小松弘子のブログ

やさしいエッセー

越前海岸波高し

 お盆が終わった八月十七日、能登方面に一泊二日の旅に出た。昨日まで石川県の天候が悪かったので、今年の夏はどこにも旅に行けそうにないと半分諦めていた。猛暑と天候不順のせいで、前日まで出発できるかどうかわからないでいた。

八月十六日、お盆休みで息子達が家に来ていた。この日たまたま家族旅行の話が出たので、この

チャンスを逃すまいと、

「いつも旅に出たら、不思議に良い詞が生まれそうになるのだけれどなあ……」

 私はすかさず皆の顔色を見た。

「良いネタ探しに旅をする。しかしネタが大きすぎてさばけなかった。そんな羽目になるのでは?」

 息子達は勝手なことを言いながら昼食を食べていた。

「本当にバカにしているわね。きっと良い詞を書いてみせるわ」

 心の内では自分なりに意気込んでいたが、なんとなくその通りになりそうな暑い日だった。久しぶりの青空を見て、とにかくどこでもいいから旅に出たいと思っていた。

日本海が見たいわ。誰かが言っていたけれど、輪島の景色も素晴らしいそうよ」

と息子たちに旅を誘ってみた。

「急にそんなことを言い出しても、宿が見つからないかも」

 息子達はあきれ顔で、

「しょうがないなあ。まあ天気も回復したみたいだし、越前海岸も初めての観光だしなあ。行ってみようかな」

「そうよ、せっかく行くのだから金沢の兼六園ヘも足を延ばしたら、きっと最高の旅になるわよ!」

「本当かな? いつもお母さんの話は調子がいいから心配やな」 

息子達はなんだかんだと気難しく言っていたが、結局旅に賛成してくれたのだ。宿泊先も一軒だけ見つかり、予約が完了した。これで確実に旅に行ける。良かった、嬉しい限りだ。家族はいつも私のわがままに押し切られている。後から悪いと思いつつ息子達には本当に感謝している。

八月十七日、越前海岸目指し、車を走らせた。車から見える越前海岸は少し台風二十号影響を受けてか、白波が始終押し寄せていた。朝の越前海岸の空と海は真っ青で、日本海独特の美しさを繰り広げていた。車窓から海岸縁りの壮大な景色を楽しんでいた。時折、大波が砂浜の岩にぶつかり、真っ白に砕ける様を目にした。

「うわあ、凄い。まるで嵐の時の波しぶきみたい。一度だけでもこんな海が見たかったのよ」

 と大きな声で言った。

 その声に驚いたのか、波のうねりが珍しかったのか、息子が車を止めた。いつものように長男がビデオカメラを回し始めた。私は日本海の怒涛のような波に圧倒され、押し寄せてくる大波を見続けた。海岸近くに立つと、しぶきが霧のようにひんやりと頬や腕に当たった。

「このままここで一日中、波を眺めていたいなあ」

「なにを阿呆なことを言ってるの。さあ、まだまだ先は遠いのだから出発するよ」

 息子達は、もう荒波に関心がなくなったのか、さっさと車に乗り込んでしまった。私はもう少し心ゆくまで、この波しぶきを味わいたいと思っていたのに……。こんなにも慌ただしい旅では、詞も浮かんでこないのよと言いたかった。

一人旅でもしたい気持ちだが、一人旅などとうてい無理だし、我慢するしかない。

日本海の荒海を見ながら、昨年はクロアチアの海を見て、世界中で一番美しいと感じたものだ。その美しさに感動して、詞ができたことを思い出していた。

あの日から一年後、今日本の景色の美しさに酔いしれている自分がいる。人間の感情はその時々によって、ころころと変わるものだ。

越前海岸、言葉の響きが良い。好きな字の並びだ。頭の中でいろいろなアイデアを思いつくが、いざメモ用紙に向かうと歌の詞にならない。

なぜだろうか? あまりにも自然の雄大さと美しさに、自分の力が追いつかないのだ。あの荒波をそのまま何かで表現する手段があるのだろうか?

もし、有能な音楽家であれば、楽器で波そのままの表情の演奏ができるものなのか。天才画家だと完成された絵が描けるのか。

やっぱり人間は自然に勝てないかもしれない。

「越前海岸 波高し」

 

 帰宅してから三週間がたった。まだ気に入る言葉が見つからない。

「ネタが大きすぎて、さばけなかった」

 越前海岸 壁高し……。