小松弘子のブログ

やさしいエッセー

のど自慢大会本選出場やいかに

のど自慢大会の予選出場が決まってから、あっという間に何日かが過ぎていった。出場は本当に嬉しかったが、いよいよ日が迫ってくると不安になるものだ。喜びと不安の気持ちを早く誰かに打ち明けたい衝動にかられた。そこでなるべく気を遣わない人が一番良いと考えた。

ある日、私は体操教室の仲間に予選出場のことを喋った。前日に体操の先生だけには伝えていた。

「まあ、それはおめでとう。予選出場、本当に良かったわね。今週の土曜日に、必ず応援に行くからね」

 早い返事を聞いて少し驚いたが、嬉しかった。四人とも心から喜んでくれたと思う。

「本当にありがとう。でも、明石駅から会場まで徒歩で二十分かかるけれど大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。あなたは何も心配しなくていいのよ。歌のことだけ考えていればいいのよ。絶対に観に行くから頑張るのよ。曲名は越路吹雪の 『サン・トワ・マミー』なのね」

皆に曲名を伝えたものの、この歌の難しさを誰も知らない。予選のはがきを出した日から、昨日のレッスンまで一心不乱に練習に励んだ。けれども歌の先生曰く、

「ウーン、のど自慢大会で鐘三つを鳴らすのは難しいかもね。まあ、できるだけ数多く練習するしかないね」 

と言われたので本当は少し落ち込んでいた。

「あなたは歌がうまいからきっと大丈夫よ」

誰かの明るい声がした。皆が励ましてくれているのを感じた。あーあー、覚悟を決めるしかない。もう後戻りはできないのだ。頑張ろうと思い直した時、

「小松さん、孫と二人でこんなものを作ったのよ。初めは団扇に字を貼ろうと思ったけれど、同じ作るのだったらちょっとでも目立つようにと、二人で考えたのよ」

 と笑いながら、先生がスマホの画面を見せてくれた。そこには応援用の派手なステッカーが写っていた。

「わあ、色の配色が素敵だし発想が面白いわ。若い人ってすぐにアイデアを思いつくものね。本当にありがとう。孫ちゃんによろしく言ってね」

 心のこもったプレゼントに胸が熱くなった。私のためにいろいろ気を遣ってくれているのだ。いつも何かとお世話になっている先生と皆の優しさに感謝した。

 そしてとうとうのど自慢大会の朝を迎えた。なぜか昨日までの歌の心配は、嘘のように消えていた。私は大事な歌のことより、今日の衣装ばかりが気になりだした。今日に限って着ていく服が決まらなかった。

ふと時計を見ると、もう時間があまりなかった。

呑気そうに新聞を見ていた息子に、

「どれを着ても駄目なの。どの服が一番良いと思う」

と尋ねたが、

「分からへんわ」の一点張りで、どうも埒があきそうになかった。

「もうー! 何でも適当で良いから決めてくれても良いのに……。そうだ、今日は予選会だしあまり目立たない服装の方が、落ちた時に都合がいいかも」

 いろいろ迷ったが結局のところ去年の夏に買った服に決めた。普段着なのになぜか心が落ち着いた。

 数分後、息子の車で明石市の予選会場へ送ってもらった。明石市民会館前は出場の老若男女と大勢の観客で、会場はざわついていた。明石市職員とNHKの係が、それぞれの分野の案内をしていた。

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明石市民会館

「さあー、出場の方はここに並んでパンフレットを受け取ってから、順次会場に入って下さい」

思ったより丁寧な説明をしているように感じた。殆どの人が会場の中を右往左往しているように見えた。のど自慢大会、独特の雰囲気だと感じた。

初めの説明会の時に赤い着物姿の女性を見つけた。

「えーっ、予選会なのに、これはどういうこと?」

私以外に違和感を持った人が何人かいたように感じた。更に周りを見渡すと、ものすごく派手な格好の人達が目に入った。

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「さあ皆さん、もし予選会で合格したら、明日は必ず今日の服装で出場して下さい」

私はテレビ局の説明を聞いてとても驚いた。そこで隣の人に尋ねた。

「そんなことは何も聞いていなかったわね。あなたはそのことをご存知でしたか?」

隣の席の人はぽかんとして私の顔を見た。

「そうね、今聞かされて驚いたのよ。全然知らなかったわ。もっとおしゃれしてくるのだったわ」 と頷いた。

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 今回の出場者だけで二百五十人いた。その中で本番のテレビに出られるのは二十組だけだ。ひょっとしてもう闘いは始まっているのだろうか? 何だか分からないが、先を越された感があった。本番に選ばれるためには他の人より目立つことも大事な要素なのだ「あーあー、もういくら頑張ってもだめかもしれない」

 私には全くパフォーマンスの要素がないことに愕然とした。一回目の作戦の失敗だと思った。

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二十分位いろいろな注意事項やら、番組の面白い流れの説明があった。聞いた話はどれもが興味深かった。時折、会場一杯の観客の大きな笑い声や拍手が楽しそうに聞こえた。しかしながら出場者の席は緊張感が漂っていた。間もなく係の人から二十人ずつ十三組に分けられた。そして一人ずつステージの真ん中に立ち、慣れない生バンドの演奏に合わせて歌っていった。一人の歌う時間はメロディーを含めても約三十秒である。審査員であるプロが二小節くらいの歌声で、予選の合否を決めるという。本当に公平なのか、少し疑問は残るが、ルールだから仕方ない。

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司会者は言うまでもなく、のど自慢大会でお馴染みの 「小田切千さん」 である。初めて拝顔したが、いつもテレビで見られる人懐っこい明るい性格が感じられた。話術も上手で好感の持てる人だった。

番組は次々と順調に進められ、三時間余りが楽しい雰囲気の中で過ぎていった。ほとんどの観客が飽きることなく、今日ののど自慢大会に酔いしれているかのように思えた。人気の長寿番組らしさを感じた。

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 そしていよいよ私の出番になった。前の日まで確かに落ち着かない日が続いたのに、ステージでは不思議なくらい緊張はしなかった。生バンドで歌うことに不安はあったが、少しは普段通りに歌えたと思った。しかしながら、これから歌の利かせどころなのに容赦なく退場させられるのだ。観客は面白いかもしれないが、出場者はたまらなく不満だろう。私は出番まで百十組も見たことで少し興ざめした。

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私は自分の歌が終わるとすぐに、応援してくれた体操教室の仲間の席へ向かった。

 皆の姿が見えたので嬉しくなり走っていった。

「良かったわよ。歌も上手だったわ」

「どうもありがとうございました。皆さんのお陰で無事に歌えたと思っています。ここまでの道中は大変でしたでしょう」 

 と私が言うと、

「あなたがのど自慢大会の予選に出てくれたお陰で、皆はとても良い思い出ができ喜んでいるのよ。こちらこそ楽しい時間が過ごせて、本当に良かったわ」

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私は皆の元気な声とにこやかな姿を見て安心した。結局のところ全部で七人が来てくれたのだ。

 皆と一緒に四時間ものど自慢大会を見られたことは、私自身も本当に嬉しかったし、良い思い出になったと感謝している。

 皆を見送ってから後半の予選会の会場に戻った。間もなくその中に高校三年生になったN・Aちゃんが歌っているのを見つけた。私は彼女が小学四年生くらいから、歌が抜群に上手なのを知っていた。その後も毎年カラオケの発表会で顔を合わせた。そのたびに歌の上手さと成長ぶりに驚いたものだ。

「あーあー、N・Aちゃんには誰もかなわないだろう」今までに数々の賞をとっている歌のチャンピオン……。

 彼女の出場は本当に嬉しく、今日も本番を勝ち取ってほしいと願った。ただこの時、私は今日二回目の完敗を味わった。予選会か始まってから七時間後、審査発表があった。結果は当然ながら私は本番に落ちた。他に多くのライバルがいたことも確かである。

のど自慢大会の予選でさえも、本当に難しいと感じたのは私だけだろうか?

私の場合は何といっても、キャラがないのが致命傷かもね……。

九十歳を超えたら、もう一度挑戦したいと思っている。巷ではこの歳を迎えると、本番出場の確率が高いらしいと聞いたから……。