小松弘子のブログ

やさしいエッセー

同窓会と百万本のバラ

 高校の同窓会に初めて参加したのは、二年前の六十代後半に入ってからだった。それまで何十回も同窓会案内がきたが欠席ばかりした。卒業した当初は参加したい気持ちも残っていたが、結局のところ長年にわたり参加を見送ってきた。

 同窓会を盛り立ててくれた幹事の人達には、本当に申し訳なかったと反省している。参加する否かは全く個人の自由だが、たまに自分が地域の自治会などで役員を経験して、諸々の苦労を痛感したものだ。

なぜ今まで同窓会に参加しなかったのか。

私の気持ちの中では理由ははっきりしていた。元気にされている恩師や友達の誰かに会いたいという気持ちが薄かったのだ。仕事や家事で忙しいからとか、何とか訳の分からない理由を付け、何十年も同窓会に顔を出さない話をよく聞いた。まぎれもなく自分もその部類に属していた。今さら皆の前に顔を見せても、ほとんどの人に自分の存在さえ分かってもらえない。そうなると空しい気持ちが残るだけで参加した自分が哀れになる。そして自然に足が遠ざかるのだ。

若い頃知人の間でも同窓会参加の是非について、何回か話し合ったものだった。ある時他校の人に同窓会について尋ねてみたが、予想通り若者の人気は良くなかった。特に若い世代の人は自分に興味が無いものには耳を傾けない。当たり前かもしれないが、せめて初めての同窓会には参加してほしいと思う。

大切な友や先輩の人達の大事な安否情報など、知ることなく人生を送るかもしれないのだ。

もっと早くに同窓会に出席していたら良かったという思い出が一つだけあった。

二度目の同窓会で、もう一度会いたかった憧れの人が、この世にいなくなったのを再確認したことがあった。私が高校二年生の時、大好きだった担任の先生だ。

同窓会に出席した時、 野球部員だったという人にそっと声をかけた。

「あのー、以前に同窓会名簿で野球部の監督だったK先生が物故者欄に載っていたけれど、間違いじゃないですよね」

「ええ、僕らにも良い先生だったのですが、病気になり六十歳で亡くなられました。もっと監督を続けてもらいたいと思っていたのですが……」

あー、あー、やっぱり先生は本当に亡くなっていたのだ。二度目のショックを受けて心が真っ青に沈んだ。

多感な青春時代、誰にでもある平凡な可愛い初恋の思い出話だ。初恋と言っても全くの片想いで終わったのだが……。

日本が高度成長全盛期に入った昭和三十九年頃だった。箸が転んでも可笑しい十七歳の私。

あまり気の進まない高校だったが、二年生になった春、桜と共にその先生に出会ったのだ。春の陽気の校庭に新任の先生方が十数名立っていた。その中にK先生はいた。思えば少女の頃から、ずーっと憧れていた理想の男性だったかもしれない。俳優の里見浩太朗に似た端正な顔立ちとスタイル。年は三十歳を超えた位に見えた。実際は私の年令より十五歳上だったが年齢より若いと感じた。どこから見てもハンサムで涼しそうな目をしていた。甘いマスクだが人を寄せつけないきりっと態度が男らしかった。当時の人気俳優のアラン・ドロンにも似た雰囲気があり、とても素敵だと思った。なぜか一度もニコニコしないで澄ました様子で生徒たちを見ていた。新学期が始まったというのに、単に仕事で来ているような顔つきで、何事にもあっさりした感じに見えた。美男子を意識しているのか生徒には目もくれなかった。けれども私には気になる先生だった。どのクラスの担任の先生になるのだろうかと、女生徒たちのざわめきが始終聞こえた。

「絶対にあの先生に受け持ってもらいたい」

 ほとんどの女生徒たちが、同じことを考えたに違いないのは確かだ。私と同じく彼氏のいない子は、

「もしもあの素敵な先生なら、嫌いな勉強頑張るわ」

 皆自分の好きなことを喋っていたが、まもなくそれぞれのクラスを担任する先生方が発表された。

「二年四組はK先生です」

「わー、K先生のクラスで良かった。嬉しい!」

私はついに憧れの先生のクラスに決まったのだ。

私は発表のあったその日から、毎日学校が楽しくて仕方なかった。ときどき母にK先生の授業が楽しみなことを無意識に話していたのだろうか?

ある日のこと、母がにっこり私に言った。

「先日学校の懇談会があったでしょう。初めて担任の先生にお会いして、いろいろ話を聞いてきたわ。今のところあなたの成績も心配ないらしいし良かったわ。

今度の担任の先生、すごく男前やね。あなたの言っていた通り素晴らしい先生だったわ」

 私は母の一言で急に気持ちが冷めた。母の年令でもやはり先生は素敵な男性に見えたのだ。その頃の母は四十歳過ぎだったが、母も女性本能が残っていると感じた。

その日から母に担任の先生のことを話さなくなった。時々先生の話題が出ても、いつも曖昧な返事しかしなくなった。自分だけの先生でいてほしいと思うようになったからだ。

担任の先生がどんな人なのか。三カ月くらいして分かったことがあった。先生は美人が好きらしい。美人じゃないと目もくれない人なのだ。特に女優エリザベス・テーラーが好みだった。私も新聞か何かで女優エリザベス・テーラーを見たが、当時はまだ美人の基準が分からなかった。

 先生好みの日本の女優は、誰なのだろうか? 知りたかったが、質問さえできないくらい自分が若かった。

 ある時、クレオパトラの人気映画を見た先生が言った。

「まあ、クレオパトラ役は日本人には無理だろうな。あれだけの絶世の美女役はエリザベス・テーラー以外いない。機会があった有名な物語なので是非映画を観て下さい」

 授業の本題ではなかったが、映画のストーリーをたっぷり一時間話してくれた。その時の熱心な話をしていた先生の顔を思い出すことがある。先生は物語のヒーロー役にすっかりはまり込んでいた。何十年か経って私はその映画を観たが感動はあまりしなかった。自分でも不思議だった。先生への憧れは既に消えたのだろうか?

 最初の頃、私は先生の気を引くために、クラスの中で他の人よりテストも頑張った。夏休みの日記も原稿用紙に丁寧に清書した。夏休みが終わって数日後に、皆の前で先生は褒めてくれた。その後自分が美人ではなかったので特別扱いは一度もなかった。世界中いつの時代でも女性は何よりも美人だと得をする。当時それが自分なりに分かってから何でも頑張らなくなった。三年生になり担任が変わるとますます成績が落ちた。試験になるとわざと答を書かなかったりした。

 ある時廊下でバッタリK先生と出会った。

「やー、最近少し元気がないみたいやな。何かあったの? 成績も下がっているみたいやな。もっと頑張らんとね」

「はい……」

 私は先生が自分のことを忘れずに、気にかけてくれたので嬉しかったが、一言返事しただけで私の初恋は終わった。

もっと勉強すればよかったのに、バカなことをしたなあ、と今は後悔している。けれど青春時代の思い出は今もなお消えない。

つい最近、歌手の加藤登紀子の「百万本のバラ」という歌を知った。二十年程に何回か曲を聴いたが、歌詞は知らないでいた。

体操の仲間の一人が、七月に歌の発表会で歌いたいというので楽譜を探してあげた。

「絶対良い歌だから、あなたも覚えて唄ったら」

 最初は楽譜も見なかったが、何度も薦めるのでとうとうCDまで買ってしまった。カラオケ教室でどんな感じの歌なのか聴いた。

 曲の中ほどで、教室の誰かの声がした。

「いい曲やね。特に歌詞が何ともいえず切なくて、泣きそうになるわ。歌うにはとても難しそうだわ」

 隣に座っていたWさんの声だった。

「とてもいい曲ね。けれどもそんなに難しい歌なの?」

 何でも上手く歌いこなせるWさんの意見だから間違いないだろう。

 家に帰ってから曲を聴きながら歌詞を見た。Wさんの言った通り片想いの歌だった。作者の切ない心情が目に見えて感動した。

 ふと、青春時代を思い出した。あの頃の自分と歌詞と曲が重なった。「百万本のバラ」何回聴いても良い歌だ。やっぱりこの歌を歌いたいと思った。