小松弘子のブログ

やさしいエッセー

家が片付かない…

 ときどき体操教室が終わってから、先生と気の合う友人達と二時間ぐらい近場でランチを楽しむことがある。

「女性もこの歳になると食べることが一番よね」と言っていた別の友人の口癖を思い出した。本当にその通りで可笑しかった。

いつものように、どこで何を食べに行こうかと相談をしていたら、先生が突然私たちに声をかけて下さった。

「あら、ごめんなさいね。今日は掃除機の点検が入っているので、外食ができないのよ。皆さん、よかったら家へ来ない?」

私はこの時、久しぶりに先生の素敵な家に行けるので嬉しく思った。いろんな珍しいインテリアがあり、目新しい流行を取り入れられている。訪問のたびに新鮮な気持ちになる。皆も同じことを感じているのか嬉しそうだった。

「あのー先生、急なのに皆で一緒に訪問させて頂いても良いのですか?」

「いいの、いいのよ。こっちこそ自分の用事に付き合わせてごめんなさいね」

いよいよ先生のお宅へお邪魔させてもらうことになった。途中でそれぞれ昼弁当などを買い、車で十分ぐらいで家に着いた。

「先生のお家って、お洒落な三階建てで素敵よね。ほら見てパンジーが綺麗に咲いているわ」

車庫の傍らに季節の花が元気に何個か咲いているのを見て、誰かが言った。

「本当にそうだわね。いつ伺ってもきれいなお花が見られるし気持ちがいいわね。お部屋の中も綺麗に片付けられていて、本当に感心させられるわね。さすが先生やね」

「お忙しいのに、何時にお掃除や片付けを済ますのだろう?」

以前“忙しい人に用事を頼んだほうが、キッチリこなしてくれることが多いわよ”と言われた先生の言葉を思い出した。

「私は暇なのに家の中がぜんぜん片付いてなくて、もしも誰かが訪問したいなんて言われたら困ってしまうわ。三日位前に言ってもらわないと部屋がごちゃごちゃで最悪の状態だわ」

「あら、私も同じく急にお客様が来られても、家の中には入ってもらえないわ」

 実は私も“まったく同感です”と言いたかったが、黙って皆の話を聞いていた。

「私も朝から出かける日は、何も手につかなくてお掃除なんかしたことないわ。先生は主婦の仕事を全部終わられてからお教室に入られるそうよ。真似できないわね」

こんなたわいないもない会話が、普通の主婦なのだ。皆で顔を見合わせてどっと笑ってしまった。

いつも体操教室の中だけでは分からなかった皆の性格や物の感じ方などが垣間見られた思いがした。皆の心の内が自分と似ていたので安心した。

玄関には高価そうな虎の置物や舶来の額が飾ってあった。

階段や廊下の幅が広くて通りやすく、快適な現代風の作り方だと感じた。

「お邪魔します」

「どうぞ皆さん、ゆっくりしていってね。ついでにドイツ製の掃除機のこと尋ねてみては? いろいろと参考になると思うけれど」

 二階のリビングに入ると隣の部屋で西宮から点検修理の方が来ていた。ガーガーと少しうるさい音だった。そのうちに掃除機の点検も終わって皆で一緒にお茶を楽しんだ。

お喋りが一段落したので、初めてのドイツ製掃除機について話を聞かせてもらうことになった。

「お忙しいのにすみませんね。掃除機の種類とか使い方など教えて頂けますか?」

「もちろん何でも聞いてください。このお宅は今回点検した商品を十五年間使って頂いております」

「へえー、長持ちしていますね。日本製だとそんなに長くは無理ですね」

「このお宅は毎年キッチリ点検とかごみ袋の交換などされています。ですから、故障も少なく長持ちされているのでしょう」

「ごみ袋の交換なんて、私達には面倒くさいし向いてないかもね」

「ねえ、それよりも先生が使っているドイツ製の掃除機だけど、おいくらするのかしら?」

 この言葉を聞いた時、私は思わずテレビで見た関西人独特のある“くせ”を思い出した。特に主婦に多いのだが、相手の物を見たら最初に出てくる言葉が“それなんぼ?”である。値段はいくらするのか、とても気になるのが関西人の気質だと言われている。関東人には物の値段の高い安いとかの疑問は浮かばないらしい。もしかしたら、昔から関東人は“ええ格好しい”なのかもしれない。

本当は私もこの“くせ”があり、まぎれもなく値段が一番気になっていた。

「本体が丈夫なのはいいけれど、主婦には少し重そうね」

 関西人は思ったことを何でも知りたがるし、つい口にしてしまう。

「先生と同じ機種はいくらでしょうか?」

多分安くても二十万円以上するだろうし、私は今のところ買うつもりはないが、つい言葉に出てしまった。

「いやー、日本製に比べると価格は高いですが、ドイツ製は性能が全く違いますので高いかどうか。アッハッハ」

とうとう掃除機の値段は話の最後まで分からずじまいだった。

おそらくこの人は私達の話を聞いて、購入するのは無理だと感じたのだろう。

「ドイツ製の掃除機が日本製より優れているのはよく分かったけど、高いものだし今使っている掃除機が壊れたら考えさせて頂こうかしら」

「本当に掃除機の性能や違いが分かって良かったわ。今度買うときは、ぜひ検討させて頂きますね」

他の人もほぼ同じ意見みたいだった。この製品のほか窓ふき専用や、今話題の自動掃除機の説明など熱心に聞かせてもらった。どれもこれも技術の先端を駆使した製品ばかりで驚いた。日本の電化製品のデザインは一流で素晴らしいが、技術の面ではドイツ製の掃除機に後れをとっていると感じた。

今まで電化製品は日本製がトップだと思っていたのに。

カタログを見ると特にカーペット専用に切り替えた場合、吸引力が断然ドイツ製が勝っている。

たかが掃除機されど掃除機。毎日のように主婦が使う大事な道具の一つだ。日本製は今のままの技術に満足していると他国に追い越されるかもしれない。

日常生活で日々感じているのだが、日本製は掃除機をかけた後、数分後にほこりが床に残っていることがある。ほこりを吸っても、その後にほこりが残るのは何故か?

ここにドイツ製の掃除機の秘密が隠されていたのだ。それは吸引力の凄さの違いと、工夫を重ねてきた技術面の差ではないか? 長年積み重ねた努力と国民性の違いかもしれない。

点検の人の話によると、ドイツでは自分の家の窓ガラスが汚れていても、他人から苦情を言われるらしい。そんな国だから観光国としても、常時美しい環境を維持できているのだろう。

「私達ドイツに住んでなくてよかったわ。毎日のようにお掃除に追い回されれ、何も手につかないわ」

まったくその言葉通りで全員一緒になって笑った。

その時お茶菓子を持って来られた先生が、

「今度は小松さんの家にお邪魔したいわ」

 私はこの言葉にドキッとした。片付いていない家の中が浮かんでぼーっとなった。さあ大変だ。

「いいですけど、家を片付けるので三カ月ほど待ってね」

楽しいお喋りタイムはあっという間に過ぎた。

帰ってからつくづく家の中の整理整頓ができていないことが気になり始めた。先生の家とのギャップを感じる日々を送っているだけで、家の中も外もいっこうに片付けられない

先生のお宅より家は古いし小さい。なによりも部屋がごちゃごちゃして汚い。一日でも早く片付けたいと気持ちだけは焦るが、なかなか実行出来なくて困っている。こうなったら誰かに手伝ってもらうより仕方がない。

帰宅した息子に事情を説明すると、

「お母さんの性格から考えて、先生みたいに綺麗に家を片付けるのは無理やな。手伝ってもいいけど部屋がいつもすぐに元に戻ってしまうし、結局のところ皆に来てもらっても恥をかくだけやなあ。やめた方がいいと思うけど」

「そんな訳にいかないわ。いつもお邪魔させて頂いているし、何かとお世話になっているのだから」

 

一週間後、私は気を取り直し面積の少ない洗面所とトイレを片付けることにした。この部分だけを片付けるのに一週間もかかってしまった。残っている部屋の掃除や整理を考えると気が気ではなかった。

そこで私は部屋の気分転換のために百貨店で暖簾を探すことを思いついた。暖簾を買うのは二十年ぶりだ。どれにしようかと想像するだけで楽しくなり、いっぺんに気持ち華やいだ。金具と棒も買い、後は暖簾を掛けるだけだ。

家に帰って早速三枚を掛けたが何か似合わない。あくる日も暖簾を三枚買ったが、どれももう一つ部屋に似合わない。八枚も買ったが結局のところ三回目に買った二枚だけがかかっている状態だ。

 ふと台所に目をやると、白いレースのカーテンが気になった。やっぱりこの機会に新品に代えた方が良い。早速カーテンを注文し三週間後の出来上がりを心待ちにしている。

初めは乗り気でなかった息子だが、今では私が何も言わないのに率先して部屋の隅々まで上手に片付けをしてくれるようになった。息子の方がアイデアマンでチラシなどを見て買ってくるようになった。私はその様子を見て少し安堵してしまい、カーテンが届くまで一服しようと思った。

ある日、息子が朝から重いプランター十個を片付けてくれた。二人で溝の掃除をした後、息子が一人で玄関先の二台の下駄箱を整理してくれた。

「お母さんの靴で一杯やな。古いものどうするの?」

「綺麗な分だけおいて、あとは適当に捨ててもらっていいわ」

 私はこの時昼食の支度で忙しかったので、ぜんぜん手伝わなかった。下駄箱の中が二時間でようやく片付いたかなと私が思ったその時、息子の悲鳴が聞えた。

「痛い! ぎっくり腰になったみたいや!」

 私は慌てて玄関に行った。息子はそこにうずくまって痛そうにしゃがんでいた。

「大丈夫? すぐに氷で冷やした方がいいわ。とにかく今から近くの整形外科で診てもらいましょう」

 お医者さんに診断してもらったが、やはりぎっくり腰になっていた。

「僕も年をとったな」

 そんなに大事には至らなかったが、本人はぎっくり腰になったことがショックな感じだった。私より息子の方が多く重たいものを持ったリ、よく動き回ったからだと反省した。とにかく良く手伝ってくれた。心から感謝せずにはいられない。

その後しばらくして容態は良くなったので安心した。

安心もつかのまで二週間後の休日に、またもや家の中の片付けを息子に頼んでしまった。自分一人では仕事が思うほどはかどらないのだ。

年はとりたくないとつくづく思った。

家の中の片付けはキリが無い。他人が訪ねてくれること、それ自体、本当は喜ばしいことだ。

昔から人が来る家は栄えると言われているのを思い出した。

私の場合は、部屋が片付いて綺麗になるし、なによりもお喋りが楽しい。あまり上手に片付いていないが、ありのままの自分の方が性に合っているだろうから、あまり無理はしないようにしたいと思った。