小松弘子のブログ

やさしいエッセー

平和と現実

  神戸ではジャズが今も愛好家にもてはやされている。私はジャズのことはあまり知らないが、一度は生演奏で聴いてみたいと思っていた。そんな折、ちょうど体操教室の友人達とジャズを聴けることになった。

 生協の集会室でボランティア活動の一つである音楽会がある。月に一度、アマチュアのジャズバンドを招いて、ささやかな音楽会を楽しむ催しである。組合員の人達の有志がお世話をしているらしく、部屋中コーヒーの香りが充満して、楽しそうな雰囲気に包まれていた。

「こんにちは、宜しくお願いいたします。」

どの人も幸せそうな笑顔で接待してくれた。日本のごく平和な日常の会話だ。

「ゆっくりして音楽を楽しんでね」

「どうもありがとう。お世話は大変ですね」

 しばらくしてからジャズバンドのメンバーの演奏が始まった。ボーカルの女性の歌はとても上手で、楽しい時間を過ごさせてもらった。

 帰り道に友人達と、朝のテレビのニュースについて少し話をした。

北朝鮮のこと、どう思う」

「はっきり分からないけど、今日何か問題が起こるかもね」

三人それぞれ好きなことを言って帰っていった。

 戦後日本の平和は、今日まで何とか維持されているように見える。が、世界中でテロや暴動が頻繁に起こっているのは事実だ。日本の安全も決して確約されてはいないことを、今の若い世代は関心を持っているのだろうか。

 私が高校生の頃、社会科の授業で今も頭に残っていることがある。戦後二十年もたった昭和四十年の平和な頃の話だ。先生は、若い世代の私達に質問を出された。

 「今、君たちは平和が当たり前のように思っているだろうが、いつか世界のどこかで戦争が起きると考えたことは、ありますか?」

 皆はその質問に不思議そうな顔をしていた。いまさら戦争なんか自分に全く関係ないとか、過去の戦争の話など興味がないと、ざわざわした声が起こった。

「今すぐの発言は無理みたいなので、次の授業までに考えて下さい。大事なことだから」

 先生は、少しがっかりした顔で教室を出られた。

 生徒たちは授業が終わるや否や、戦争の話などそっちのけで雑談に花を咲かせた。それもそのはず、私達は戦争を知らない世代だった。ただ私の両親は悲惨な戦争を経験していたので、幼い頃からよく聞かされていた。けれども子供心に、あー又かと、同じ口調に退屈したものだった。

 それから数日後の授業で、ほとんどの生徒は、あの日の先生の質問のことを忘れてしまっていた。

「本当に残念だなあ。君たちの意見を聞くことができなくて。でも、一人でもいいから世界の情勢に目を向けてほしいな。日本の将来と、自分のためにも」

そのあと私は、先生の質問を毎日のように考えていたが、あの時自分の思ったことを言えば良いのに結局、皆の前で意見を述べることは出来なかった。

 私は世界中で、いつか戦争は起きると書いた。なぜならば宗教が違えば、永遠に紛争が絶えないからだ。しかも人間の心はさまざまな欲望にさいなまれ消えることはない。小さな日本でさえ昔から勢力争いが絶え間なく続いた。悲しいかな人間の欲は尽きないものであるから戦いは果てないと……。

「では皆さんの中で、将来戦争が起きると思う人は、自分の考えをノートに書いておいて下さい」          

しかし、私はそのノートを先生に出すことはなかった。あの時、先生に提出して感想を聞きたかったと、今でも後悔している。

 卒業して何十年かして先生が亡くなられたことを知った。あの時の授業よりも修学旅行で、「りんご追分」や九州地方の名曲をとても上手に歌っておられた先生を思い出すことが多い。もう一度だけでもお会いして色々お話を聞きたかったのに本当に残念だ。

 戦後七十年を迎える中、今また世界中が黒い霧に包まれようとしている。これまでにも色々な危機はあったが、何とか乗り切って、世界的な戦争にはならなかった。

 そして今、テレビのニュースは毎日のように北朝鮮の問題を取り上げている。特にアメリカ、中国、ロシアそして日本の動きを世界中が見守っている感じだ。

 いつまでこの不穏な空気が広がっていくのか、誰も予測がたたないのが現実だ。

ふと、昔に観た『戦争と平和』という映画を思い出した。原作はロシアの文豪トルストイの名作である。

 この映画は、破竹の勢いで進むナポレオンのロシア侵攻を背景に、国と国との対立、陰謀、悲恋を描き、アカデミー賞にもノミネートされた大作である。時代背景は違っても、些細なきっかけで戦争は起こり、大勢の人が犠牲になった。最後のシーンでは人々が平和の有難さと命の大切さを改めて知るのだ。

 いかなる理由があろうとも戦争を起こしてはならない。なぜなら犠牲になるのは罪のない一般市民だから。

 平和についてもっと一人一人考えなければならないと私は思った。