♪友 達(と も)よ
この 「友達よ」 の詞は、三年位前に作りました。曲をユーチューブに載せたのは、二年前の二〇一八年でした。実際に歌として吹き込むまで、詞があまりひどいので、幾度も迷っていました。誰かに作詞を見てもらって、手直しさえ望んでいたのです。
そんなある日曜日、次男の家族が遊びに来たので、これ幸いと喜んで次男に声をかけました。
「あのー、実はね、新しいタイプの歌ができたの。忙しいと思うけれど、チョットだけ見てくれないかしら?」
「えっえっー。また見るのー。あんまり見たくないわ」
次男は疲れているのか面倒くさそうに言った。それもそのはず、子育て真っ最中の次男にとって、唯一の日曜日にしょうもないことに、時間を盗られたくないのだろう。作詞をするようになってから、次男に見せたのは初めてだった。だから遠慮することよりも、少し喜んでもらえるかなあと思っていたのだが…。
「でもね、この歌は若いあなた達の曲にしたいのよ。もっと良い詞のアイデアがないかなと思っているのよ」
そう提案したのだが、
「ふーん、そうだったのか。しかし眠たいしなあ…」
その時だった。一緒に来た次男のお嫁さんの一言で、次男は目を覚ましたようだった。
「せっかくお母さんが新しい歌を作ったのだから、見るだけでも見てあげたら!」
お嫁さんの応援のメッセージに驚いた次男は、
「ちょっと待ってよ! 何も見ないと言っていないよ。少しだけ 待ってほしいと思っていただけだよ!」
次男は恐いものを見たように、眉をひそめた。
「じゃあちゃんと起きて、早く見てあげて!」
お嫁さんはあくまで冷静に言ったのに、次男はびっくりして起き上がり、座敷机の前にわざわざ正座した。私は思わず可笑しくなって、
「ゆっくりで良いよ。一言でいいから感想を聞かせてね。いつもそうなんだけれど、今回はなかなか二番の詞が上手く書けなくて困っていたのよ」
と、言った。
すると次男は、さっと原稿用紙を引き寄せた。まじまじと二回ほど詞に目をやった。真剣な顔に変わったので、私は不安になった。
「どこかおかしい箇所があるでしょ」
「ウーン、最初の出だしのところは良いと思うけれど、一番の真ん中の、 『マラソンみたいに 生きようよ』の、意味が分からへんなあ」
その言葉が返ってくるだろうと思っていたので、あえてサラッと言った。
「マラソンは人の名前なんだけれど、知らない?」
次男は不思議そうな顔をした。たぶん私だけの勝手な解釈だと思われるので、
「ずっーと昔にね、そう、小学五年生の時に読んだ本に、『マラソンさん』 が出てきたの。そのお話をふと思い出したのよ」
「ああそうだったの。 でも 『マラソンさん』 て、一体、誰のことだろう?」
次男はお嫁さんの方を見て言った。
「あのさあ、僕は全く分からないけれど、 『マラソンさん』 て、そんな名前を聞いたことあったけ?」
お嫁さんに同意を求めて聞いていた。
「いやー。私も考えてみたけれど、全然分からないのよ。今までに聞いたことのない名前ね。そんなお話の本、あったっけっ? 思い出さないけれど、本当に何なんだろう」
私は二人の会話から、 『マラソンさん』 は、自分だけの秘密の話にしようと思った。
そのことに話題が移り時間が経ってしまったので、とうとう作詞の手直しはできなかった。また孫達が部屋に来たので、本の話題が消えてしまった。
「ああそうや、今から公園でも行こうか」
次男家族と近くの公園へ散歩に行き、一日が過ぎたのだった。それから二日後に、何とか詞が完成した。すぐにいつも編曲をお願いしている、前田 秀博先生のもとに走った。
「先生、よろしくお願いします」
快く引き受けて下さったのでホッとした。二週間後に作品化でき、曲を吹き込むことができた。
先生の提案で二重奏にした。初めての試みで、高音と低音を同時に吹き込んだ。唱歌みたいな素敵な編曲で、特に好きな歌になった。
この歌の動画は、何年か前に長男と二人で、ノルウエーのソグネフィヨルドに旅行した時の映像である。
友 達 よ
人間は皆 弱い者だよ
木漏れ日の木の葉のように
風に吹かれて踏まれて消える
けれど いつの日か 大地に蘇える
友達よ 今 立ち上がれ!
マラソンみたいに 生きようよ
一人じゃないんだ 僕がいる 友達がいる
明日を信じて 夢をみて
さあ 涙をふいて 前を見て
人生は 後悔の日々
苦しみに耐えることだよ
涙 枯れても 最後に 笑う
そうさ いつの日か 初めに戻るのさ
友達よ 今 立ち上がれ
涙を ふいたら 強くなる
一人じゃないんだ 僕がいる 友達がいる
夢を信じて 手をつなごう
さあ 涙をふいて 虹を見て
一人じゃないんだ 僕がいる 友達がいる
明日を信じて 夢をみて
さあ 涙をふいて 前を見て