小松弘子のブログ

やさしいエッセー

悩みの種は多い方が良い?

 古今東西、人には何らかの悩みがつきまとうものである。小さなものから深刻なものまで、悩みの種は尽きない。生きている以上誰もが背負い、解消するまで苦しみを伴わせる強者だ。

 だから悩みは少ない方が良いのだが、逆に多ければ多いほど人間は逞しく変わることもあり、どちらが正しいかは分からない。  

 占い師の助言や風水によると、どうも神様や仏様が迷える人間に試練を与えているらしい。弱い人間はそれを真摯に受け止めて、それなりの対処方法の知恵を探し、反省し前進すれば解決に向かうという。

 そもそも人並みの人間は未熟者であり、小さい悩みにも弱いのが普通だ。果たして神様や仏様がこの世で存在するのかどうかは別として、目に見えない力で生かされているのは否めない。

「ちょっと聞いてもらえる? 十年前に結婚した娘のことなのだけど、未だに子供ができないの。親の心配をよそに、本人はあっけらかんとしたものよ。本当に困ってしまうわ。何か良い解決方法はないかしら?」

 友人としてお付き合いをして、かれこれ二十年間になる彼女の深刻な表情に戸惑いながら、

「そうねえ、三十代前半までに子供ができないと、女性もしんどいわね。私達親の立場からも孫の世話が大変だし、娘夫婦の将来も不安だろうしね」

 突然に相談された私は、本当のところ面苦らってしまったが、切実な問題なので真剣に答えなければと、

「子供ができなくても幸せに暮らしているケースもあるし、本人が望めばまだチャンスはいろいろあると思うわ。諦めないで多くの人のアドバイスを参考にしたら良いかもね……。実はね、近所の方で、息子さん夫婦に子供ができなくて、親御さんが勝手に判断して、離婚を息子さんに薦めているケースもあるのよ」

「へえー、親が息子達に対してそんな怖い考えを持つなんて、驚いてしまうわ。子供が結婚して一人前になったのだから、本人達に判断させるべきよ」

 当人は未熟な私に相談しながら、正しい知識と答えをちゃんと言い当てているではないか。もともと名回答など初めから期待はしていないようで、とにかく誰でも良いから心の憂さを晴らしたいだけ、なのかも? 

 一般に母親は自分が死ぬまで、良いにつけ悪しきにつけ子供のことを心配するものだ。子供にとって、その気遣いが負担な時がある。ある年齢になれば少し距離を置いて、見守ってもいいのではないか?

 しかしながら私も、つい息子達の将来に自分の考えを押し付けている感があり、いつも反省している。子供の方がすっかり成長して、冷静に親を見ているかもしれない。

 人の悩みはさまざまあるが、年を重ねていくと避けられない問題が出てくる。つまり高齢になり身体がいつの間にか衰えてゆく。誰もが決して避けられない老化現象だ。

 いつか訪れる自分の身体の変化が、本当は一番大きな悩みの種かもしれない。私も七十歳を迎えてから身体のあちこちに違和感が出てきた。それらに付いてくる痛みは、悪魔のごとく突然にやってくる。

自分だけはまだ大丈夫だ、と自信を持っていても駄目である。

昨年二月、午前中に体操教室が終わってから、先生と仲間で有馬温泉へ行った。釜飯の美味しい店があると聞いたので、ぶらぶら歩きながら昼食を摂りに店に向かった。釜飯は明石の昼網の魚が入って大層美味しかった。久しぶりに山の良い空気を吸って気持ち良かった。

有馬温泉は坂道の多い街だった。この日私は最後の階段を登りきったところで、膝に異常な痛みを感じた。

「痛い! 嘘でしょ? あーあー、ついに私も……。先が思いやられるわ」

 帰宅してから整形外科通いの生活をする羽目になった。幸い三か月ほどで元の足に戻ったみたいだったが、完治はしていないので毎月一回ヒアルロン酸の注射に通っている。

 新聞やテレビで老化の始まりは、まず足や腰に現れるという。毎日欠かさず運動と、グルコサミンやコンドロイチンを摂取すれば良くなるらしい。どの広告も元気に歩いている姿を載せている。

 ある時、病院でそれらを飲むと効果があるのか尋ねたが、どの先生も首をかしげる。たいした効き目は期待しない方が良さそうだ。この種の痛みは医者には分かってもらえないのか、ドンドンと商品は売れているみたいだ。

 私もついに宣伝文句にのせられて買ってしまった。

息子曰く、「健康食品なので害はないが、効果は何年も飲み続けないとわからない。高くつく」 と言う。

飲み始めて五か月を過ぎた。足の痛みは無いので不満はないが……。

 

今朝も体操教室の仲間が揃った。

「そう、そう、先日Aさんが家で転んで鎖骨を折ってしまったらしいの。お気の毒だったわね。元気いっぱいのAさんの姿を見ないと淋しいね」

 丈夫な身体が自慢だったAさんも、思わぬ怪我に見舞われた。八十三歳のAさんは足腰がとても丈夫で、いつも朗らかでお喋りが楽しい人だ。私は十二年先の自分の目標にしていた方だった。いつ頃体操教室に来られるのか心配だった。

 ある日、先生からAさんのお話があった。三か月もしないうちに、ひょっこり教室を覗かれるかもしれないと聞いた。家でリハビリを頑張り、早く皆の顔が見たいと言われているらしい。少しだけ安心である。

近年は八十歳後半になっても、お元気な方が多い。

「目にはメガネ、耳に補聴器、手に杖を持ち……。

目薬、胃薬、痛み止めの薬を持ち歩く。あー、あ―、歳はとりたくないものだ」 

 八十八歳で亡くなった父の言葉だが、亡くなる二カ月まで弱音を言わなかった。今の私には無理だ。私達三人とも精神も肉体も、父に比べて全くひ弱である。誰も間違いなく父に似ていない。

 最後の入院先で私の顔を見ながら、しみじみと言った。

「お前たち三人とも頼りない子供やったなあ。皆もっとしっかりしないと、先に逝ったお母さんに申し訳ないやろ。宝くじも当たらなかったし……。まあ、仕方がないわ。自分の子供やしなあ……。けれど子供の出来が悪い分、長生きできたのかも……。

いつも言っているけれど、人間は最後まで何事も諦めたらあかんで。わしもとうとう死ぬまで生きたわ」

 死ぬまで生きる? 当たり前やろ。最期の一言まで冗談を言う面白い人だった。短気で頑固だったが、本当はやさしい父だった。

 父の最大の悩みは、残してゆく三人の子供だったに違いない。

 お父さん、ごめんね。今は本当に有難う……。