花の三人、お遍路さん
平成三十年十月から四度目の四国お遍路旅を始めた。今回は前回までのメンバーではなく、体操教室の先生と先生のお姉さん、三人で行くことになった。
八十八カ所の旅の始まりは、六年前の平成二十四年の春だった。その後、三回経験したが完了する迄の道のりは本当に厳しい。まさしく修行の旅である。
歌の仲間五人と始めたが、三回を完了するのに五年間かかった。当初は私を含め四人が仕事を持っていたから、まず日程調整が難しかった。
お参りに持参する用具が沢山あり、全部揃えないと開始できないのだ。また完了するには体と心の準備も大事な条件に含まれる。皆高齢なので動きやすい季節の春と秋に絞った。雨の日は足元が危ないし、ロウソクや線香がつかないことがあるので、晴れた日だけに限った。ますます実行できる日が少なくなる。
旅の道中は楽しみも多いが、いわゆる難所と呼ばれる道のりが私達を苦しめた。その辛い覚悟が無かった私は、もう遍路旅は一回きりでおしまいにしたいと何回も思ったものだ。
しかしながら春や秋の自然の中で見る景色に感動して心が洗われた時は、また旅に出たいと思うのだ。いろんな人によく、「三回もお遍路旅をして意味があるの?」 と言われたが、その場面に同じ状況は一遍たりとない。時は移り行き、人の感情も変わってゆくので決して同じ繰り返しではないと思う。
四国八十八カ所を巡る長い旅は苛酷な時が多かった。今振り返ってみると友人達に助けられ、ご当地の人達にも励まされた。仲間たちとの絆もより深まり、三度も経験できたことに感謝と感慨を覚えている。
昨年の春に三回目のお遍路旅が終わり、もう四国参りの縁はなくなったと思っていた。私の気持ちの中では充分満足できたかなと思っていたのだが……。
七月のある日、体操教室の先生と仲間五人でお茶をした時のことだ。一時間くらい経って四国参りの話が盛り上がった。
先輩のNさんが、
「私はまだお遍路旅に行ったことが無いのよ。生涯に一度はお参りに行ってみたいと思っていたのだけれど、八十歳になっても実現できなかったわ」
と同年代のKさんに話しかけた。
「あなたは行ったことあるの。一度だけでも行ってみたいと思わない?」
「私はとても皆について行けないわ。ごめんなさい。この歳だから迷惑をかけると思うし、足に自信がないので絶対に無理よ。私はノーよ」
Kさんのはっきりした返事だった。
その場が少し白けたみたいだったので、私が口を挟んでしまった。
「あのー先生、Nさん達の参加のことだけれど、八十八カ所の旅全部はきついかもしれないわね。最初の一回目だけ皆とお参りしてみてはどうでしょうか?」
「そうね。迷っているのだったら一回だけ経験してみて、あとで無理かどうか判断し決めてみたら? 十月は暖かい良い日が多いし行きやすいかもね……。
実はね、私の姉にちょっと旅のことを話したら行きたいと言っているのよ」
先生の言葉に、今度はNさんの妹のYさんが言った。
「秋の旅っていいわね。皆さんと一回目の徳島県だけも行きたいと思うけれど……。平地は大丈夫だけれど……。ちょっとだけ考えてみるわ。ねえ、お姉さん」
いつも控え目のYさんの言葉に先生が言った。
「でもあまり無理はしないでね。体調が良かったら考えてみては?」
的確な言葉だと思った。
その話から一カ月後、先生と先生のお姉さんと私、先輩の姉妹の五人でバスツアーを申し込んだ。
ところが後日、ハプニングが起こった。旅行開始の十日前の朝だった。先生から電話がかかってきた。
「実はね、とんでもないことが起きたの。昨日Yさんから、お姉さんの方が骨折したと連絡があったのよ。お気の毒にしばらく病院通いになるらしいのよ」
ということで姉妹二人とも参加できなくなった。Nさん達は二人とも四国旅を楽しみにしていたのだけれど、本当に残念だっただろう。
先生も今までによく似た経験があったらしい。
十年前位から幾度も巡礼旅をしたいと考えていたが、結局のところ一度も行けなかったという。今までに友人と何回か行けるチャンスに恵まれたにもかかわらず、お参りの間際になると駄目になるらしい。
私は以前にもそんなエピソードを聞いたことがある。何か因縁めいたものを感じているが、息子曰く、「お母さん、また四国旅に行くの? お母さんはまだまだ修業が足りないので、弘法大使さんが呼んでおられるのだと思うよ。お参りを充分するべきかもね」
憎らしい言い方だが、全くその言葉通りである。
いよいよ十月二十四日朝、集合場所の学園都市駅前から三人で、四国八十八カ所お遍路の旅を開始した。久しぶりのバスツアーで心は童心に帰ったように思えた。先生とお姉さんは四国参りが初めてだったが、暖かな天気でもあり嬉しそうに見えた。
三人はバス停でお互いに会釈をして座席についた。
私の隣席は一人旅の女性で、もの静かな人だった。
「おはようございます。今日一日よろしくね」
と私から先に挨拶をした。
「こちらこそよろしくお願いします」
あちらこちらでもこんな会話が聞こえた。一時間も経つとバスの中が和気あいあいというか、少しだけ賑やかになった。主婦らしい女性客が多かった。隣の席の方はご主人の供養のお参りだと分かった。二十代と思われる若い女性も数人いたが、このグループはただの観光かもしれない。
八十八カ所の一回目のツアーは、一番札所「霊山寺」から始まり、六番札所「安楽寺」で終わる。
バスにはガイドさんのほか、先達と呼ばれるベテランの案内人さんなど四人が同行する。
このツアーで一番驚いたのは、一番札所に着く前に車中で般若心経を唱えることだった。教本は配られていたが、お経をあげる声は出にくかった。けれどもお経が終わると、なぜか気持ちがすがすがしくなり不思議だった。
今回バスツアーに参加して良かったことは沢山あった。般若心経の一部だけでも何十回も唱えられたこと、先達さんの貴重な経験や知識を教わったこと。今までにない充実した日々を体験できたこと……。
個人旅行では味わえない豊富なお遍路旅の情報を、先達さんから教えられ有難いと感じた。
改めて弘法大使の偉業を想った。
後日、二回目の十番札所「切幡寺」は片道三百三十三階段の坂道があり苦労した。先生のお姉さんは細身で、平生から朝歩きをしているので楽だと言っていた。私は坂道になると息が苦しく階段も苦手で、私一人だけがお寺に最後に着いてしまった。四度目になるにもかかわらず、景色などは特徴のあるお寺しか記憶にない。
お寺ではすでにお経を唱え始めていたので、あわてて列に入った。私は皆の真剣な顔と姿を見て、遅れてきたことに恐縮した。お経をあげつつ人それぞれの悩みや祈り、心のうちなどを考えた。
今までにどれだけの人がこのお寺にお参りしたのだろう……。建立されて千二百年以上を経ているが、様々な祈りは成就されたのだろうか……。
今回気持ちだけは、ゆったりとしたお参りになったので有難いと思っている。次の十二月は、「十二番札所焼山寺」から、「十五番札所国分寺」の日帰り旅行となる。
来年一月は高知県内に入り、一泊二日の四回目の旅が始まる。今まで寒い時期は避けてきたのだが、一度冬にもお参りできたらと思っている。
私は二年前に「花のお遍路さん」の歌を作ったことがあった。今回の旅でこの歌に続くものが作れると嬉しいのだが……。
さて次回は……?