小松弘子のブログ

やさしいエッセー

おしゃべりは楽しんで

 十月の気持ちのいい朝、いつものように体操教室の前で十六人の仲間と顔を合わす。

「おはようございます。皆さんと顔を合わすのが一週間ぶりだけど、お元気そうで良かったわ」 

「私もあなたに会えて嬉しいわ」

たった一週間ぶりの再会なのに、いつものように皆が喜んでいる。今日は全員が参加できているのか、お互いが無意識のうちに、無事だったのかを確認しているように感じた。参加している平均年齢は、とうとう七十歳になってしまったので無理もないが……。

誰もがこの年代になると、相手の健康状態がとても気になるものだ。

 もしも一人でも仲間の姿が見えないと、

「今日あの人来られてないみたいけれど、どうされたのかしら? 心配だわ。誰か知りませんか?」

 という会話が、あちこちで囁かれることになる。

「ひょっとしてAさんのこと? このあいだスーパーで偶然にお会いしたのだけれど、元気にされていたわよ。確か、お孫さんの体育祭があり、今日は代休で学校がお休みらしいの。どうもお嫁さんに頼まれて、自分が子供さんを預かっているのと違うかしら?」

「まあ、元気なことが分かって良かったわ。以前から足が痛いと言っていたので心配していたのよ」

 その話から暫くの間いろんな話題が出て、お喋りの声が段々と大きくなる。自分も含めてついつい、話に夢中になってしまうのだ。

 普通の主婦はとにかく、他愛もないお喋りが好きだ。一般の男性からは、「女性は何時間も、よくもまあ飽きもせず、お喋りが続くものだ」 と敬遠されるが、当の本人達曰く、

「主婦の一日の栄養分と、ご褒美みたいなものよ」

 と軽く宣う。いくら嫌われても平気だ。

 私の経験上お喋りをすることにより、友情が深まったり、知らない世界を聞いて驚いたりすることもある。また自分の見たいテレビ番組が広がることもあり、特に先輩たちの話は、私には何かと役立っている。お喋りの最期が楽しければ、一日中良い気分になったりする。

そんなことを考えているうちに、皆がガヤガヤと教室に入ってきた。

時計を見ていた先生が言った。

「皆さん、もうぼちぼち身体を動かしましょうか?」

「まあー先生、始まるのが遅くなって、どうもすみませんでした。皆の一週間分のお話が面白くて、つい話し込んでしまいました。さあ、今日も頑張るわ。よろしくお願いします」

 と言って一番先輩の人が、皆の代弁をしてくれた。

「今日は研修会で新しい演目が完成したの。少しずつで良いので、頑張って覚えましょうね」

 いつものように準備体操から始まり、次に新しいタイプの運動の説明になった。

 先生は音楽に合わせながら、スムーズに体を動かし始めた。

「皆さん、初めは難しいと感じますが、慣れてくると簡単にできると思いますので頑張って下さいね」

今風の速いリズムの運動だった。

「少しずつ分かりましたか? ハイ、一、ニ、三、四、元気よく五、六、七、八」

先生は軽やかに踊り続けた。

「うわー、めちゃくちゃ難しい。けれど頭の体操だと思ってやってみるわ。ねえ、皆さん、そう思わない?さあ、頑張りましょう」

一番先輩の人が皆を励ましたので、あやふやながら身体を動かした。私には少し難しい運動だった。どんな動きも最初は無理だが、いつの間にかそれらしくなる。後ろから皆の動きをみたが、やはりぎこちなさそうな動きだった。リズムに乗っていなかったが、皆の楽しそうに踊っていた。なんとか完成するには二カ月はかかりそうだ。

三回同じ曲をかけて練習したが、到底ものにならなかった。皆の顔がそれぞれに笑っていた。

「それじゃ皆さん、お茶でも飲んで少し休憩しましょう」

 その言葉で皆の顔がほころんだ。

「あーあー、今日も音楽に合わせて身体がついていかなかったわ。やれやれ年をとりたくないものね。でも今日も体操で元気を頂いたわ。いつも先生には感謝でいっぱい。習ってから三十年、いつまで続けられるかしら。」 

 このクラスで一番の高齢の人が独り言のように言った。途端にその声で、皆のお喋りがあちこちで始まった。皆は身体と頭の体操をしたお陰で、若返ったように綺麗な顔をしていた。どの顔にも良い汗がにじんでいた。

「体操のあった日は、すごく身体が軽くなって一週間調子がいいのよ。皆さん、そう思うでしょう?」

 一番若い人の声だったので、思わず振り返った。

「その通りよ。確かに元気をもらうわね。ずっと長く続けていきたいものよね」

六十歳後半の人がほとんどで、三十年以上になる人が大勢いる。無理をしなくてもよい教室なので、私も気楽にマイペースで楽しませて貰っている。

一時間半ほどで十二曲の体操が終わった。

今日も教室が終わってから、先生と仲間とお茶の時間を持った。

「お教室の時間が終わったら、私も普通の主婦だし皆さんと同じ立場よ。お喋りが好きだし何でも気軽に言ってね」

 時々、先生のその言葉を耳にしているので、皆も一層親近感を持ち気軽にお喋りしているが、先生には何かオーラを感じて、皆一目置いているのは確かだ。なるほど普通の主婦でありながら、何でもオールマイティーにこなしている。だから生徒は憧れているし尊敬もしている。

 昼食を摂りながら、

「いつも思っているのだけれど、先生の性格は女性じゃなく男性並みなのね。それも柔な男性が逃げていくぐらい、しっかりしていてね」

 一番先輩の人が感心して言った。

「やめてよー。それは無いでしょう。私も女性だから弱い面も一杯あるのよ。皆にいちいち言わないけれど、皆と同じような悩みもあるものよ」

「へえー、先生も悩みがねー。それをお聞きしてひと安心だわ。またいつかお話を聞かせてね」

 誰でもそれぞれの人生、いろいろ複雑な環境の中で生きているものだ。

「先生はいつでも明るいし、ストレスなんかに負けたことが無いのでしょう?」

「そのように見えるかもしれないけれど、体操を始めてから四十年、本当にいろいろ問題があったものよ。身体の故障や家族と生徒さんの心配とかね」

 誰にでも長く生きている間には、様々な状況に遭遇する。人生いろいろ、人もいろいろ。昔それに似た歌があり、ヒットしたことを思い出した。

「人生、一日、一日を大切に生きたら良いのだ。明日に希望を持って、いくつになってもお喋りを楽しもう」