小松弘子のブログ

やさしいエッセー

短歌を詠む人

 先日、体操教室で短歌を勉強されている方から、一枚の新聞の切り抜きのコピーを頂いた。

「すみません。後で見て頂けたら嬉しいのですが……。

短歌のことが載っています」

 周りの皆にも「良かったらどうぞ」とコピーを配っていた。

「はい、どうも有難う。見させて頂きますね」

何人かの人がすぐに目を通していた。

短歌にかかわる記事に違いない。一枚の新聞のコピーなので、すぐに読んでみたいと思った。が、印刷の字が小さく全く読めない。老眼鏡がないと無理なので残念ながら諦めた。

 彼女と教室では軽く世間話をするくらいだ。いつも何事にも控え目で、誰にでも親切な人だ。教室の後ろの方で長年にわたり体操を楽しんでいる。物静かな人で、この時も小さな声だった。きめ細かな気遣いが感じられた。

私は体操をしながら、二年前の体操教室の発表会を思い出していた。その日は教室のパーティーで、慣れない司会役を頼まれたのだった。この人を含め何人かの紹介と、懇親会の進行役のお手伝いがあり、始終落ち着かなかった。着飾った皆の顔が、余計に別人に見えた。

「あーあー、どうしょう。もうすぐ出番だ。焦っても自分流でいくしかない」と、思いつつもドキドキだった。

「皆さん、こんにちは! ただ今から日頃お世話になっている先生方に、各教室からお祝いのお言葉を頂きたいと思います」

 頭の中ではその言葉を言うつもりだったが、半分足らずで終わった。客席の向こうの方で先生がニッコリうなずいてくれた。少こしだけほっとした。

最初に、この方のスピーチを紹介することになった。私と違い始終ゆったりとした話しぶりで、体操教室に入会したいきさつから、現在に至るまでの二十年間を語ってくれた。教職を定年されてから十何年過ぎているが、あまり欠席することもなく、体操と短歌の勉強を続けておられるらしい。日常茶飯事によくある主婦独特の、面白い話を言葉巧みに披露してくれた。懇親会の始めの緊張した空気が、いっぺんに吹き飛んだ。また次々に出てくる楽しいエピソードで、会場が和やかな空気に包まれた。

その場の雰囲気にあった適切な話の流れが、素晴らしかったのを覚えている。さすがに先生と呼ばれた人だけあって、見事な祝辞に感動した記憶がある。

そんな二年前のパーティーを思い出しながら、クールダウン体操をして終わった。

帰り際、もう一度彼女が私に言った。

「良かったら、お家に帰ってから新聞記事を見てね」

「はい。ぜひ見させて頂くわね」

と言って、先生と一緒に彼女を見送った。

 帰宅してから、すぐに彼女からもらった新聞を見た。新聞を見るとやはり「文化」という欄に、彼女の短歌が載っている。

「新聞記事に名前が載っている。凄い!」

他にも選ばれた数人の短歌があった。ときどき難しい字や言葉がある短歌を見ると頭を抱える。解釈の時間を費やすのは、自分だけかもしれないが……。

紙面から彼女の短歌を、一番先に読ませてもらった。

三首は去年に本人が出版した本で見たものだったが、今回読んでも新鮮で、素晴らしい作品だと感動する。今年の選でも、過去の数多くの作品の中から取り上げられ、新聞にまで紹介されていた。彼女の数々の短歌の多くは、日常生活の中で生まれたものが多い。同じ主婦の目線で詠まれているが、私と違い観察力が鋭い。どの作品を詠ませてもらっても、奥深さに引き込まれてしまうのだ。現代の言葉で、あえて誰にでも理解できる作風に仕上げているので嬉しい。

短歌に精通していない一般人にも「一度読んでみたい」と、興味が注がれると思う。

体操教室の中に、こんなにも素晴らしい先輩がいてくれて有難いと思う。

いつまでもお元気で、これからも短歌を続けて活躍してほしいと思った。