小松弘子のブログ

やさしいエッセー

四国八十八か所遍路旅

 秋が訪れると、日常の忙しいだけの生活に、ふと立ち止まってみたくなる時がある。

二年前の春に二度目の四国八十八か所の旅に、歌謡教室の仲間三人と行った。旅の目的は、次男のために二枚目の「掛け軸と白衣」をあげたいと思ったからだ。

振り返ると過去五年間に三回、四国八十八巡りを家族や友人と旅をした。二枚目の「掛け軸と白衣」を失くしたことに気が付いたのは去年の春だった。歌の友人三人と、二度目の遍路旅の途中の出来事だ。お参りの最後が五十四番札所で終わってしまったので、二カ月後に五十五番札所から続きを、と思い旅の支度をしていた。その時、私は荷物の中に大事な掛け軸と白衣が無いことに気がついた。あるべきものが無いのでびっくりした。そんな筈がないと思い一カ月も家中を探したが、とうとう見つからなかった。すでに家に帰ってから三カ月もたっていた。お寺に問い合わせたが、その日の忘れ物は無いとの返事だった。また、持ち物に住所氏名を書いていないので、どうしようもないと言われた。

 あれから二年の歳月が経つが、今年も秋になると思い出し、口惜しくて仕方がない。自分の記憶では絶対に家に持ち帰ったと思い込んでいた。家族は最後の五十四番のお寺で忘れた可能性が高いと言った。しかし掛け軸と白衣を実際に、お寺に置き忘れたのであれば、お寺の人が気付くはずだ。そう思って電話で連絡したが、「ありません」というそっけない返事がかえってきた。その日のお寺の対応を幾度も考えたが、自分のミスだから仕方ないと諦めた。掛け軸と白衣を作るためには、高い費用と労力を費やした。いかに大切な品だったか、無くして初めて分かった。

 ああー、もっと丁寧に扱うべきだったと反省したがもう遅い。後悔先に立たずとは、このことだ。

 

 最近は、その悔しさもさることながら、昨年三度目の四国八十八所巡りに行けたのは失くしたせい、とも思うように変わった。本当のところは二度で遍路旅を終了する予定だった。私が「掛け軸と白衣」を失くしたことで、幸運ともいえる逆参りを家族と一緒に旅することになったのだ。再度お遍路さんの歌の作詞も作れた。この不思議とも言える成り行きは、なぜか弘法大師様が良い方向に導いてくれたように思った。

 三度も意義ある遍路旅に行けたことを感謝している。今回の旅の一番の目的は、無くした掛け軸と白衣を探すことにあった。途中の五十四番札所のお寺に立ち寄り、失った掛け軸と白衣を聞いたが、「そんなものありません」と冷たい口調で言われた。見つかると思っていたので残念に思った。しかしながら無事に旅が終えられたことを思うと、心から有難いと思わずにはいられない。

 三回目となった昨年の八十八所巡りは、六十年に一回の逆参りの年で、私達の年令では二度と経験できない貴重なお参りだ。遍路旅を体験した人の間では、この上ない喜びとされている。このような年に逆参りができて、とても運が良かったと思う。

 逆参りとは、八十八番札所から一番札所の霊山寺へ逆に廻り参拝する方法である。普通は一番札所の霊山寺から遍路旅を始めるのが一般的だが、あえて逆に巡り結願する苦労があることから、さらに深い徳を授かると言われている。

 私が不本意に掛け軸と白衣をお寺に忘れたことで、三回目の旅が逆参りの年に当たった。運が良かったと嬉しく思っている。この頃は信仰心の薄い私が、三度も四国八十八か所の旅を経験できたことの不思議さを感じている。

 

 思えば五年前の春、歌の仲間に誘われ、初めて八十八か所遍路旅に参加させてもらったことから始まった。車で男女五人の旅だったので、道中は世間話をしたり、昔の歌を歌ったりして楽しかった。お寺に参拝するというよりも旅行気分だった。私だけが初めてだったので、おとなしく皆に合わせた。

 春の淡路島を通り過ぎ、いよいよ徳島県阿南市に入った。霧の鳴門海峡を渡り、最初のお寺に着いたのは朝十時頃だった。朝早く出発したが、既にお寺は大勢の人々で混雑していた。一番札所の霊山寺では巡拝をするための遍路の用具や服装と、最低用意したい必需品を準備するのが通例みたいだ。何の目的で、何を仏様に祈るのか、私はあまり分からないままに参加させてもらったので、少し焦った。

 お寺で白装束や用品を身につけた瞬間、何となくお遍路さん気分になり、早くお参りをしたい気持ちになった。お寺には勿論、初めての人も沢山いるようだった。まわりをみわたしても誰もが幸せそうな顔をしていた。お参りできることに喜びを感じているみたいだ。人は長い人生において、いろんな人と廻り会い、いろんな体験を重ねていく。良きにつけ悪しきにつけ、風のごとく生きている。人はいつまでも同じ場所で留まることはできないと知り、旅に出るのだろうか?

 

 最初から十番目札所までのお寺参りは、皆に助けられて終えることできた。

 一カ所のお寺に行くたびに線香と、ロウソク、お賽銭、納め札などを持ち、本堂と大師堂を拝む。拝んだ後、納経所で掛け軸や白衣、納経帳に代金を払って判をもらい記帳をしてもらう。これ以外にも持参するものがあり、お参りがこんなにバタバタと忙しく、手間取るものだと思わなかった。

 ようやく一番札所の霊山寺から二十三番札所の薬王寺のお参りを済ませたのだが、お寺の門が閉まるのが午後五時に決まっている。その時間制限でのお寺参りなので、とても一日が慌ただしく感じた。

 一番札所の霊山寺から二十三番札所の薬王寺までは「発心の道場」と呼ばれている。ここまでは案外早くお参りできた。

 二十四番札所最御崎寺からは高知県に入る。ガイドブックによると三十九番延光寺までは「修行の道場」と呼ばれる旅らしい。高知県に存在する、お寺の数は少ないが、次のお寺への距離が長いので、二回くらいは宿泊施設を利用しなくてはならない。

 愛媛県の四十番札所の観自在寺から六十五番札所の三角寺は「菩提の道場」と呼ばれている。私達は車での移動が多かったので随分楽だったが、汗を拭きながら一人で歩いてお参りしている姿も何人か見かけた。歩いてお参りをしている外国人の参拝も何十人かあり、熱心な姿に感動したものだ。

 六十六札所の雲辺寺から八十八番大窪寺は「涅槃の道場」の呼ばれる地域で、やっとお参り最終の香川県に入った。雨の日も、きつい階段や坂道を我慢して、お参りを終えたことも懐かしい思い出になった。

 

 四国の八十八か所の遍路旅を思い出すと長いようで短い期間だった。当時を振り返ると、私も仕事をしていたし、他の人も忙しい時期だった。五人の予定を合わすのは難しかった。一年間で気持ち良く活動できるのは、春と秋の季節に限られた。体調の変化や、それぞれの予定を都合しながら、五年で三回も旅を完了することができた。いつも皆の理解と協力のおかげだと感謝している。

 厳しい状況での参拝の時や、足が痛かった時は、もうこれで最後のお参りにしたいと思ったりしたものだ。しかしながら、人は元気を取り戻すと何度でも行ってみたくなるから不思議だ。お寺参りは本当に気持ちがいいのも事実だった。

 機会があれば元気なうちにもう一度、四国八十八か所の旅に挑戦してみたいと思っている。