鳴門海峡から足摺岬へ
初秋の九月、彼岸のお墓参りを済ませてから、四人で高知県足摺岬方面へ行った。何十年間もお彼岸に淡路島を訪れているが、今回その足で四国最先端足摺岬へ行くのは、初めての試みだった。
お彼岸の二十三日の早朝は、久しぶりに晴れて気持ちが良い日和だった。
「ねえ、素晴らしい天気が二日ほど続きそうだし、お参りが終わったら、高知県の足摺岬方面へ行ってみない。ちょっと遠いけど、思い切って行こうよ。もしかしたら良い写真が撮れるかもね」
私は美しい足摺岬の景色を、もう一度ビデオカメラに収めたいと思った。二年前は雨降りで、岬の景色が綺麗に撮れなかった。
「なんだって! 今から足摺岬まで行くの? 四国の最先端まですごく遠いし、誰が運転するのか分かっているの? 第一に宿泊するホテルが見つからないかもしれないしなあ……」
長男は急な私の旅の提案に、一瞬困った顔をした。
「急な話で悪いけれど今行かないと、もう足摺岬へ行けないかもね……」
「ウーン、わかった。前から聞いていたことだし、写真も撮りたいので行ってみようか。ホテルの予約はスマホで探してみるよ」
息子のスマホが日常生活で良く役立っているのは事実だ。私も早くスマホに代えたいと考えていた。しかし息子達が反対するため、未だにガラケーを使っている。
「スマホに代えるのは無理だよ。教えるのも大変だしね」
私に無理なのは、いざという時に使いこなせなくて心配だと言う。本当はどうだか?
そんなことよりも、はてさて今日のホテルが見つかるか。見つからなければ旅の目的地まで辿り着けない。その時は諦めよう……。
数分して一軒だけ宿泊できるホテルが見つかった。
「わあ、良かったわ。足摺岬へ行きなさいと言う、天の声かもね?」
さも勝手な私の解釈に、
「いつも運転させられて、疲れるのは僕たち三人だからね」
「よく分かっているわ。いつも本当に有難く思っているのよ」
私は今夏、続けて二回も旅に連れていってもらっているので、皆に感謝している。勿論本人達も、それなりに旅を楽しんでいるらしく感じるのだが…。
この日、午前中に二軒のお墓参りを済ませて、十二時過ぎに淡路島の福良港に到着した。
私の友人がポツンと呟いた。後部座席でうとうとしていた私は、その声で思わず窓の外を見た。もうすぐ四国に入るのだ。今日中に足摺岬に行けると思うと嬉しかった。もしかしたら、高知県のAさんにお会いできるかもしれない。
Aさんというのは、二年前に足摺岬を訪れた時、初めて会った親切な方だ。定年後ボランティア活動で、観光客に案内などをしているのだ。
岬に着いた時、偶然にAさんが声をかけてくれた。
「岬への道路が新しく開通したので教えましょうか? 以前に比べると半分の時間ですよ」
「そうだったの。すごく便利になりますね。今までここへ辿りつくのに、結構時間がかかって大変だったのです。近道を教えて頂いて本当に助かりました」
次のお寺まで行くのに、少し時間があったのでAさんと立ち話をした。Aさんはもと中学校の英語教師だったことが分かった。神戸市に何かの用事で来たときに、歌のステージの司会をしたらしい。だから、神戸の思い出が懐かしいとも言っていた。今年の夏、電話をかけてくれたこともあり、再会できたらいいと思っていた。
そんなことをなぜか思い出しながら鳴門海峡を二年ぶりに渡った。海峡から遠く向こうに、小さな町が見えだした。この時、ふと体操教室のKさんの顔が浮かんできた。この鳴門の辺りは、確かKさんのお母さんが長い闘病生活を過ごし、最後には亡くなった町だった。
少しかすんで見える小さな町は、遠い昔を感じさせた。ひょっとすると病院らしき建物が、Kさんのお母さんの入院先だったかも……。
私は以前に『霧の鳴門海峡』という歌を作り、Kさん達体操教室の三人にDVDをあげた。
「あの鳴門海峡と渦潮、とても良かったわ。自分達も一度だけでもいいから行きたいわ。Kさんもそう思うでしょう?」
その時Kさんは真顔で言った。
「でもね、私は皆とちょっと違うの。言っていいかどうか迷ったけれど、あのビデオを見た時、亡くなった母を思い出したの。当時の私は子育てに忙しくて、あまり病院に会いに行けなかったの。何もできんかった自分が歯がゆくてね。今でも後悔しているのよ…。だから悪いけれど、この歌は嫌なの」
「そうだったの。そのような思い出があったのね。辛かったでしょうに……」
日頃のKさんは明るく気丈な方だが、淋しい顔が心に残った。以来、私は二年程あの歌を聴いていない。
元来は別れた人を想っている恋歌だが、映像を見る人の心情で感じ方が全く異なる。この時、初めて歌のビデオ作りは難しいと感じた。
そんなことを思い出していたが、いつの間にか徳島県内から高知県に入った。
「もうすぐ、高知の足摺岬方面に入るよ。お母さん、車の中で居眠りばっかりしないでよ」
息子達と友人はサービスエリアで案内地図を見ていた。
三人は予定になかった日の入りの写真を、撮りたがっていた。
「あまりスピードを出したら危険よ。もし足摺岬の夕日が撮れなくても、明朝の日の出を撮ったらいいのじゃない?」
「でも、せっかく遠くまで来たのだから、足摺岬の夕日を狙いたいよ」
もっともだが、知らない土地の運転は危ない。まして夕暮れが迫っている時間帯だ。足摺岬の先端まで三十分かかる。
「キキ―!」
その時、前の車が信号でもないのに急ブレーキをかけた。すぐに後ろから消防車とパトカーのサイレンが、けたたましく聞こえてきた。
「この先の道路で事故が起こったらしい」
自分達が停車している三台前に、救急車が止まっているのが見えた。事故のなりゆきを見ている人が大勢いた。
「やっぱり事故だ。反対車線も渋滞している」
明らかに事故処理に、時間がかかりそうだった。
「すみません、今、怪我人の命がかかっているので、もうしばらく待って下さい」
警察官が一台一台、事故の状況を説明しにやってきた。救急車に目をやると、怪我をした二人は担架で運ばれていた。助からないかもしれない。身震いがしてきた。カーブでの正面衝突らしい。
坂道でカーブを曲がり切れず……。良くあるパターンだ。
「夕方は事故が多いから、急がないでね」
と、注意したのに相変わらず息子達は、岬を目指して走っている。せっかちな性格の人は、これだから困る。
「ああー、ずんずんと夕日が沈んでゆく」
息子達は無言だが、焦っているのが運転の仕方で伝わった。
車がやっと足摺岬が見えるところに着いた。先端まで必死に走ったが、時すでに遅し……。紅い太陽は無かった。
「うわー。残念だ」
皆はガックリ肩を落としていた。
「残念だけど、またいつか来たらいいじゃないの。明日四時に起きて日の出を見ましょう」
あの時に事故が無かったら、充分間に合ったのだ。運が悪いという他ない。
しかしながら、もし自分たちが四台前で走っていたとしたら、あの事故に遭遇していただろう。
さて次の朝、五時五十四分の日の出を見逃すまいと、四時に起きることになった。岬に五時二十分に着いた。日の出を期待したが、太陽の光が弱かった。
太陽を厚い雲が遮って、なかなか姿が見えてこないのだ。観光客の誰もが、今か今かと日の出を待っていた。しかしとうとう、日の出時刻を過ぎてしまった。
結局のところ雲が邪魔をして、楽しみにしていた日の出の写真は、一枚も撮れなかった。
「あー、あー、残念やなー」
他の観光客も同じように、大きなため息をついて帰っていった。もしかしたら、足摺岬の日の出時刻は、この時期、雲で邪魔されて見えにくいのかもしれない。Aさんにお会いして、詳しく尋ねたら分かっただろうに……。朝早くホテルを出たので、Aさんにも会えずじまいだった。
悔しいなー。夕陽に続き、日の出までも見ることが出来なかった。全く残念な旅だった。午後から高知県の名所をいろいろ見学したが、なぜか皆の気持ちが盛り上がらなかった。
以前に三回、四国八十八カ所お遍路旅を経験し、足摺岬へも当然三度足を延ばした。今回思い付きの気まぐれ旅をしたが、足摺岬は流石に遠かった。
ジョン万次郎の像だけが高くそびえ建っていた。また機会があれば、「いらっしゃい」 と言っているように思えた。今度はゆっくりとした旅で、五度目に挑戦してみたいものだ……。
まだ見ぬ足摺岬の夕陽と日の出を期待して!