小松弘子のブログ

やさしいエッセー

回想 台湾の旅 その後の想い

 今から十余年前、六十歳にして初めて海外旅行を経験した。その後もヨーロッパツアーに参加する機会があった。 ヨーロッパはアジア諸国と違う感触をあじわった。子供時代に絵本でみたそのままの中に存在していた。何とも言えない美しさに心が癒される。実際、現地に行くと、想像以上の文化が見られ、何度も旅をしたくなる。

 二回目の 『スイス・フランス』 の旅は、 『台湾』 へ旅行した同じ年の夏だった。まさか二回目の海外旅行が、こんなに早く実現できるとは、本当のところ夢にも思っていなかった。自分にとって海外旅行は、一生に一回きりのものと思っていた。ところが不思議な縁というか、まさかの幸運だったのか、実現したことが、今もっても分からない。

 過去を振り返ってみると、二十歳の時の意識の中で、 『一生に一度は、必ず外国を体験すること』  と、心に誓っていたのは事実だった。けれども、六十歳での 『台湾旅行』 を、実現するまでは、

「やっぱり外国へ行くのは、一生無理だろう」

 と、心に蓋をしていた。

「日本の方がずっと治安が良いし、日本の景色や文化も、外国よりも優れているよ」 

とか、いろんな話を耳にしてためらっていた。が、何よりも一歩踏み出せなかったのは、やはり自分の意思が弱かったことに尽きる。反省、反省!

 私は二十歳頃に、 「一生に一度だけでも、外国へ行こう」 と、まるで呪文をかけられたように、海外旅行に執着したのには理由があった。それは、きっと洋裁学校時代の、恩師の影響が大きかったからだと思う。

 私は高校卒業後、自動車販売会社に就職すると同時に、退社後に家の近くの洋裁学校で、七年間勉強を続けた。その頃、その他のお稽古ごとにも、通い詰める日々が続いていた。洋裁学校は私の意思ではなく、母親の勧めだった。

 昭和四十年代の若い女性の多くは、沢山の花嫁修業をすることが当たり前だった。特に母は、「これからの世の中は、女性も手に職を付けなくてはいけない」 という主義だったので、好き不向きも容赦なく、進む道を決められた。

そのことが良いかどうかは別にして、毎日が多忙で無駄な時間を過ごしていた。

 ある日、会社の仕事を終えて、いつものように洋裁学校の授業を受けていた。おもむろに、五十歳代の先生が約五十人の女生徒に、海外旅行に出発する旨の話をされた。

「皆さん、突然の話ですが聞いてくださいね。実は来月に東京の先生方と一緒に、ヨーロッパ旅行をすることになりました。各地で頑張っておられる先生方と一緒に、今年はフランスへ行くことに決まりました。私達教師はここ十年間程、毎年海外での研修旅行をしています。そこで、いつも思っていることがあります。それは、将来ぜひ若いあなた達にも、 『海外旅行』 に行ってほしいことです。お若い皆さんですから、経済的に今すぐには無理かもしれませんね。でも一生に一度だけでも、海外に目を向けて欲しいのです。

 私も以前は外国へ行くことについて、いろいろ悩みましたが、今では海外へ行って良かったと思っています。とにかく外国は素晴らしいところです。さて、ひとくちに 「外国の魅力」 を語るのは難しいですが、何といっても美味しいお料理や、珍しいものが沢山あるし、一生に一度は体験してみて欲しいのです。ここの生徒さんの中で、誰か一人でも外国へ行った時は、必ず報告してね。待っていますよ」

 と、その後、たびたび帰国してからも、フランスやスイスの習慣など、楽しいお話などをいろいろと紹介して下さった。貴重なお話はもちろん、経験談を聞かせてもらい、とても感動した。海外旅行を体験していない私は、まるで夢見心地で聞いたものだ。

 この時から、いつの日か絶対に、『一生に一度は外国に行く』 ことを決心したのだった。もしも先生のお言葉を意識していなければ、外国へ行くことはなかったかもしれない。

 そういえば、二十年くらい前に実家に帰った時、何回かお見かけすることがあった。その度に、いつか「外国へいってきます」 と、元気良く報告したいと思っていた。しかし時遅かりし、お話をできないまま、先生はこの世を去られてしまった…。 先生がお元気なうちに、報告をできなかった自分が、今も悔やまれる。

 もしも、また運よく外国へ行く機会に恵まれたら、懐かしい先生のお話と、お姿を思い浮かべるしかない。

 

 心からの感謝と、ご冥福をお祈り致しています。