小松弘子のブログ

やさしいエッセー

大衆演劇、今、昔

 梅雨のさなか、友達三人と大衆演劇を観に行った。劇場のある神戸新開地付近は、戦前戦後から庶民の間で芝居見物や、当時としては珍しいサーカスなどが頻繁に興行された土地柄だ。三人でとりとめのないお喋りしながら歩いた。それぞれに子供の頃を懐かしく思い出していただろう。

 女性三人のうち、私ともう一人が久しぶりの観劇だった。私以外は大阪生まれだったが、同じような世代で共通の話題が多かったので、すぐに心が通じたように感じた。皆な子供時代にタイムスリップしたように良く笑った。今まで本音でお喋りをしたことが無かったので、お互いにより親しみを覚えたみたいだった。

 今回の大衆演劇に誘ってくれた人は、体操教室でおしとやかで物静かな性格で通っている。今風の大衆演劇に、はまっているとは思えなかったので正直なところ驚いた。

もう一人は何事にも興味を持ち、活発でいつも明るく元気一杯の感がある。そんな三人三様がなぜ一緒になって芝居を観に行くのか? 不思議な縁だと思わずにいられない。

 私は以前から大衆演劇に興味があった。テレビ放送がなかった昭和二十八年頃から、庶民の間で大衆演劇の人気が高まってきた。地方を回る役者さんの衣装や化粧が、不思議に子供心に残った。その当時、私の住んでいた近くに、たまたま小さな芝居小屋が二カ所出来た。一年に数回、地方公演が行われた。 

私は芝居が観たくて、親に内緒で放課後に数回、ひとりで行ったりした。とにかく一般的に入場料が安く、芝居小屋が近くにあるので誰でも手軽に行けた。演目は有名な物語の時代劇が多く、涙を誘う人情物がもてはやされた時代だった。今考えると庶民にとって、戦後の日本の混乱期の唯一の癒やしだったかもしれない。

私は懲りずに二年程芝居小屋に足を運んだ。役者のきらびやかな衣装が見たいし、素顔の変わりようが物珍しかった。友達同士でよく役者の真似をして遊んだりした。

ある時、芝居に行ったことが両親にばれて、ひどく叱られた。以後一人で行くのは辞めた。あのまま芝居小屋へ通っていたら、きっと旅芸人に憧れ続け、役者になりたいと思っただろう。

関西地方の中でも大阪は昔から、歌舞伎とか茶の湯などの文化が発達した。特に庶民の間で芝居が好まれた。現在も他に比べると大きな劇場や映画館が多く作られている。

今回も私以外の二人は大阪出身者だ。芝居見物の誘いがあった時すぐに話がまとまったわけだ。

「昔の大衆演劇は少し知っているけれど、今はどんな風に変わったのかしら?」

もう一人の人と、質問が同時になった。

「そうそう、大衆演劇と言っても昔のままじゃなく、ライトや音楽もすごく変わったのよ。あなた達も中に入ったら、きっとびっくりすると思うわよ」

「そうね。 子供の頃に観てから半世紀以上も経っているものね。本当に楽しみだわ」

「あなたに誘われるまで、大衆演劇を観るチャンスが無かったのよ。だから一生に一回観たいと思っていたの。誘ってもらえて本当に良かったわ」

 少し大げさな表現だったので、一瞬笑ってしまった。

「今は観たいと思ったら、ここの劇場でいつでも入場できるわよ。役者さんを選ばなければ、ほとんど年中公演しているので、予約すれば大丈夫だよ」

 そんな会話をしながら、開演時刻より早めに三人で劇場に入った。六十五歳以上は割引があり、少し得をした気分だったが、客席を見渡して唖然とした。

 何と、子供連れの三十歳代くらいの主婦と四十歳代の女性ばかりに見えた。二百数十人中、私達の年代は三、四十人である。

 男性はすごく少なかった。今日は『父の日』にもかかわらず、男性の姿が見えない。芝居など嫌いかもしれないが、昨今どこに行っても女性ばかり。

ああ、日本人の男性の居場所が危うい。

いよいよ開演時刻になり、舞台の幕が上がった。

初めに今回の劇団の座長らしき男性が現れた。瞬間に観客の大きな拍手やどよめきが起こった。小さな劇場は派手な照明と音楽で、異様な空気に包まれた。一瞬にして観客を夢の世界へ誘った。

「へえー、この俳優さんがあなたのお気に入りの役者さんなのね。すごく綺麗な人やね。踊りも上手だし、私もいっぺんにこの役者さんのファンになりそうだわ」

 さすがに大阪出身の彼女らしい第一声だ。

「私も同感だわ。観に来てよかったわ。お芝居に誘ってくれて有難う」

私は昔を思い出し、子供時代が懐かしくなった。

隣の席で今日の芝居を誘ってくれた友人は、大衆演劇についてとても詳しそうだった。

「お二人とも気に入ってくれて良かったわ。この劇団の座長さんが三十八歳、弟さんは三十五歳なのよ。顔のメークと衣装が素敵でしょ。それに素顔も清潔で気に入ってるのよ」

と言って、小声で色々なことを説明してくれた。

第一部はショウの始まりである。次々に他の役者が色とりどりのライトに照らされ、音楽と共に登場した。座長は観客の大きな拍手とかけ声に、笑顔を振りまきながら答えていた。

まさしく観客と舞台の俳優が、一体となった感じだ。大きな劇場では味わえない醍醐味を感じた。舞台と客席の距離が近いので親近感がある。

「あなただけよ」 と、ウインクする役者に観客はウットリうなずく。ここまでサービス精神を発揮されると、弥が上にも興奮してフアンになってしまいそうだ。頻繁に芝居に通っている間に、好みの役者に溺れていくこともあると思う。このことからも大衆演劇が、何も分からない比較的若い世代に受け入られている理由かもしれない。

第二部は昔からよくある、お決まりの人情物の時代劇だった。一緒に観た友人は、役者の熱演ぶりに感動して泣けたと言っていた。けれども私はなぜか涙が出なかった。

第三部は劇団員総勢での賑やかなショウタイムだ。観客がひいきの役者の懐に、何万円単位の現金を振る舞っていた。その人数は五十人以上に達している。役者にあげる心づけの額が、昔と随分と違っているのに驚いた。昼と夜の公演で百万円以上が動くことになるだろう。

日本にお金持ちが大勢いると改めて分かった。今までにお金持ちの人々が役者に夢中になり、自分の財産をすべて投げ出す話を聞いたことがある。その心情を理解することができても、私にはお金がないのでとうてい無理な話だ。

ショウの最後はメインの役者の踊りと、次回の芝居のお誘いに大きな拍手が贈られた。夢のような楽しい世界を味わったが、一瞬のうちに現実に引き戻された。

いつかこのような機会があれば、もう一度だけ行ってもいいな!