから真夏の日照りが続き、連日のように異常な湿舌を感じていた。テレビのニュースでは西日本で二つの高気圧が重なり、異例ともいえる猛暑になっていると言っていた。日本で三十五度以上の暑さが十日以上も続くのはやはり異常気象というほかない。

 猛暑の最中、西日本で一週間以上も大雨が降り続き、数日で一年間の降雨量になるところもあった。各地で観測されているニュースを見ると、何かとんでもないことが起きそうな、嫌な予感がしていた。私だけでなく、天気の異変を多くの人が口にしていた。

 数日後、とうとう西日本のあちこちで、未曾有の土砂災害が起きた。テレビのニュースで被害に大きさを知り、日本中の人々が、知り合いや親戚の安否を心配していた。

かつてない連日の蒸し暑さは、その災害の発生の前兆だったのだ。被災後の人達は暑くて大変な思いを強いられているだろう。何といっても心労や後始末が、人々にとって一番苛酷な現実だ。

テレビを見ていて『今日は人の身、明日は我が身』のことわざが身に染みた。被害を報道された地域は援助の手が届いているが、その他の周辺はどうなっているのか? 街のうわさでは誰も手助けに来ないらしい。自分達で復興するしかないのだ。

私は二十三年前の阪神大震災の時より苛酷だと感じた。あの地震は被害の大きさもさることながら、日本中のマスコミから注目された。また国の支援がわりあい手厚かったので、復興近くまで二十年程かかったが、何とか街の再生に至った。丁度地震発生の時期が寒い冬の季節だったので、夏に起きた今回の豪雨被害より、少しだけ助けられたかもしれない。

豪雨が過ぎた今朝の空は久しぶりに真っ青だった。アブラゼミの鳴き声はより一層あちこちで激しくなった。

近所で誰かと顔を合わせても、

「暑いわね。特に夜がよく眠れなくて困っているわ」

こんなお決まりの会話が、あちこちで聞かれる毎日だ。今日も家事を済ませた後、クーラーのスイッチを入れた。

同居している息子が、

「お母さん、もう若くないのだから暑い部屋で我慢してはダメだよ。クーラーの電気代をケチったら熱中症になり、肺炎になる可能性が出てくるらしいよ」

 と言ってさっさと仕事に出かけた。分かっているけれども素直に聞けない時がある。

 そもそも自分はいつまでも若いと思っている節がある。息子達にも体調の変化に無頓着だと思われていることだろう。

「こまめに水分を取ることも大事だよ。とにかく歳だから気を付けた方が良いよ。暑ければ何もしない日があってもいいじゃないの。なんせ高齢者の体内水分量は五十パーセントに下がっているのだから」

 息子の淡々とした言葉が頭をよぎる。

「言われなくてもよく分かっているわよ」

 いつも息子の注意の言葉に反応して、もう少しで反論の言葉が出てきそうになるのだ。ここで感情を抑えなくては口喧嘩になる。子供達に心配をかける年齢になったのだ。

その日の午後、どこからかまたセミがうるさく鳴きだした。あーあー、やかましい。セミから解放されたいと気分転換を考えたが、新聞を広げても全部は読めないし、面白そうなテレビもなさそうだ。一日中頑張っても何も成果が上がりそうにない。夏の暑さには勝てない。この際晩までお昼寝でもしよう。さあ、久しぶりにのんびりしよう。

クーラーで冷えた畳の上にバターンと寝転んだ。人は疲れた時、大の字になって寝転ぶと十五分経つと疲れがとれるらしい。背伸びをして実践してみた。なるほどリラックスできて気持ちがいい。最高の避暑地にいると想像すればなお楽しい。

とたん、またセミがいっせいに鳴きだした。真夏とはいえ、まったくやかましい。久しぶりにお昼寝を楽しもうとしていたのに邪魔をされて腹が立った。

どこで鳴いているのだろう? たぶん玄関先のモチノキの中にいるのだろう。そのうちに近所の庭からも数匹のセミの鳴き声が聞こえてきた。本当にうるさいけれど、儚い宿命のセミを想うと許せるものだ。セミの寿命は七日間だから辛抱してあげようかな。

そう感じられるようになったのは、まぎれもなく歳のせいかな……。