愛犬メロンとピーチ
メロンとピーチ、わが家の愛犬の名前である。生後三カ月から家に来て、早いもので飼い始めて十五年の秋を迎えた。心ない人に見捨てられた、可哀相な運命の犬だった。
この二匹の仔犬は雑種である。
柴犬に似たメロンは最初から愛嬌もので、すぐに家族になついた。もう一匹のピーチは、スマートなポインター犬に似ている。性格はとても臆病で、今でも家族の顔を見てもスッと逃げていく癖がある。特に、ちょっとでも物音が聞こえたり、雨の日に傘を見たりすると犬小屋から出てこない。そのくせ自分より大きな犬や、強そうな犬には偉そうに吠えて、やかましいと家族に叱られている。
時々家から脱走して、やきもきしたこともあったが、どちらも私が怒っているのが分かると肩を落としている。まさか人間のように反省をしないだろうが、まあそれなりに可愛いと思う。
この犬を突然に飼うことになったのには理由があった。当時、次男が動物愛護のボランティア活動をしていたからだ。しかしその時は次男が活動をしていることは知らなかった。
十二月末のクリスマスに近いある夜、次男から電話がかかってきた。
「もしもし、お母さん。ちょっとだけ、お願いがあるんだけど聞いてくれるかな? 」
次男の、いつもの調子の良い声ではなかった。
「どうかしたの? 」
直感で何か心配事でも出来たのだと声を荒げた。
「何か大変なことがあったの? 」
「いやー、申し訳ないけど仔犬を二匹、今から預かってもらえないかな? 」
次男らしくない元気のない小さな声に驚いた。
「えっ、えー、今から連れてくるの? 」
もう午後十一時にもなるのに、全く何を考えているのよ! と言いたかったが仕方なく抑えた。
「ちょとだけ待って! お父さんに預かって良いかどうか、聞いてみるわ」
犬好きな夫は詳しい説明も聞かずに、すぐに嬉しそうな顔をして飼うことを納得した。
私はこの時、二匹の犬をこのまま家で飼う羽目になるのでは、と少し不安になった。一カ月前に、やっとリフォームが出来上がったばかりだった。また以前に飼っていた犬が二年前に死んだことを思い出し少し、ためらった。
子供から今の神戸市に引っ越しする条件に、柴犬を飼うことをせがれまれた。
当初、子供達は喜んで犬の世話をし、よく遊んでくれた。しかしながら、もの珍しいのも束の間だった。犬を可愛がったのは仔犬の頃だけだった。案の定、半年を過ぎると大きくなりすぎた犬が手におえず、結局のところ犬の面倒は私達大人に振りかかったのだ。
今回も留守をする者が、犬の世話をするのだ。二人の息子達は仕事があり、私が主に犬の世話を任せられるのがおちだ。何とか、お犬様を預かるのは短期間で終わらせてと願った。いろんなことを考えたが、もうすぐ二匹の仔犬がわが家へ来ると思うと、いやだと思う反面、少し楽しい気持ちになった。
仔犬だから、きっと可愛いだろう。どんな顔をしているのだろうか。
私はさっきまでと違い、待ち遠しく思った。食べ物や毛布などを用意しなくちゃ、と家中を走り回った。
その夜遅く、玄関のベルが鳴った。
「お帰り、早く入って。ワンちゃんはどこ? 」
私は急いで戸を開けた。
「お母さん、そんな大きな声でしゃべったら、仔犬がびっくりするやろ」
次男の怒ったような第一声だった。私は虫のいいことばかり言っているのに腹が立った。それよりも仔犬が、おどおどとしているようで可哀相だった。
「早く家に入れてあげて、牛乳を飲ませてみて」
二匹の仔犬は、ぶるぶる震えて何かを恐れているようだった。
「お母さん、牛乳だけど薄めてくれた? 」
またもや次男の声が耳に入った。
「もちろんよ、それくらい分かっているわ」
「いろいろお世話になると思うけど、仔犬なんだから充分に気を付けてあげてね」
最初から最後まで、次男の話し方に棘を感じた。
あくる日は、日曜日だった。朝から晩まで仔犬の可愛らしさに、家族全部が振り回された。最初はあんなに私たちを怖がっていたのに、少しずつ慣れてきたのか目が合うと、じっと見てしっぽを振るようになった。だんだんと二匹も仔犬らしいしぐさで、家族と馴染んできた。
二匹は姉妹だが、顔も姿も性格までも似ていないみたいだった。久しぶりに動物に触れて、少しずつ癒された気持ちになった。
「でも何で急に犬を預かることになったの? 本当に二週間でいいのね」
私は息子に念をおした。
「たぶん二週間位で元の港に置いてくるわ。でもなあ、二匹ともまだ仔犬で、海は寒いし可哀相な気もするしなあ。三月までここで預かってくれないかなあ? 」
やっぱり、そんなことか。早速に夫にそのことを報告すると、
「どうにもならないし、このまま冬の寒さで死んでしまったら可哀相だし、しばらくは家で飼ってやろう」
夫はもともと犬好きだったので、飼うことを一番喜んでいるようだった。
「私は毎日忙しいので、みんなで一緒に協力してね」
家族みんなで二匹の犬に、名前を付けることから始まった。
「エリザベスがいいな」
次男が一番先に声をだした。
「そうたら、もう一匹はテーラーになってしまうよ」
私は女優のエリザベス・テーラーを思い出し、思わず噴きだした。
「そんなん、あかんわ。散歩中だったら恥ずかしいやないの」
「どっちかといえば、日本犬だし何か変な名前や」
黙って話を聞いていた長男が言った。
いろいろ考えたが、結局のところまだ仔犬で可愛いので、全員一致でメロンとピーチに決めた。二匹の仔犬は、名前を付けてもらって、得意げに吠えた。
私もとうとう、犬を飼うことを納得したが、これからの生活を考えると頭が痛かった。
メロンとピーチは、だんだんと家族の中心的存在になっていった。体重も五キログラムから十五キログラムになり、三か月間も家中でどたばたと走り回った。いたずら盛りで、やんちゃもするが家族みんなが癒されたものだった。
せっかくのリフォームの廊下も壁も、犬のせいで台無しになった。時には、夕食の鮭も消えた。
「もう限界よ。四月になったら庭で飼ってよ」
次男は、何とか理屈を言ったが、二匹の犬に永住権を与えることで、四月から外で飼うことをしぶしぶ承知した。夫は夏になると犬も暑いだろうと、毎日のようにアイスクリームを与えて、子供のように可愛がった。私も二週間が過ぎると、だんだんと愛情が湧いてきて、あれこれと面倒を見るようになった。
やさしかった夫が九年前に他界し、次男も結婚して家を出た。家に残ったのは長男と私と二匹の犬だけになった。
メロンとピーチはとても元気なのはいいが、相変わらず姉妹喧嘩をしたり、一年に何回か家から脱走して私達をはらはらさせた。しかしながら会社から帰宅するといつも尻尾を振り、飛び上がらんばかりに喜んでくれた。二匹の犬がいることで、忙しいけれど毎日が楽しくて充実できた。動物によって、人の心が癒され幸せな気分にさせてくれる。有り難いと思う年代になった。
そんな折、今年の十月末の朝に、愛犬のメロンが自分の小屋の前で、倒れているのを長男が発見した。
三カ月ほど前から病気になり、週に一度病院に通ってはいたが、食欲もあり昨晩まで普段と変わらず元気だったのに……。
余りにも突然のことだった。私もすぐに抱いて身体を揺すったが、すでに息を引き取っているようだった。
動物病院に連絡すると、近くの霊園で埋葬を済ませるようにと言われた。
霊園のおばさんにメロンの突然死のことを言うと、
「親孝行なワンちゃんやったね。苦しまないで天国へ
旅立ったんだからね」
その言葉を聞いた時、私達はどっと涙が溢れた。いつもやさしい長男は何回もメロンに有難うと、お別れの言葉をいった。
今度生まれ変わっても、メロンのままでね!
メロンが死んでから残されたピーチは、今もメロンが帰ってくるのではないかと、時々家の外を覗いている。朝、私が二階のベランダからピーチの様子を見ていると、決まってメロンの犬小屋を覗き込んで探しているようだ。いつもと違って元気がないので心配だった。犬小屋はそれぞれ用意していたのだが、狭いのに一つの小屋でいつも二匹一緒に寝ていた。
もう一度、二匹で一緒にすごしたいとピーチは思っているだろう。ピーチの目が淋しそうで可哀相に思っていたが、二週間を過ぎると少しずつ太ってきた。メロンがいた時は、毎回のように自分の餌を横取りされていた。そのためピーチは痩せていたが、今はのんびりして食べている。
これからはメロンが居ない分、少しでも残されたピーチを可愛がってあげようと思っている。