小松弘子のブログ

やさしいエッセー

大晦日から元旦にかけて

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 今年も 「大晦日」 を迎える時期がやってきた。いつもながら忙しいだけの日々を送るのだろうと思っている。誰でも今年こそは、のんびりと楽しい時間を過ごしたいと願うのだが、結局のところ無理であると悟るのだ。

 いつになったら余裕のある年末が来るのだろう?

 気持ちの持ち方かもしれないが、特に年を摂ると、その先にあるせっかくの 「お正月」 が、嬉しくもあり、そうでない年もある。

 若かった頃はそのしんどさは微塵も無かったものだ。ところが、今では恐怖の 「大晦日」 と 「お正月」 に、なりつつあるのだ。ほんにできることなら歳は摂りたくないが…。

 今年も相変わらず、また 「おせちつくり」 や、大掃除で足腰が痛くなった。ああ、ああ、いっそのこと、「お正月」 など消えてしまえばよいと思ったりした。こんな悩みを持つ人の多さよ…。と言って、新年を気持ちよく迎えられないことは悲劇でもある。もし、何か予期せぬ不孝に襲われたら、呑気に 「お正月」 気分を味わえない。

 まあ、そう思えばつつがなく新年を皆で過ごせれば、本当に有難いと感謝すべきなのかも…。結局のところ人生は、何事も良い方に考えた方が幸せなのだ。万事なるようになるのだから…。

 そして元旦を迎えた。長男とお雑煮を祝い、昨晩出来上がったばかりの、手作りおせちに舌包みをするのである。やっと出来上がったおせちを、感慨深く眺めていると、

「なかなか上手く調理できたね。とても美味しいよ」と、息子が褒めてくれた。その言葉がとても嬉しかった。今までに本心かどうかなど、疑ったことはない。不思議に一年の疲れが、すっかり消えたように感じた。

 その日の午後、近くに住む次男家族が、年始の挨拶に顔を見せてくれた。

「おめでとうございます。昨年はいろいろお世話になり、ほんまに有難うね。何もお手伝いできなくて…」

 次男の本当に申し訳なさそうな、いつもの挨拶に、

「おめでとう。こちらこそありがとう。本年もよろしくね」

 と、答えるのが習慣になっている。次男夫婦はまだ子供に手がかかるので、顔を見せるだけで精いっぱいだと分かっている。気持ちだけで充分だ。

「おばあちゃん、おめでとう!」

 すごく元気な二人の孫達の声に、

「おめでとう。良く来てくれたわ。さあ、部屋にあがって、おばあちゃんの作ったおせちを頂きましょう」

 と、言って孫達の顔を見た。どちらも生き生きとした可愛らしさで、またこちらも元気をもらった。

 「お義母さん、おめでとうございます。いつもお手伝いができなくてすみません。今年も宜しくお願いします」

 お嫁さんが一番後から部屋に入ってきた。

「いいのよ。あなたは子供のことで、今一番忙しい時期だし、こうして皆で来てくれることがとても嬉しいのよ。何も気を遣わなくても大丈夫よ」

「はあ、お母さんも何時もお忙しいのに、ありがとうございます」

 と、言ってさりげなく、真っ赤なコーヒーショップの福袋をくれた。

「まあ、有難う。どこのメーカーの珈琲なの?」 

 丁度、長男がそばにいたので福袋を見せた。

「へえー。珍しい喫茶店やなあ。「タリーズジップス」 と書いてあるよ。ブラジルコーヒーかな?」

「ええ、今、とても流行っているコーヒーショップなんですよ。チケットも入っているので、ぜひ一度お店で試飲してみて下さいね」

 我が家はお嫁さんの新しい情報に、いつも驚かされている。また何かにつけ、サラッと気を配ってくれるので助かっている。私は珈琲よりも赤色の袋が気に入り、使い道が楽しみだった。その時、

「おばあちゃん、今年もトランプをして遊ぼうよ」

 と、上の小学四年生の男の子が言った。

「じゃあ、食事がすんだら皆で遊ぼうね」

 実はお正月にトランプ遊びをするのが一番の楽しみだった。去年まではお嫁さんに教えてもらった 「大富豪」 というものだった。今年は通称 「カブ」 というゲームをして、大いに楽しんだ。いつもトランプをする時は、大人げないが真剣勝負に徹している。しかしながら、結果は半々で終わっている。

 もう近い将来、二人の孫達にかなわなくなるかもいが、決して勝負は諦めないで頑張ることに決めている。来年も皆でトランプ遊びをして、楽しく過ごせれば最高の幸せだと思っている。

 

2020/01/13 #97