小松弘子のブログ

やさしいエッセー

健康体操でストレス解消!


健康体操でストレス解消! 健康体操アクティブユウ 芝裕美子

昨今、新型コロナウイルスの話題で、世界中がパニックになっている。二月、三月と、ここ二ヶ月間は、家で過ごす事が多くなった。趣味のお稽古の教室は全部中止になり、運動不足を意識している。憎らしい 『コロナ』 が治まるまで、諦めるしかないのだろうか? 一日も早く 『コロナ』 が、終息することを願っている。

 その一方で、先日のニュースを見ると、まだまだ日本は安全だと、若い人はたかをくくっているようだ。しかしながら、確実に 『コロナ』 の危機は一歩手前まで来ていると、多くの人が認識しているのも事実である。

 まあ、特にストレスが溜まりやすい人達にとって、大変な時期が続いている。

 今朝、出勤前の息子が言った。

「お母さん、もう何回も言っていることだけれど、今日こそ家で体操しないとだめだよ。他に毎日散歩をするとか、とにかく運動不足にならないようにしないとね。運動不足なると、認知機能が低下するらしいよ。そのうちにボケが始まるかもね。本当に分かってるの?」

「勿論、分かっているわよ。少しは運動しているわよ」

 と、答えたものの、実際はまだ充分な運動はしていない。狭い部屋で教室と同じように、運動をするのが難しいことを、息子は知っているのだろうか? と、愚痴を言いたくなる。

 ある日、体操教室の先生と生徒さん三人で、お話する機会があった。一カ月ぶりの再会だったので、寛いだ気持ちだった。すぐに 『コロナ』 の話題になったが、今のところ家族や友人に感染がないことが分かった。いつものたわいない主婦の、お喋りが始まった。

「皆さん、お変わりなく元気そうで良かったわ」

 先生が笑顔で最初に言った。

「『コロナ』 の問題で、長い一カ月になったわね。毎月の楽しみが急に中止になり、ほとんど毎日、家の中でゴロゴロしているのよ。ますます運動不足になり困まってしまう」

「本当に残念よね。お陰で体を動かす機会が減ってしまい嫌になっているの。このままだと太ってしまいそうで、どうしようかしら」

 と、ダイエットに気をつけているYさんが言った。

 そこで、私は先生に私達の運動不足解消方について、名案をお尋ねすることを思いついた。

「そうね、実は私もあなたと同じように、ゴロゴロしている日が多いのよ。運動不足で身体が硬くならないかと心配しているのよ。ウーン、本当に困ってしまう問題ね」

 と、正直に言われたので、まずはひと安心した。と言いながらも、

「例えば、家の中で体操をしようと思えば、いくらでも考えられるわね。廊下とかベランダの手すりを利用して、ストレッチ運動をしてもいいわね。部屋の中だったらテレビを見ながら、畳の一畳分で柔軟体操もできると思うのよ」

 すぐ先生の横で、話を聞いていたYさんが頷いた。

「なるほど、家で簡単にできるアイデアですね。私は教室が中止になったので、一カ月前から毎日のように歩いているの。平均五千歩を目標にしているのよ。歩くのが好きだから、今のところ何とか続いているけれど…」

 Yさんの発言に、一歩出遅れた自分を感じた。

「まあ、すごいわねえ。私なんか最近めったに散歩もしていないわ。Yさん、そういえばあれから全然太っていないみたいね。すごくスマートになったみたいよ」

 日々、努力しているYさんに感心させられた。同時に自分の呑気な性格に嫌気がさした。自業自得だから仕方がない。

「実はね、山登りなんかも好きなのよ」

「ええっー、全然知らなかったわ」

以前に運動は苦手だと言っていた、Yさんの言葉にショックを受けた。

またまたYさんが言った。

「それはそうと、さすがに先生の体型も、変わりなくて羨ましいわねえ。この先、私達はどうしたら気力と体力と体型を、維持できるかが課題になりますよね」 

 この発言に、ますます私は落ち込んだ。息子に言われた言葉が次々と頭をかすめた。もっと真剣に運動不足について、対処しないといけない。

「生徒さんもいろいろと大変だけれど、先生仲間の研修会も、今月は会場が使えなくて困っているのよ。来月四月も二週目まで使えないという連絡が入ったばかりなの。それでも、お稽古しないと身体が硬くなるし、新しいタイプの体操も考えないといけないのよ」

「そうだったのね。私達は自分のことだけ考えればよいけれど、先生方はもっと大変ですね」

と、言うと、

「まあ、そういえばそうだけれど、頑張るしかないわね」

と、屈託のない爽やかな言葉が印象的だった。やっぱり先生は心から体操が好きなのだと思った。生徒の誰もが、いつも熱心な先生の姿を知っている。また人一倍に、生徒のことを大事に思ってくれている。だから尊敬され親しまれているのだ。

しばらくして、

「あらーっ、もう一時間以上もお喋りしてしまったわね。この時期、あまり長い会話はご法度だから、そろそろ帰りましょうか?」 

 と、いうことになり楽しい時間を終えた。一ヶ月間のストレスも吹っ飛んだ。

その後、テレビでも運動不足について、いろいろな番組が作られていることが分かった。世界中でこのことが問題視され、注目を浴びている。

私は息子に頼んで、ユーチューブで先生達の許可を得て体操を入力してもらった。初めは見るだけに終わっていた。

ところが何度も画面を見るたびに、先生達の考え出された体操に感動させられた。どれも身体に良い運動ばかりだった。先生達の長年の情熱と、努力の積み重ねを思った。

次の日、先生方の実技を見習って、体操を始めようと決心した。

やっと、自分で一歩踏みだせたのだ。真面目に頑張ろうと思った。特にこの時期、誰もストレスに悩まされている。 『コロナ』 が、消えるまで心と身体を大事にして、元の元気を取り戻したいものだ。

 

ついてる ついてる 何のおまじない?

『ついてる、 ついてる』 二年程前、偶然にパソコンでこの不思議な言葉を知った。

「ついてる、ついてる。一日に何回でも言おう!」

何のことなのだろう、何か深い意味がある言葉? ひょっとして、私だけが知らない言葉? 

さて? その言葉の内容を知りたくなった。半信半疑で話を聞くことにした。

『ついてる、ついてる』 

どんな話が聞けるのか? 

ユーチューブによると、この言葉を口にすると、誰でも良いことが起こるというのだ。 つまり運気が上がって、今より運勢が良くなるというのである。

『ついてる』 この簡単な言葉を言うだけで、手軽に望みがかなうなら、こんなに嬉しいことはない。

本当だろうか? 嘘みたいな話だが、確実に幸運を呼ぶ可能性がでてくるらしい。ユーチューブの内容では、この他にも努力次第で、いろいろな奇跡が起きることもあるという。

発信者はユ―チューバ―の 『斎藤一人さん』 

私は初めて画面で名前を知った方である。残念ながらお顔は写していなかった。なぜかな…。

さて、この人は何者なのか? のちに有名人だと分かったが、この 『ついてる』 と、いう言葉は、すごく奥深い意味を持つことを知らされた。

ある時、家に誰もいなかったので、この言葉の力を実験してみたいと思った。

『ついてる、ついてる』 と、小さな声で二回言ってみた。 今度は大きな声でもう一度、 『ついてる、ついてる』 と一回だけ言った。言っている自分可笑しくなり、ついに笑ってしまった。

『一人さん』 の、言葉は人の心を動かす力が備わっていると感じた。 『ついてる、ついてる』 の、言葉の波動が人に笑顔をもたらし、楽しい言葉に変化するのだ。

次の日、会社から息子が帰宅したので、早速、この 『ついてる、ついてる』 の、話をしてみた。

「おかえり、お疲れさま。あのね、ちょっと聞くけど、『ついてる、ついてる』 と、いう言葉を知ってる?」

「えっつ、なんなの、その言葉? 聞いたことないよ」

 息子はきょとんして、私の顔を不思議そうに見た。

「実は今日、ユーチューブで面白い話を聞いたのよ。その言葉を言うと、元気が湧いてくるのよ。本当に面白いから、一度画像を見たらよいと思うのよ」

「またまた…、変な宗教の番組と違うの?」

 息子はあくまで、話を聞こうとしなかった。

「でもね、良いお話が聞けるから、絶対に見た方が良いと思うわよ」

 息子は疲れているのか、夕食後さっさと二階の自分の部屋に上がっていった。

「あーあー、私の話が信じられないのね。これからの人生に役立つ話もあるし、面白い話なのにもったいないわ」

私は息子に聞いてもらえなくてがっかりした。

ところが、夕食後しばらくたって、息子が台所にやって来た。

「あのさあ、さっき、『ついてる、ついてる』 を、二階の部屋で見たんだけれど、お母さんが言っていたように、『斎藤一人さん』 の話、結構面白かったよ。そうやなあ、初めて聞いたけれど、とても説得力があり、お喋りが上手な人やなあ。落語家のような口調が、軽快で面白かったよ」

 と、共感してくれたので嬉しくなった。

「このユーチューブの話だったら、きっと初めての視聴者でも、 『一人さん』 の、話に引きこまれるだろうな」

その息子の言葉に感化して、連日のように 『一人さんシリーズ』 を、見ることにした。いつも心がじわーっと温まり、なぜかやさしい気持ちになるから不思議だ。

最近はあまり拝聴していないが、今でも一人さんのファンで、『ついてる』 を、よく口にして楽しんでいる。

『ついてる』 を信じてから二年が過ぎた。私には今もなお、効果の続いてる現象が、一つだけある。

それは、車で買い物に出かけた時だった。何分か駐車場が開くのを待ったが、満車のままで困っていた。

いらいらして待っていたその時、 『ついてる、ついてる』 と、思わず言ってしまった。すると、どうだろう。途端にすぐ近くに空きが発生して、車を停められ得をしたのだ。

『ついてる、ついてる』 と、喜びを実感する最初の出来事だった。

帰宅後、息子達にこのことを伝えると、

「そんなことはあり得ない話だよ。ほんの偶然だよ」

 と、大いに笑われた。しかしながら、それからも私の場合は、何回も同じ効果があった。よく考えると、九十九パーセントの確率で、継続されて現在に至っている。

 まるで 「嘘みたいな話」 と、信じてもらえないかもしれないが真実である。

 まあ、本当のことだから、信じてもらえなくてもかまわない。

『一人さん』 の、ある一部分のお話は、子供の頃に母からよく聞いた、お説教に似ている。どのお話も素直な気持ちで聞けるので、何回聴いても飽きない。

そう、何といっても心と身体が癒されるのだ。時には、お寺のお坊さんの説教に似た話もあったが、新しいタイプの役立つ情報も、沢山得られたと思う。

 二年くらい前に 「斎藤一人さん」 の、名前を匿名でエッセイに書いたことがあった。この時、エッセイ教室の先生が、

「この話に出てくる人は、『斎藤一人さん』 の、ことを書いたのでしょう? 別に名前を伏せなくても、とても有名人なのだから、実名で文章に載せるべきだよ」

 と、指摘されたことがあった。

「はい、すみません。これから注意します」

 エッセイ教室の中で、私一人だけが知らない知識だった。勉強不足が身に染みた 「ながーい」 、一日だった。

最近も、息子とか体操仲間に、

「 『「斎藤一人さん』 の、チャンネルは面白くて、気分転換に本当にお薦めよ。また日常の生活で何か困った時とか、悩み事に遭遇した時など、即座にアドバイス的なことを、お話の中から教えてもらえるのよ」

 と、言っている。が、本当は自分に言い聞かせているのだ。

 新型コロナが蔓延している、せちがない世の中、

『ついてる、ついてる』 の、お話で元気になって、皆で乗り切りましょう。

 

再発見 神戸の魅力とは

 誰でも生まれ育った故郷の良さを、語りたくなる時がある。一つや二つの思い出を書き残したい衝動に駆られるが、深く突き止めようとすると立ち止まってしまう。当然のことだ。正直言って難しい。

 そこで私は、一番身近なところ、すなわち自分が育った町から始めようと考えた。

 戦後、少し落ち着いてきた昭和二十年代前半、神戸市の西のはずれの、小さな町で産声を上げた。三歳ころから二歳上の兄に連れられて、近くの須磨海岸で毎日のように、砂山を作ったりして遊んだものだ。

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須磨海岸

 この海岸へたどり着くのには、子供の足で二十分くらいかかったと思う。海に浮かんだ大きな船を見ながら、浜辺の貝を拾って遊んだりした。当時は時間の観念が全くなかったので、夕方まで家に帰らなかったことがしばしばあった。

 まあ、あの時代は安全だと思っていたのか、親も子供を叱ることなく、のんびりと待っていてくれた。

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 ある時、いつものように兄の友達と五人で須磨海岸へ遊びに行った時のことだ。もっと遠くに行ってみようということになった。そこへ行くには岩を超えなければならなかった。運悪く満ち潮になり、幼い私だけが皆に取り残されてしまった。寄せてくる波も次第に大きくなり、どうしても向こう側に行けなくなった。私は誰もいなくなった岸で、大声あげて泣き騒いだ。

 その声に驚いたのか、見知らぬ叔父さんが、

「泣かなくても大丈夫だよ。すぐにお兄ちゃんたちに追いつくよ」

と言って助けてくれた。あの時は無事に家に帰れて良かったが、親達にはもちろんのこと秘密にした。

 そんな怖い経験をしてからも、小学生低学年になっても毎日のように、兄たちと海や多井畑近くまで行って、そのあとに山で遊んだりした。この時は時間を忘れ、気がつくと周りが真っ暗になり、親たちにひどく叱られたものだ。

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須磨浦公園

 とにかく今思えば、須磨浦公園辺りまではよく行った。だから、自分の故郷を思うとき、須磨の海と山は、本当に懐かしく大好きなところだった。

 さて、「港町 神戸」 の、魅力について少しだけ紹介してみよう。神戸の街は、北に緑の六甲山があり、南に美しい海が広がり、天気に良い日には淡路島と本州最大の明石大橋が望める、独特の地形を持っている。その間を街並みが細長く東西に広がっている。

 飛行機の窓から見ると、その事実がよく分かる。また、海に囲まれたポートアイランドからの夜景は、言うまでもなくロマンチックで、何度見ても飽きない絶景だ。お薦めコースの一つであり、心が癒されるさまざまな素晴らしい景色が展開される。

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神戸港

 神戸港は今から百五十年前に開港された。それだけでも神戸の街が、昔からモダンでハイカラと言われるゆえんらしい。

 今も異国情緒をのこしている 『北野町界隈』 や、『メリケンパーク、南京町 』 。また、新しいところでは 『神戸ハーバーランドのモザイク』 にある、シネマや遊園地とおしゃれなレストラン街が、大勢の市民に喜ばれて、とくに日曜日と祭日は賑わっている。

 勿論のこと元町、三ノ宮には美味しいグルメの店や、素敵に飾られたスイーツの店が、豊富に点在しているので、出かけて行ってほしい。

 次のお薦めスポットは、県庁近くにある 『相楽園』 を見逃さないようにしたい。季節ごとに咲く菊や、つつじの花はとても美しく、広い庭園を彩っている。

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相楽園

 昨年の秋、ひさびさにお茶会を経験できた。三十分位でお茶会が終わると、綺麗に手入れされた庭に案内された。そこで見事に造られた菊の盆栽や、一本の菊から百個ほどの花を咲かせた菊を見ることができた。

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いろいろな菊の種類にであい、本当に感動させられた。園の中でお弁当を買うことができ、広いお庭でしばし寛ぐことができるスペースも造られている。以前はなかったように思う。

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ハッサム住宅

 また異国情緒が漂う 『旧ハッサム住宅』 を、ゆっくり見学できたのも良かった。ここの洋風のカーテンや、家具が建物にマッチしていて、古き良き時代に浸れる。素敵な空間を楽しめる場所なので、ぜひ立ち寄ってみて欲しい。

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 一年を通じて見どころが多い 『相楽園』 に、寄っていかないと勿体ない、勿体ない。

 そういえばもう一カ所 『瑞宝寺公園』 に、初めて行ったが、神戸の奥座敷に位置するここの庭園は、小さめだが古木の高さがあり、紅葉も綺麗だった。 

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瑞宝寺公園

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 しかしちょっとの見学で、駐車場代が千円かかるのがネックだ。もう少し安くした方が観光客にはうれしいが…。

神戸市立森林植物園、六甲高山植物園、再度公園』 辺りの、紅葉の美しさも見逃せない絶景である。

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神戸市立森林植物園

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再度公園

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 この辺りを散策していたら、有名な弘法大師の立て札見つけて驚いた。その足跡をたどり奥池周辺を歩いてみた。

「へえーっ、あの時代にこんなところまで行脚されたのか」 

と、しみじみと感心した。きっと、真っ赤な紅葉の数々を見て、素晴らしいと想ったのだろうと…。

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 この地域の紅葉は特別に、赤色と黄色の色彩が、はっきりして綺麗だと感じた。秋だけでなく普段も、神戸市民が何度でも訪れると土地柄である。神戸で手軽に紅葉見るなら、この辺りは自然が多く残っているので、一番美しいのではないかと思う。

 ハイキングを兼ねて訪ねてみてもいい。紅葉の見どころに選びたい。

回想 台湾の旅 その後の想い

 今から十余年前、六十歳にして初めて海外旅行を経験した。その後もヨーロッパツアーに参加する機会があった。 ヨーロッパはアジア諸国と違う感触をあじわった。子供時代に絵本でみたそのままの中に存在していた。何とも言えない美しさに心が癒される。実際、現地に行くと、想像以上の文化が見られ、何度も旅をしたくなる。

 二回目の 『スイス・フランス』 の旅は、 『台湾』 へ旅行した同じ年の夏だった。まさか二回目の海外旅行が、こんなに早く実現できるとは、本当のところ夢にも思っていなかった。自分にとって海外旅行は、一生に一回きりのものと思っていた。ところが不思議な縁というか、まさかの幸運だったのか、実現したことが、今もっても分からない。

 過去を振り返ってみると、二十歳の時の意識の中で、 『一生に一度は、必ず外国を体験すること』  と、心に誓っていたのは事実だった。けれども、六十歳での 『台湾旅行』 を、実現するまでは、

「やっぱり外国へ行くのは、一生無理だろう」

 と、心に蓋をしていた。

「日本の方がずっと治安が良いし、日本の景色や文化も、外国よりも優れているよ」 

とか、いろんな話を耳にしてためらっていた。が、何よりも一歩踏み出せなかったのは、やはり自分の意思が弱かったことに尽きる。反省、反省!

 私は二十歳頃に、 「一生に一度だけでも、外国へ行こう」 と、まるで呪文をかけられたように、海外旅行に執着したのには理由があった。それは、きっと洋裁学校時代の、恩師の影響が大きかったからだと思う。

 私は高校卒業後、自動車販売会社に就職すると同時に、退社後に家の近くの洋裁学校で、七年間勉強を続けた。その頃、その他のお稽古ごとにも、通い詰める日々が続いていた。洋裁学校は私の意思ではなく、母親の勧めだった。

 昭和四十年代の若い女性の多くは、沢山の花嫁修業をすることが当たり前だった。特に母は、「これからの世の中は、女性も手に職を付けなくてはいけない」 という主義だったので、好き不向きも容赦なく、進む道を決められた。

そのことが良いかどうかは別にして、毎日が多忙で無駄な時間を過ごしていた。

 ある日、会社の仕事を終えて、いつものように洋裁学校の授業を受けていた。おもむろに、五十歳代の先生が約五十人の女生徒に、海外旅行に出発する旨の話をされた。

「皆さん、突然の話ですが聞いてくださいね。実は来月に東京の先生方と一緒に、ヨーロッパ旅行をすることになりました。各地で頑張っておられる先生方と一緒に、今年はフランスへ行くことに決まりました。私達教師はここ十年間程、毎年海外での研修旅行をしています。そこで、いつも思っていることがあります。それは、将来ぜひ若いあなた達にも、 『海外旅行』 に行ってほしいことです。お若い皆さんですから、経済的に今すぐには無理かもしれませんね。でも一生に一度だけでも、海外に目を向けて欲しいのです。

 私も以前は外国へ行くことについて、いろいろ悩みましたが、今では海外へ行って良かったと思っています。とにかく外国は素晴らしいところです。さて、ひとくちに 「外国の魅力」 を語るのは難しいですが、何といっても美味しいお料理や、珍しいものが沢山あるし、一生に一度は体験してみて欲しいのです。ここの生徒さんの中で、誰か一人でも外国へ行った時は、必ず報告してね。待っていますよ」

 と、その後、たびたび帰国してからも、フランスやスイスの習慣など、楽しいお話などをいろいろと紹介して下さった。貴重なお話はもちろん、経験談を聞かせてもらい、とても感動した。海外旅行を体験していない私は、まるで夢見心地で聞いたものだ。

 この時から、いつの日か絶対に、『一生に一度は外国に行く』 ことを決心したのだった。もしも先生のお言葉を意識していなければ、外国へ行くことはなかったかもしれない。

 そういえば、二十年くらい前に実家に帰った時、何回かお見かけすることがあった。その度に、いつか「外国へいってきます」 と、元気良く報告したいと思っていた。しかし時遅かりし、お話をできないまま、先生はこの世を去られてしまった…。 先生がお元気なうちに、報告をできなかった自分が、今も悔やまれる。

 もしも、また運よく外国へ行く機会に恵まれたら、懐かしい先生のお話と、お姿を思い浮かべるしかない。

 

 心からの感謝と、ご冥福をお祈り致しています。

初めての海外旅行に挑戦

 神戸で生まれ育って七十年、今でも故郷の良さを十分に知らない。そこで最近はちょくちょく電車やバスに乗り、一人で街を歩くことにしている。

 そのたびに新しい発見をしている。自分の視野の狭まさや時代の流れを、自分の肌で感じることもある。

特に海外旅行を数回経験してからは、あらためて日本の良さを確信している。若い頃は正直に言って、自分の故郷のすべてが、当たり前の風景の中にあった。まして偶然にテレビで映る外国の景色も、ほとんど印象に残らない事が多かった。

結婚後、何十年か過ぎたある日のことだった。長男の息子が、

「お母さん、五月の連休に 『台湾』 に、旅行してみない? 最近、日本の観光客の間で人気があるらしいよ。もっとも話題になっている地域だよ」

と言った。 突然の海外旅行の誘いだったので驚いた。

「ふーん、そうなの…。 えっ、えっー、ちょっと待ってよ。それって外国へ旅をする、ということよね! でもね、一度も海外旅行の経験がないし、いま決めてと言われても、とても無理な話よ。それに、よく考えたら会社の仕事も残っているし、二匹のワンちゃんも置いてはいけないわね…。 自分一人で行って来たら?」

 本当は一度だけでも、外国へ行きたい思いはあった。しかし、あれこれと前後の事情を考えると、不安がつのり面倒くさくなった。

「うーん。どうしようかなあ…」

私が返事を渋っていると、

「でもさあ、本気で行こうと思えば可能性があるよ。せっかくのチャンスだし、今、決断しないと歳をとったら、歩くのも大変になると思うよ。ドンドン条件が難しくなって、もしかしたら海外旅行は、一生行けなくなるかもね」

 その言葉にショックを受けた私は、

「そうよねえ、わかったわ。本当は外国へ行ってみたいと思っていたのよ。早速、日程を調整して 『台湾』 へ行ってみようか!」 

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 と息子に告げた。

「へー、早い決断やなー。 そうと決まったら、『善は急げ』 で、来月の五月の連休に決めようか?」 

 ということで、息子と二人、初めて『台湾一周の旅』 の予定を立てた。

後日、旅行会社からパンフレットを取り寄せた。日本から近い 『台湾』 は、その当時テレビドラマからブームに火がついて、若者に人気があった観光地だった。パンフレットによると、主な観光地と主要な都市 (台北、高雄、台南)を、飛行機とバスで周遊する旅だったので、条件を納得、すぐに決定した。

 パスポートは二人とも持っていたので、スーツケースは小さめのジッパー式の物を買った。初めての海外旅行なので、ガイドブックは買ったが、出発前の準備や基礎知識の情報を読んでいると、頭が痛くなる。現地の気温や時差、服装や通貨と両替、トラブル対策。キリがないくらい問題山積だ。

海外に行くとき命の次に大事なのはパスポートだ。

ポケットや鞄に入れるのはもってのほかだ。腹巻状のパスポートケースを購入したが、結局のところ取り出すのが面倒だったが、一番安全らしい。

 さて三泊四日用の荷物の準備。これが一番厄介だ。手荷物検査で飛行機に持ち込めるものが制限されている。

 いよいよ旅行当日になり、関西国際空港へ向かうため事前に予約したタクシーに乗り、三宮からは空港行のリムジンバスを利用した。割安である。

関空までは意外と時間がかかり、二時間くらいかかった。

初めての国際空港を見て胸が高鳴った。まずは集合場所にいかなければならない。早速向かおうとした時に大事なことを忘れていたのに気がついた。

「あっそうだ、まだ両替していなかった!」

そうこうしている間に集合時間になり、旅行会社の添乗員さんから今回のツアーの説明が始まった。しばらくしてセキュリティチェックに向かったのだが、ここで失敗したことがある。空港内が乾燥しているせいか、ペットボトルを事前に買い込んでしまった。当然、この先は液体類を持ち込めない。泣く泣くごみ箱へ捨てた。ここから手荷物検査とボディーチェックを受ける。少し緊張する瞬間だった。

次は出国審査だ。順番がきたらパスポートと搭乗券を見せる。思わず老眼鏡を外して搭乗ゲートへ足を運んだ。

待合所は外国の人が目立つようになった。そうだ、もう自分も他人の目からは、外国人に間違いないのだ。何も恐れることはない。搭乗はまずビジネスクラス利用者が優先だ。次は障碍を持つ人、最後にエコノミークラスの、私達が機内に乗り込む。

飛行機はキャセイパシフィックの航空会社だった。

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午前十一時十五分、台湾桃園国際空港へ向けて出発した。やがて加速に入る。一瞬身体がふっと浮かぶ。機体は大空へ飛び立った。窓から見える景色がどんどんと遠くなっていく。まるでジオラマを見ているかのように、町が小さくなっていた。

 台湾までは約二時間半の空旅だ。座席前にあるモニターを眺めながら、時折窓の外を見ると、眼下の島々が地図帳で見るようだった。

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 時計を見たら、そろそろ台湾に着く頃の時間だ。外には飛行場らしきものが見えてきた。まもなく着陸態勢に入る。十三時十分、無事、台北にある桃園国際空港へ着陸した。安堵が広がった。

さて、いよいよ初めて異国の地を踏む。今回は日本からの添乗員がいないため、各自でまずは入国審査を受ける。台湾では入境という。台湾人は日本人に好意的だとは聞いていたが、どうだろう?

審査を無事終えた後、預けたスーツケースなどを取りに行った。海外の空港では荷物が行方不明になることが、多々あるらしい。ハンカチを巻き付けるとか、自分だけの目印を付けておかくことが大事だ。

一日目の目的地、「花蓮」 へ向け、国内線の飛行機に乗り継ぐ。海外旅行の場合、バスの座席は基本自由に選べるようだ。台湾では 目的地への移動は小さな飛行機が最短の方法であった。これが後々えらいことになるのだが…。

ようやく花蓮に着いた。まずは広東料理の夕食後、台湾の先住民族のアミ文化村にて、民族舞踊を楽しんだ。夜も更けてホテルへ帰ろうとした時、辺りが突然闇に包まれた。何事か? 停電? 一行は騒然とする。なんと「灯火管制」の訓練だと言うのだ。私達は驚きと戸惑いを隠せない中、非常灯の灯りを頼りに、帰りのバスへと向かった。

さて団体旅行というものは、朝の出発時間がとても早い。

二日目は「太魯閣峡谷」観光だ。大理石の断崖絶壁が二十㎞も続き、峡谷で自然が生んだ壮大なパノラマを、何カ所か歩いた。

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太魯閣峡谷

それにしても五月だというのに蒸し暑い。喉が渇いたのでカフェオレを飲んだ。冷たくて美味しい。がふと気がついた。氷が入っている。しまった! 生水、氷、生ものの類はご法度だ。

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海外では当然、飲み水はペットボトルのミネラルウオーターが必須なのを思い出した。

次に 「高雄」 へ移動したが、プロペラ機と思わんばかりの小さな機体で、正直言って怖い。

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高雄市

一時間程で高雄に到着。絢爛豪華な五甲龍成宮、春秋閣、中国の西湖十景を模して造られた澄清湖を観光。その後、ショッピングへ。

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ツアー客たちが、お土産を買う時間である。不思議に気が大きくなり、ついつい金銭感覚を狂う。結局、自分達も台湾ヒスイの腕輪と、魔除け開運の獅子の置物を買った。商売上手な店員さんに、まんまと高い物を買わされてしまった。まあ今となれば良い思い出かな?

 夜は夕食のフカヒレをはじめとする潮州料理を味わった後、六合二路夜市を散策。

 その後ホテルに戻り、部屋の鍵の開け方を忘れて困ってしまった。その時、息子がホテルの人に簡単な英語と、身振り手振りで解決してくれ助かった。

英語を勉強した方が良いと思った。小さな失敗も多かったが、それなりに楽しかった。

ところで現地の気候だが、外気と部屋の温度差が激しくて、身体に堪えた。

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三日目、壽山公園を散策した。台湾は日本の昔懐かしい風景が見られるというが、その通りで建物を含め、昭和の雰囲気を味わった。

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台南市

 午後からはバスにて「台南」へ。オランダ統治下に建てられた赤嵌樓、孔子廟と台湾をオランダから解放した英雄、鄭成功を祀る延平群王祠を見学した。昼食は飲茶で本場の餃子や春巻きに舌包み。

 次に航空機で台南から首都「台北」へ。この日はあいにくの雨模様だった。

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中正紀念堂

台北市内最古の寺廟龍山寺蒋介石元総統を偲び建てられた中正紀念堂を訪れ、衛兵交代式を見物。夕食は北京ダックと新中華料理を賞味した。

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そして台湾の旅も最終日の四日目を迎えた。まず忠烈祠で衛兵交代式を見た後、故宮博物院へ。ここは世界四大博物館にも名を連ね、中国の歴史が詰まった博物館で、中国歴代王朝の秘蔵品などを観賞した。なるほど中国四千年の歴史を感じさせている。昼食に上海点心を食べ終えると、台湾の旅も終わりに近づく。

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故宮博物院

 午後四時、私達は台湾を出発し、日本へ向かって帰国の途に着いた。

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台北101

記念すべき初の海外旅行が、台湾であった。色々な発見や体験をすることができ、文化、習慣の違いやその国の風景を、実際にこの目で確かめることができたのは、大きな収穫だった。また是非挑戦したいと思った。

超巨大な ひまわりダリア

 小さな庭で咲いていた一本のダリアが、とうとう枯れた。冬の寒さに耐えながら、昨日まで私を和ませてくれたが、今朝は哀れな姿に変わっていた。昨晩は急に温度が下がり、耐えきれなかったのだろう。

「可哀そうなことをした。このあいだスーパーで買った簡易温室に入れたら、枯れずにすんだかも…」 

 後悔しつつも、やっぱり本来ダリアは夏から秋にかけて咲く花なので、仕方がないと勝手に解釈した。このダリアは一本の枝から、周りに十本の小枝が出て大きな株になった。暖冬のせいか今年の二月まで、次から次に紫色の二十個の花が咲いた。この株は五十粒の種の内、たったの一粒だけが発芽したものだ。

 やっとのこと育ったダリアなので、余計にいとおしい。それでも枯れてしまっては、捨てなければと、鋏で枯れたダリアの花と茎を切った。ゴミ箱に入れながら、

「長い間、綺麗に咲いてくれて本当に有難う。もし残ったこの球根が元気でいてくれたら、秋にまた会えるわね」

 こんな会話を楽しんだ。もう少し名残りを惜しんでみたかったが、寒かったのですぐに家に入った。

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 このダリアは一昨年の秋、兵庫県川西市の 『黒川ダリア園』 でもらった種である。今までダリアの花は、球根で咲くものだと思っていたが、この時に種子からでも栽培できることを知った。

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黒川ダリア園(兵庫県川西市

ある春の日、プランターを覗いて驚いた。

「まあ、ダリアの芽が出ている。本当に可愛い!」

発芽を半ば諦めかけていたので、嬉しい衝撃だった。その日から毎日のように、ダリアの水やりや観察が始まった。

 初夏になり茎が太くなりはじめ、真夏に八十センチの高さになった。それから二カ月がたち、ダリアの株はだんだん太く、大きく育った。

秋になり、やっと待望のダリアの蕾が、一つだけついた。

「どんな花が咲くのだろう? 花の色はなに色だろうか? 」

毎朝プランターを見るのが楽しみになった。蕾の直径がやっと二センチになった。

「楽しみだわ。もっと大きくなるのかなあ」

 しかし巨大ダリアの種類ではなかった。夢が半分消えたようで、少しがっかりした。しかし、よく考えてみたら、初めて芽を出してくれた時は、嬉しかったのは事実だ。

 今、一生懸命に花を咲かせようとしているダリアを見守ろう。花が枯れる迄まで、大切に育てようと改めて思った。どうやら子育てと似ている。そんな貴重な体験だった。

十月末、もう一度ダリア園を訪れようと、息子を誘った。

「また同じところにダリアを見に行くの! お母さん達はもう三回目と違うの。僕は花の撮影なんて興味ないし、一時間半もかけ行きたくないよ!」

「でもね、見たこともない超巨大ダリアが咲いているのよ。どうしてもあの花だけは、写真に残しておきたいのよ。あなたも見たら、きっと驚くわよ。見なきゃ損よ」 

「だったら二人でどうぞ!」

 と言っていた息子だが、しぶしぶ行く羽目になった。

あの超巨大なダリアを見せて、息子をビックリさせる狙いもあった。二時間かかったが、三人で川西市ダリア園に着いた。

「ふーん、随分田舎みたいなところやな」

 まだ、むつっとした息子が、しかたなさそうに私達の後から畑に入ってきた。

「こっちに来てー。前回より花が大きくなって綺麗よ! ほら見て、すごく変わったダリアが見つかったよ」

 私はあの超巨大ダリアを探しながら、畑をかけまわった。後ろを振り向くと、カメラを持った息子達が、楽しそうに歩いていた。

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「初めてダリアをじっくり見たけれど、本当にすごく綺麗だし、いろいろな種類があるものだなあ。天気も良いし、ここに来てよかった!」

 二人とも心から喜んでいるようだった。息子達はもうよせばいいのにと思うくらい、ドンドンと写真を撮っていた。

 その様子を見て嬉しかった。しばらくして息子の声がした。

「こっちに来てみてー。ここに超巨大ダリアがあるよ!」

「わかったわ。でも、こっちも超巨大ダリアを見つけたのよ!」

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 大きな声だったのか、周りの人も珍し気に、その付近のダリアを見て感心していた。丁度、係の人がいたので質問をした。

「超巨大ダリアはどうやって作るのですか? 何か特別な秘訣はありますか」

「いやあ、ここで開園してから四年になるけれど、毎年、種子が風によって交配を繰り返するので、大きさは勿論のこと、秋に初めて咲かないとわからないんだ。今までに見たこともない美しいダリアに出会えたこともあったよ」

「へえー。そうなのですか」

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 帰宅してから、入場券に添えられたパンフレットを読んだ。しかしながら、なぜ巨大ダリアになるのかは書いていなかった。

 つい最近になって、家にある花図鑑を調べようと思った。ワクワクしながらダリアのページをめくった。四冊目の本で、やっと謎が解けた。日本の巨大菊と同じ要領で育てると良いらしいと説明していた。

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 しかし、あくまで園芸の流儀はいろいろあって、完成度を極めるのは難しいらしい。忍耐と努力が必須と書いてあった。

 何事も一流になるのは大変だ。

清荒神の白蛇さま

 今年一月に兵庫県宝塚市の通称 『清荒神』 に、家族と一緒にお参りに行った。昔から庶民に親しまれ、特に一月の参拝者は三十万人いるという。年間では三百五十万人にもなるらしい。歴史的にも価値の高いお寺で、正式名は 『真言三宝宗清荒神清澄寺』 と言う。神社とお寺が複合している。この珍しい成り立ちを、あまり多くの人に知られていない。もちろんのこと私達も最近まで知らなかった。

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清荒神兵庫県宝塚市)

お正月の雰囲気が残った参道を、そぞろ歩きの人達に交じって山門に向かった。しばらくして一軒の商店の前に、大勢の人が立ち止まっているのが見えた。

「何の集まりだろう? 」 

時折、 「わあー」 と、いう声が聞えた。興味津々、声がする店舗に立ち寄った。大勢の人の隙間を縫って、店の中に入った。ぐるっと見回すと簡単な 「竹細工製品」 から、 随分と凝った手作り製品まで、ところ狭しと並べられていた。

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「まあ、良いものが沢山あるお店だ。今まで知らなかったが、ここは竹細工製品専門店で有名なのだ。なのだ。ひょっとしたら、何か面白いお土産物が見つかるかもかもしれない」

 その時だった。突然に、隣の女性が大きな声で叫んだ。

「わあっ、すごいのがいる! 以前に見た時よりすごく大きくなっているわ!」 

 一緒に来た友達に話しかけているようだった。

「ええっ、何がいるの! 」 

 その声に驚いて一瞬ポカンとした。ふと目がガラスケースに走った。

「わあー。白蛇がいる! まさか嘘でしょ! この店に似着かないものがいるなんて!」

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なんと驚くなかれ、一メートルを超える白蛇がぐにゃぐにゃ動いているではないか。蛇が大嫌いな私は、「ああ、しまった!」

と思ったがもう遅かった。 けれども落ち着いてケースの中を覗いてみた。そこには真っ白でとてもキレイな白蛇を前にして、不思議に怖いと思わなかった。

「年初めから縁起の良い白蛇様が、見られて良かった」 

と、何人かの声が聞こえた。全く同感だった。

「わあっ、こっちにもっと大きいのがいる! 」

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 大勢の中から息子の声が聞えた。慌てて人ごみをかき分けてガラスケースを見ると、もう一匹の白蛇が活発に動いていた。もう怖くなかったので白蛇の顔を観察した。少し笑っているようで可愛いと思った。

「まあ、初めて白蛇を見たけれど、雪のように真っ白で綺麗やなあ。こんなに綺麗だと思わなかったなあ。あれっ、このケースの横に子供の蛇が沢山いるよ」

 息子が言ったので、その周りの人達も、

「どれ、どれ」 とか、「すごく可愛いね」 と、話し合っているのが聞えた。もし、白蛇でなかったら、あちらこちらから悲鳴が湧き上がって、大変な騒ぎになっていただろう。 「白蛇さま」 で、本当に良かった。

可愛らしい四匹の子供の、それぞれのケースには名前が付けられていた。

「へえ、お母さんの名前が 『ちまき』 、お父さんは 『おもち丸』 子供は 『ゆきちゃん、みーちゃん、だいちゃん、ふくちゃん』 ね」

「あれっ、面白い。全部で アイスクリームの『雪見 大福』 になっている」

しかし、なぜ子供を含めて六匹ほどの白蛇が、ここで飼われているのかが疑問だった。不思議がっている客たちに、三人程の店員さんが説明してくれた。

その話によると、この店のオーナーが蛇好きで、今

いる白蛇はカナダから買ったらしい。

「なるほど、よく理解できたね」

 皆は店員さんの説明に納得している様子だった。改めてガラスケースの白蛇をじっくり観察したり、スマホのシャッターを押していた。私達も同様にスマホで『白蛇さま』 を、ありがたく映した。

 年初めの良い思い出になった。