小松弘子のブログ

やさしいエッセー

戦争、あの日を忘れないで

 私たちは人生というレールの上を、日々黙々と歩いている。その旅の途中、普段は忘れている過去の思い出に、ふと立ち止まるときがある。さまざまな過去の出来事が一瞬にして脳裏をかすめ、しみじみと感慨の深さを味わったりもする。

楽しい思い出なら幸せだが、戦争体験のような悲惨で深刻なものであれば、一刻も早く忘れ去りたいと願う。結局のところ何事も時間が解決してくれるのだろうが、単に忘却という形で消し去りたい場合もある。しかしながら忘却は、予期せずに蘇る性質を持ち合わせている。

先日の体操教室で、実技が始まる前のことだった。

その日、ご主人と沖縄旅行へ行っていた人が、一週間ぶりに教室に顔を見せた。

そのことを知らなかった人が、

「おはよう。今日は梅雨の晴れ間で良かったわね。けれども独特のむし暑さでたまらないわね。そうそう、あなた先週お休みだったけど、元気にされていたの?」

「まあ、心配してもらって有難う。あなたに旅行に行くことを言わないで、ごめんね。一昨日、沖縄旅行から無事に帰ってきたわよ」

一週間前に沖縄旅行から帰ってきた人の嬉しそうな声がした。体操が始まるまでの数分間、沖縄県の名物料理や名所旧跡の話題でもちきりだった。私は沖縄に行ったことがないが、話の内容から有意義で楽しい旅だったと感じられた。

そのうち土産話が沖縄基地周辺の話題になった。軍事基地の話から、とうとう戦争の話題に移った。そのとたん、さっきまでの楽しい雰囲気が一瞬にして消えた。なにかしら教室全体の空気が重苦しくなったように感じた。

教室の大半は子供時分に戦争を体験したか、直接的に戦争を体験しなくても、親から話を聞かされている六十歳以降の人ばかりだ。

終戦が近いあの日、沖縄の若い女性達が断崖絶壁から海へ身を投げたのよね。昔からテレビとか写真で見たことがあったわね。ひめゆりの塔の話は悲しい結末で、絶対に忘れたらいけないと思うわ」

 話を聞いていた先輩の一人が、久しぶりに声を荒らげた。いつもは穏やかで心優しい人だ。戦争の話になったとたん幸せそうな彼女の表情がさっと消え、悲しみに変わったのを感じた。戦後七十年という長い時間が経っても、どこまでも心に影を落としているのだ。

「あの頃、被害がなかった垂水区でも、神戸大空襲で疎開してきた大勢の人で食糧が不足したのよ。神戸市の長田区、須磨区辺りから命からがら街にたどり着いても、身体中やけどを負って、本当に悲惨だった。戦争など今後も絶対に嫌だし、思い出したくもないわ。けれども私達の体験は次の世代に引き継いでほしいと思っているのよ」

「そうだったわねえ。私も戦争の時は子供だったけれど、幼馴染や同級生が死んでいったことを知らされた時は、本当に残念で辛かった。同級生の兄弟が高等小学校二年の終わりに、先生に薦められ兵隊に志願したの。志願兵の意味も分からないのに、親に内緒で仏壇の引出しから勝手に印鑑を押して提出してしまったの。その子も結局は戦死してしまった。本当に残念だし、今思い出しても可哀相でたまらないわ」

 その当時を思い出したのか顔が青ざめ、少し涙声になっていた。私は高等小学校二年生の男子までもが戦争に駆り出された話に衝撃を受けた。とても信じられない事実が存在したことが情けなかった。同時に許されない現実が、当時まかり通っていたことに大きな憤りを感じた。まさしく日本の狂乱と荒廃の時代だった。人間の心に正義と秩序が失われた無駄な戦争だった。

「私達の不幸な戦争体験を、次の世代の子供達に絶対に伝えなければいけないわ。戦争を絶対に起こしてはいけないことも」

「あの日を忘れないでいてほしい」

 いつも以上に戦争の話が、教室のあちらこちらで囁かれた。具体的な戦争体験談が何人からも聞け、いっそう胸が熱くなった。

 例えば、近畿圏の街が大空襲で焼けつくされ、燃えさかる火の中、死人を踏みながら無我夢中で逃げまどったこと。他にも身ぶるいしそうな恐怖を体験した人もいた。人間の心と魂を揺さぶる戦争体験談の数々。子供の頃に自分の親から戦争体験を聞いたりしたが、今日の皆の話は一段と悲壮感が漂っていた。

「皆さん、そろそろ、体操を始めましょうか?」

 先生の声で皆、ハッと我に返ったみたいだった。私は体操をしながら、さっきの話がグルグルと頭を駆け巡った。

現在、日本に戦争は起きていない。将来も平和な時代が続き、誰もが戦争は起こらないと考えているだろう。果たしてそうだろうか?

戦争は人間の果てしない過った欲望と、無能力で起きるものだと思う。争いは人類の存在が始まった時から避けようのない性みたいなものだ。だから世界中どこでも戦争のような非常事態が、時として起きる。

近年でもヨーロッパ周辺で、テロ事件が相次いで起きている。テロ事件から戦争に発展する可能性がある。何かと落ち着かない世界情勢でもある。

過去の過った戦争を繰り返さないように、一人ひとりが真剣に平和を考えてほしい。

「戦争、この日を忘れないで」この言葉を大切に!