小松弘子のブログ

やさしいエッセー

歌手人生 さまざま

 先日、体操の仲間七人と近くのカラオケ店に行く約束をした。どう考えても、平日の朝からカラオケに行くのは不自然な生活だが、思いついたYさんは平素からしっかり者で皆から信頼されている。誘われたとき面白そうな企画だったので、その店に行ってみたいと賛成した。三時間のカラオケが終わった後の、皆で一緒のランチも楽しみだった。

どんなカラオケ店だろうか? Yさんの話では一年位前に、自力でカラオケ店を開業したという。歌手の名前とか風貌は少し認識があった。又、息子達と同年代なので身近に感じる。プロフィール写真を見せてもらったが、今も爽やかで感じが良かった。

同じ神戸市出身なので、余計に母親の心情になり、応援したい気持ちになる。現在関西では名が通っていて、あちらこちらで活躍している。何とか有名歌手として大成させてあげたい、と友人達も期待しているスターだ。

ただ私には一つだけ気になることあった。それは、

「神戸から有名歌手は出ない」というジンクスである。昔からの迷信だと思われながらも、今も根強く残っている。この辺で是非ともそのジンクスを返上させたい。

 当日の朝こんなことを考えながら、バスで集合場所に向かった。まだ誰も来ていなかったが、そのうち次々と集まり皆で七人揃った。

「おはようございます。今日はよく冷えるわね。でも楽しいことが待っているから、さあ元気を出して行きましょう」

 体操教室で歳の若いYさんが言った。年配のNさんは八十歳を超えているが、元気が良いので誰かが誘った。初参加の彼女はいつもさりげないおしゃれをしていて若々しい。

「Nさんも歌ってね。一度あなたの声が聴きたいわ」「あら、ごめんなさいね。私はカラオケにいったことがないのよ。皆さんに誘っていただいて本当に嬉しく思っているのよ。皆さんの歌が聴けるなんて楽しみだわ」

 この方は上品なインテリとの、噂を聞いたことがあった。

 皆で歩いている時、後ろから少し賑やかな声がした。私が振り向くと、

「ねえねえ、私も今までカラオケに行く機会がなくて、あまりレパートリーを知らないの。だから先生とYさんと小松さんの三人で歌を聴かせてね」

 初めての場面に遭遇すると、過剰に反応するKさんだった。

「あなたも上手に歌えるじゃないの? いつもそのように言っているけれど、最後はマイクを離さないでしょ」

 ズバリ私が言うと、

「実はそうなのよね。アッハッハ」

 そうしているうちに五分くらいで目標のお店が見えた。駅近くの便利の良い場所にあり、私の家から三十分の距離だった。いかにも今風の可愛い店だった。

 先生がノックしながら、ドアを開けた。

「こんにちは、お邪魔します。よろしくお願いします」

 先生はデビューの頃からの、お馴染みさんだったと聞いたことがあった。

「先生お久しぶりです。今日は大勢で来て下さって本当に有難うございます。皆さん、ゆっくりと楽しんで下さいね。何でも言って下さい」

 にこやかな挨拶で緊張がほぐれた。彼はカウンター越しにテキパキとお茶の用意をした。なるほどプロになると、何でも自分一人でこなさないといけない。まだ誰も雇っていなので、まかないを全部やりながらお客さんの相手をする。

この店にたどり着くまでに、この歌手が「お坊ちゃま育ち」 ということを聞いていたが、苦労の覚悟はできていると感じた。大学卒業と同時に歌の勉強のため、アメリカに留学の経験をしたらしい。だからラテン系の歌が得意で上手いと聞く。

入店して十分位はコーヒーを飲みながら、世間話や冗談を言い合った。彼は緊張しているのか、顔が少し青ざめて見えた。付き出しの小さな皿に、お菓子を一杯盛ろうとした。

「有難う。そんなに沢山入れなくてもこれで十分よ」

 先生がにこやかに言った。

「いやー、昨晩お客様に誘われて遅くなり、まだボッーとしてごめんなさい。お菓子も沢山買ってあるので、ドンドン食べて下さいね」

 この日は特別にデザートをサービスしてくれた。

 私はこの時、親しみやすい庶民的な人だと感じた。

「おやつ良かったら摘まんで下さい」

「あーあー、正直すぎる! お菓子のことより、貴方の歌の方が聴きたいわ」

 皆もその言い方が可笑しくて、ドッと笑った。

「でもお客様から先に歌って下さい。その次に僕の歌を聴いて頂きますから」

 あくまでも謙虚で紳士的な笑顔だ。今までに数軒カラオケ店に行ったことがあったが、良い意味で何か雰囲気が違った。午前中のお客はほとんど主婦だと聞いた。おばさん相手の仕事に、生きがいを感じているのだろうか?

 目標はやっぱり一流歌手になり、有名人になることだろう。芸能界で有名になるにはその過程で沢山のお金が必要となる。だからしんどくても、自分の商売を繁盛させないといけない。彼なりに精一杯考えているのだ。特にこの業界は厳しくて、毎日が真剣勝負だ。

 この日は三時間も楽しい時間を堪能し、約束通り最後に彼の歌を聴かせて貰った。歌は確かに惚れ惚れするほど上手だった。プロ歌手だから当たり前といえばそれまでだが、その人となりが印象に残った。ランチの時にその話になったが、皆も早く有名歌手になってほしいと言っていた。

後日、私はカラオケ教室に行き、友人達と歌手の生活などを話し合った。この教室からも数名がプロの歌手になっている。プロになるだけあって確かに歌は上手だった。しかしながら今のところ、歌が上手だけではもう一つ人気が出ない厳しい業界だ。

 昔から一流歌手になるためには、色々な条件が揃わないと難しいと言われている。例え条件が揃っても、ラッキーなチャンスにめぐり合わないと達成できない。

 歌手として売り出すには、健康と容姿に恵まれ、尚且つ莫大な資金が不可欠という。

 聞くところによると、有名になるには一億円以上のお金が必要らしい。それでもまだ十分ではなく、後は本人の努力と、それを取り巻く企業とファン層の協力など、様々な分野に広がる。

 歌手を目指す人は、それを承知で日々葛藤しているのだ。私などには気の遠くなる未知の世界だ。

華やかに見えるが本当に大変な仕事だ。

歌手人生、苦労話さまざま……。

「平凡が一番幸せ」、かもしれない。