小松弘子のブログ

やさしいエッセー

カラオケのつどいにて

 今年も春から冬へ季節が巡り、とうとう師走を迎えてしまった。毎年何をして暮らしてきたのかと反省している今日この頃。欲を言えばきりがないし、まずは有難く暮らせた一年だったと感じている。

そんな週末、趣味で習っているカラオケの会が神戸市西区で開催され、教室から三人参加した。     会場は小さなカラオケサロンで、私達が入ると店は一杯になった。どうも最後の客みたいだった。空いている席を探したが、すでに先客で埋められ、狭い座席しかなかった。三人でやっと座れたが、窮屈で仕方がなかった。

「どこかに一つだけでも空席がないかな?」

立ち上がってキョロキョロ見ていると、斜め正面の一番前に席があるように見えた。

「大人三人座ると狭いので、前に移動したいわ」

そう言って一緒に参加した隣席の男性に声をかけると、

「あの席の横にはハンドバッグなど置いてあるので、後から誰かが座るみたいだ。無理だと思うよ」 

いかにも男性が考えそうな言葉だった。

「でも五人席に三人が座っているようなので、空席かどうか聞いてみるわ」

私の案内された席は、よく見ると五人用の長椅子に六人座るようになっていた。朝から六時間余りもこの狭い席で我慢するなど……、とても無理だ。   私は少し離れたその席に行こうと考えた。移動できるのは今しかない。開演前に思い切ってその座席に向かった。

「すみません。ここの席は空いていますでしょうか?」

するとその席のご婦人が、

「ええ、空いていますよ。どうぞ」

と言って気持ちよく答えてくれたのでほっとした。一緒に参加した男性は、席が狭くても辛抱すべき

だと言っていた。

一般的に男性はどうも体裁をかまいすぎる。こん

な小さなことでも気をもむなんて……。

五分ぐらいして主催者の挨拶があり、カラオケの会が始まった。最初の人が演歌を歌いだした。皆それぞれに上手だった。最近は歌唱力のレベルアップに驚く。どこの集いも参加する年代の幅は広い。今日は七十歳代が一番多かった。

私は十五年以上カラオケにはまっている。一年に数回歌の発表会に参加している。

息子達はビデオディスクでその様子を見て、

「恥ずかしいからやめてよ」

の連発である。私がカラオケに通っているのは、たんなる「思い出作り」 に過ぎないから、一向にやめようと思わない。最初は恥ずかしいと感じたが、段々と慣れてくるものだ。

最近は息子達も「まあ趣味の世界のことだから、お母さん、お好きなように」 とあきれ顔で容認しているみたいだ。どの会も出演者の衣裳は年々派手になり、歌手顔負けのパフォーマンスをして会場を沸かす人も時々見かける。皆今を楽しんでいるのだ。

周りの人から馬鹿馬鹿しく思われても、残された時間を精一杯、楽しんでいるのだろう。

ある店で「歌は元気の源だ!」 と聞いたことがあり、それはそれでいいと思う。

そんなことを考えているうちに、隣席の人が歌う番になった。どんな曲を歌うのだろうとプログラムを見た。なんと曲名は熊本民謡『おてもやん』 だった。

今までカラオケの会で一度も聞いていない曲だったから一瞬驚いた。珍しい選曲なので何か思惑がありそうだと感じた。舞台で歌っているその人のソプラノの声はとても綺麗で、発音もはっきりして良かった。

何よりも歌っている表情がゆったりとして、聴いている側もなぜか引き込まれるのだ。思わず「上手い」 と拍手した。その人が歌い終わり、席に着いてから、私はさっきの疑問を尋ねてみた。

「民謡『おてもやん』 の歌を選んだのは珍しいですね。歌声もすごく素敵だったわ」

「まあ、褒めて頂いて有難う。教職を辞めてから二十五年余りになるの。今までにコーラスやシャンソンを習ったことがあり、随分長い間歌ってきたわ。勿論民謡や童謡もね。二十年以上住んできた地域の会のリーダーとして、今も皆と一緒に歌っているのよ」

プログラムを見て、その人がSさんという名前であることが分かった。少しの会話だったが、Sさんの歌に対する情熱を感じた。私よりずっと歌のジャンルが広くキャリアも長い。カラオケ仲間にキャリアの長い人は沢山いるが、大抵は一般的な知識しか無く、ただ平凡にカラオケを楽しんでいる人が多い。その中でSさんみたいな歌を深く愛する人もいることを知った。やはり堂々として見えるのは、人生の豊富な経験と知識、音楽に対する意識の違いだろうか……。

今回『おてもやん』 を歌ったのは誰も選ばない曲の方が、皆の印象に残ると考えたからだというのだ。通常カラオケの会では演歌やポップスが多く歌われる。そんな中で異色の歌は、清涼剤となり観客に喜ばれることが多いのだ。

「なるほどね、私も同感です。今日は、『百万本のバラ』 と木下結子さんの『マリーゴールドの恋』 を歌おうと思っているのです」

開演中なので私は小さな声でしゃべった。するとSさんがすかさず、

「あら、私もずーっと昔、『百万本のバラ』 をよく練習したものよ。あの曲はとても大好きで、何十回も皆の前で歌ったのよ。でもとても難しい曲で苦労した」

と言われた。

私は以前からこの歌が難しいことを知っていた。が、今回歌いたくなったので挑戦したのだ。偶然にSさんからそのことを聞かされ、プレッシャーを感じた。いつも以上に焦ってしまいそうだ。

「Sさん、『百万本のバラ』 はもっと練習して選ぶべき曲ですね。この歌に慣れるために選んだけれど、正直なところ私の選曲ミスですね」

と言い訳したい気持ちだった。まさか隣の席にこの曲をよく歌っていた人に出会ってしまうなんて……。

とうとう自分が歌う順番が回ってきた。名前を呼ばれて小さな舞台の前に立った。皆の視線が集まった。

前奏の音楽が聴こえて、四つのトトトン、トトトン、トトトン、トトトンで歌いだす。「小さな家とキャンバス……」 語りと言われる部分である。出足はうまくいった。

ところが次の章節で音程が狂ってしまった。あーあー、失敗だ。三連と言われる音符ばかりで、ほとんど語りの低音だ。歌いにくい箇所が続く。いつも音程が変になり、途中から何とか持ち直すパターンが多いのだ。

この時ふと気に留めていたSさんを見た。真顔で何も表情は変わっていなかった。しかし本心は下手だなと思っているだろうな……。よく見るとこの曲に合わせて手拍子をしてくれている。嬉しかった。やっと落ち着いて歌えた。皆が手拍子をしてくれているのも見えた。少しだけ笑顔になれた。何とか最後まで歌い終えることができた。

 『百万本のバラ』 この日を最後に、人前で歌うのを止めようと思った。しかしながら名曲だ。だからこそ練習を続けて、いつか上手く歌えるように努力しなければならない……。

歌を教えてもらっている先生のために……。

なにより自分のために、少しだけでも……。

いいえ、 もっと大事なことを忘れていた。

“歌は心で歌うもの”