小松弘子のブログ

やさしいエッセー

初春の旅

 平成最後のお正月が終わった一月四日、家族と一緒に旅をした。旅の目的は特別になく、恒例になっている親睦会みたいなものだ。

今年は兵庫県相生市の万葉の岬を皮切りに赤穂市の大石神社、赤穂城址などを見学。その日の夕方に岡山県湯郷温泉まで足を延ばす日程だ。

出発の朝、冬だというのに暖かかった。晴天にも恵まれたので、皆の顔もにこやかだ。

「おはよう、今日は天気で良かったね。運転よろしくね」

 運転をしてくれる長男は風邪が治ったばかりだった。私は少し心配だったが、敢えて声を明るくしてしゃべった。

「大丈夫。大丈夫だけどお母さん、車の中で居眠りばっかりしないでよ。高速道路を走るから後部座席のシートベルトだけは忘れないでね」

「うん、分かっているわ。ここから山陽道の乗り口まで近いから、すぐにベルトをしておくわ」

 今回もシートベルトのことで、息子にきつく注意された。それもそのはず、昨年一月に淡路島の水仙郷へ行く途中の出来事だった。私がベルトをしてなかったために、垂水ジャンクションの入り口手前で、パトカーに捕まったのだ。

 忘れもしないあの日も、今日のような気持ちの良い天気だった。さあ今から明石海峡を渡るのだと思いながらも、私は後部座席のシートベルトをすっかり忘れていた。自宅から淡路島行の高速道路入り口は車で五分の距離なので油断をしていた。

 そんなことで結局のところ淡路島行は取りやめたのだった。その後、私は後部座席に乗る時は必ずベルト着用を守っている。

昨年の苦い経験を思い出したが、今年は今年だ。

予定通り山陽道相生市に入り、いろいろ見学してから、次の日は岡山県湯郷温泉に行く手はずだ。岡山県近辺は今までに家族で何度か訪れたことがあった。神戸市内から山陽道を走ると一時間半位で温泉街に着くことができるので、大変便利な位置にある。

少し北には名湯と呼ばれる湯原温泉奥津温泉があり、それらの北には蒜山高原、ずっと南西には倉敷市美観地区がある。昨年までに名所と呼ばれるところはだいたい見学してきた。

今回一番印象に残ったのは、最初に訪れた相生市万葉の岬から見える瀬戸の海だ。久しぶりだったから余計に美しく感じたのかもしれない。やはり自然の壮大な景色には惹かれる何かがある。岬は百八十度のパノラマになっているので、相生市の街と赤穂市の街と瀬戸内海が一望できる。大小の島々が無数に点在して、海に浮かぶさまには圧倒される。目に映る真っ青な空と穏やかな水平線が、果てしなく続き美しい。海の見える丘にはいろいろな種類の椿が植えられて、一面に良い香りを放っていた。

海は見渡す限り広い。波は静かでキラキラ輝き、とんびが五羽、空高く悠々と舞っていた。今こうして一人岬に立ち、この素晴らしい景色を眺めている。

何気ない日常の平凡が、人生の一番の幸せかも……。お正月早々ゆったりとした気分を味わいながら、そぞろ歩きをしている時、古そうな歌碑を見つけた。詠み人は山部赤人と書かれていた。百人一首古事記か何かの本で知った名前で驚いた。万葉の岬に来たのは三度目だったのに、歌碑をじっくり眺めたのは初めてのように感じた。

今まで歌碑を見ているはずなのに、なんの感動もしなかったようだ。それとも歌碑が建っていることさえ覚えていなかったのか? 

改めて山部赤人の和歌を詠もうとしたが、石碑の文字は漢字ばかりで読めなかった。石碑の横にこの歌の説明があった。もし自分が平安時代にこの岬に立ち寄ったとして、少しでも赤人と同じことを考えただろうか? 

この石碑の文字が彫られてから千年以上経っている。しかも一つ一つの文字が今こうして残っているのを見て、改めて文字の持つ力を想った。

和歌を後世に残してくれた山部赤人は、どんな人物だったのかも知りたいと思った。私は赤人の和歌をしっかりと覚えているつもりでいた。是非とも覚えておきたいとも思っていた。

ところが帰宅して来週のエッセイに書きたいと思ったが、山部赤人の和歌が一向に思い出せなかった。そこで相生市図書館に問い合わせると、ファックスですぐに親切に送ってもらえたので有難かった。

ファックスによると、石碑の現代語に直したものは、 「縄の浦ゆ背向(そがい)に見ゆる沖つ島漕ぎ廻(み)る舟は釣しすらしも」 と読むそうだ。解釈が難しいので、近いうちに図書館で調べることにしよう。

来年春は どこに行けるのか楽しみである。

 

田子の浦に うち出てみれば白妙の

富士の高嶺に 雪は降りつつ   山辺赤人