小松弘子のブログ

やさしいエッセー

天災は忘れた頃にやってくる

 今年の夏は異常と思えるくらい暑い。特に七月に入ってから暑いばかりでなく、湿度が高いので毎日うんざりしている。何とかならないものだろうか? 誰もこの暑さに打つ手がなく辛抱しているのだろう。

 暑い日本から脱出して涼しい避暑地のある海外に行けば、すぐに問題点が解消できる。暇とお金があれば、暑さも寒さも関係なく快適に暮らせる時代だ。

昔、父がよく言っていた口癖を思い出した。

「暑いとか寒いとか言うのは、我々のような貧乏人の言葉さ。夏は北欧に行けは涼しいし、冬はハワイに行けば良い」

暑い生活を強いられているのは、貧乏人の哀しさかもしれない。誰でも簡単に金持ちになりたいが人生ままならない。これも努力と運のない自分の人生だから、潔く諦めるしかない。

いろいろ考えてみてもせんないことだ。以前は時間を惜しんであれこれやってきたものだ。

 私の場合、一週間に五日ぐらいは外出しているが、あとの二日間は家でゴロゴロしている。いつもこの間に歌の作詞をしたり、たまに作曲まがいのことをする。

 ところがここ一ヶ月間、暑さにかこつけて何も手につかない。

そんなある日のこと岡山県広島県愛媛県その近辺で、七月五日から数日間にわたって未曾有の豪雨が続き、数日後にとうとう甚大な災害が起こってしまった。毎日のようにその様子をテレビで見る限り、どこもここも豪雨による河川の決壊で街が破壊されていた。まれに見る災害の酷さに驚かされた。避難の時期を逸したため、お年寄り達が逃げ遅れたケースが増えている。一般に自分だけは安全だと思いこむものだが、災害を過信してはいけない。

 日頃からいつでもどこにでも、危険が潜んでいることを忘れないように心掛けたい。

私の住む神戸も一週間程、分厚い雨雲が居座って、湿度が八十パーセントにも達した。

「この頃の天気、異常だと思わない?」

街に出ると、そんな会話をよく耳にした。

「何か恐ろしいことが起りそうで、怖いわね」

誰もが口々に言ってはいたが、まさか大災害の前兆だったことは予想できなかった。この天気の異変が一週間も続いたが、現実に自分が被害に遭遇しないと安心してしまう。人間の愚かさをあらためて感じた。テレビで報道はされていないが、実際に私の住んでいる地域でも小さながけ崩れが多くあった。知人の親戚が住む岡山県やその他の都市では水害にあい多大な損害を受けたという話を聞いた。

「天災は忘れた頃にやってくる」 そのことわざ通りだ。

テレビで災害の発生を知った時、私は二十三年前の一月に起きた神戸淡路大震災を思い出した。

とにかく悲惨な状況が何年も続いた。何事も経験しないと、実際の辛さや痛みは分からない。被災後数年間、神戸のあらゆる人がさまざまな艱難辛苦を体験した。現在の姿に復興する二十三年間が、まるで走馬燈のように思い出された。

私が震災から立ち直れたのは、きっと若かったからだと思う。今ならとても無理かもしれない。

私達が生きている間は、災害や戦争を記憶しているだろう。しかしその過程が過ぎ去ると誰でも簡単に記憶が薄れて、過去の貴重な経験を忘れてしまいがちだ。五十年後、果たしてどれだけの人が今度の天災を覚えているだろう? 人間の記憶は不確かなものだと、つねづね反省した方が良い。

「忘れたころに、災害がやってくる」

 この惨禍のたぐいは残念ながら、これからも繰り返されることは間違いのない現実だろう。

自然の恵みの中で、人間の無力を感じてしまうのだが、せめて後世の人に、

「天災は忘れた頃にやってくる」

 この昔からのことわざが、真実であることだけは伝えたい。