小松弘子のブログ

やさしいエッセー

もの想う秋に・・・

 今年も十一月初旬を過ぎると、さすがに秋本番になり、異常に暑かった夏を忘れさせる。秋らしい快適な日々が続いて爽やかな気分だ。

 街を歩く女性のファッションも、カラフルな夏色から、いっぺんに落ち着いた秋物衣料に変わった。

 あー、しみじみと秋を楽しみたい……。けれども季節は弥が上にも、すぐに寒いだけの冬に向かってしまう。その冬が来る前に、京都独特の素晴らしい紅葉色を見たいと、今年もワクワクしているのだが……。

近年は何度も紅葉のチャンスを見逃して後悔している。今年こそは紅葉の京都を訪れたいが、紅葉の最も美しい期間は、たったの一週間位である。忙しい人には日程調整も難しくて大変だと思う。

今秋十一月に入ってすぐに、用があって京都の知恩院と、その足で下賀茂神社へ行った。

当然のことながら、どちらも紅葉はなかった。初めから紅葉の期待はしていなかったが、後に再び訪れられるかどうかは分からないので、複雑な気持ちのままの観光だった。

それでも初めての下賀茂神社見学は、とても興味ある場所だった。数回テレビで人工の小川に和歌を流す行事のあることを知り、一度訪れたかった場所だった。上賀茂神社と共に、平安時代に栄えた一区画である。平安時代の貴族達の風流な文化が今もなお、神社のところどころに残っている。御手洗川に和歌を流し楽しんだという行事も受け継がれている。最近は一般の人達にも開放する日があるらしくて、なんと昨年から八歳の孫も、お願い事を書いて遊んだという。

毎年お嫁さんの実家は、お正月に必ず下賀茂神社で家族の安泰祈祷をしているという。先日次男夫婦から初めてその話を聞いた。日本の伝統ともいえる慣習が、今もなお続いているのは嬉しいことだ。

二人兄妹の孫に、

「下賀茂神社の神様に何をお願いしたのかな? 小さな紙にちゃんと書けたのかな」

「うーん……。ちゃんと書けたよ。ねえ、お兄ちゃん」

 と六歳になったばかりの妹が嬉しそうに兄を見ていた。

「もう八歳なんだから、ちゃんと書けているに決まっているよ。来年もみんなで一緒にお参りに行こうな」

孫たちは家に来たら、真っ先に主人の仏壇に手を合わせている。お祈りする小さな手が可愛らしい。

「賢くしていると、お願いごとを聞いてもらえるかもね。京都のおばあちゃんとおじいちゃんと一緒に、来年のお正月もお参りに行けるといいね」

 と言った時、そばにいたお嫁さんの顔がほころんだ。今年ももうすぐお正月を迎える。年末も家族そろって実家に帰り、両親と過ごす幸せな時を思い出したのだろうか。私達それぞれの家族にとって、今が一番幸せな時かもしれない、としみじみ思った。

 

 十月末に体操仲間のSさんが、皆に体操を辞めることを告げた。せっかく親しくなれたのに……。 Sさんの突然の発言にとてもショックを受けた。

 辞められる理由は親戚のたった一人のおばさんの、介護をしたいからだという。淋しい気持ちだが、なんとも仕方ないことだ……。

Sさんと私は一年半前まで、お互いに挨拶をする程度の付き合いだった。

二年程前に体操の先生からSさんと私が同じ年齢だと聞き、急に親近感を持った。お互いに何でも頑張ろうね、などと話したものだった。

一年半前Sさんに、

「恥ずかしけれど私のエッセイ見て頂けるかしら? 元、学校の先生だったあなたに読んでもらえれば有難いと思って……。お忙しいのにすみません」

と言って私は厚かましくエッセイを見せた。

「まあ、私も昔エッセイ教室に通ったことがあったのよ。もちろん読ませて頂くわ。私も退職してすぐに、あれやこれやと挑戦したものよ」

と言ってニコニコ顔で受け取ってくれた。

「今はね、短歌とか絵手紙の書き方などを習っているの。今はまだ下手だけどね。アッハッハ」

 実にあっさりとした何とも痛快な返事だった。

「まあ、下手だなんて嘘でしょう……。読んでもらえそうで嬉しいわ。有難う。ヘンなところがあったら正直に言ってね」

体操教室が終わって三日後に、Sさんから丁寧なお手紙が送られてきた。来週お互いに教室で顔を合わせるのに……と、恐縮したものだった。

元教師だったSさんの文章は、さすがに上手かった。

つくづく自分の文章の下手さを思い知らされるばかりだった。今思うと、特に文章の基礎が分かっていないことを、やんわりと私に教えてくれていた。全くその通りだ。今もなお、まだまだ未熟な自分だ。

エッセイ教室に通い始めた頃は、書くことがとにかく楽しかった。それで最初の頃のエッセイをSさんに読んでもらったのだ。

特に文法の初歩が理解できず、先生を困らせたものだ。先生の熱意と皆のフォローがなかったら、続けられなかっただろう。

 Sさんが体操教室を辞められた後に、お手紙とご本人発行の詩集が送られてきた。戦後の日本を生きてきた、同世代の哀しみが綴られていた。心が通じ合えると感じていたSさんの顔が浮かんできた。

Sさんの青春時代の苦悩が詩に込められて、何か熱いものを感じた。

「エッセイも詩も、自分をさらけ出しているから本当に恥ずかしいわね。アッハッハ。あなたもそのように思わない?」

 と屈託のない笑い声が耳に残っている。

「そうね、恥ずかしいけれど正直な心が書けるのは良いことだと思うわ」

 Sさんに私の気持ちを伝えなかったけれど、同じことを考えているだろうか……?

 いつの日かSさんから、

「エッセイに応募して又、入選したわよ。あなたまだなの? 早く頑張りなさい!」

 そんな元気な声が聞かれそうな気がする……。