小松弘子のブログ

やさしいエッセー

NHKのど自慢大会予選に挑戦

 

今日もむし暑い一日になりそうな朝だった。

「お母さん、十月にNHKのど自慢大会が明石市民会館であるらしいよ!」

 突然に新聞を見ていた息子の大きな声が聞こえた。 

隣の台所で朝食の用意をしていた私は、

「ええーっ、本当に! こんな近くでのど自慢大会があるなんて信じられないわ」

 ビックリして息子のいる部屋に駆け込んだ。

「どこ、どこ。のど自慢大会の記事はどこに載っているの。早く見せて。応募の締切日はいつ?」

「ほら、ここの欄に載っているよ。そんなに慌てないで。よく読まないと失敗するよ」

 息子は以前から私の歌好きを知っているので、たまたま小さな記事でも見つけてくれたのだろう。

 私は朝食の準備をすっかり忘れて、その記事を読み返した。ずいぶんと昔から一生に一回は、のど自慢大会に出たいと思っていた。その瞬間に、懐かしいのど自慢大会の思い出がふと蘇った。

 戦後八年位たったある時、それに似た催しがあった。まだ小学校に入学していなかった頃だと思う。近くの小さな空き地で町内ののど自慢大会があった。夕方に開催されたので、公園というか空き地は盆踊りの時のように、電気の光がともされ久々に大勢の人々で賑わっていた。子供心にいつもと違う賑わいと、物珍しい光景に見とれていた。

 何組かの大人の歌声に歓声が上がり、私もつられて歌ってみたい気持ちになった。そして大人の歌が何曲か終わると、子供達が次々と簡単な舞台に上がっていくのが見えた。よく見ると近所のお姉さんや友だちが、楽しそうに歌っているではないか。あっけにとられてぼうっと見ているところに、お母さんらしき人が寄ってきた。

「あなた達も歌ってみない? 一人でなくても皆で歌いましょうよ。何の曲か決めて頂戴ね」

 いつも一緒に遊んでいる友達が、 

「じゃあ、皆で 『みかんの花咲く丘』 を歌おう」 と言った。私を入れて五人で出場する羽目になってしまった。この曲は大好きで良く一人で歌っていたから、本当は人前で歌ってみたかったのだ。しかし、この頃はとても臆病だった。出場が決まった時は心臓が止まりそうになったのを覚えている。いつもおとなしい友達四人は以外にも元気よく舞台に上がっていった。

「さあ、あなたもみんなと一緒に歌いましょう」

 司会のお手伝いの人にせかされたが、私はとうとう立ち上がれずに、その場で歌が終わるのを待っていた。

 早いものであれから六十年余りが過ぎてしまった。今でものど自慢大会のテレビを見るたびに、皆と歌えなかったに自分に深く後悔している。

あの時から何年かたって、あんなに消極的だった私は活発な女の子に変わっていった。もともとおてんばな面もあったのかもしれないが?

このあいだのど自慢大会予選に思い切ってはがきを出した。運よく出場できるのか? 現時点では全く未定なので、毎日が本当に不安と期待で落ち着かない。もし当選して歌うことになったらどうしょう。

正直なところ、何年かはこの番組を見ていなかった。昨年から時々見ている程度で、それも自分が呑気に楽しんでいるだけだった。今、本気で出場の応募をするなんて、なんと浅はかなのだろうか?

 もっとのど自慢大会のことを知らないと恥をかく。そこで昨年残念ながら予選で落ちた知り合いの人に、詳しいことを教えてもらった。

その人の話によると、例えば歌がうまくてもそれだけでは予選決定は無理らしい。本番出場に選ばれる決め手は、特に番組を盛り上げるためのエピソードや、パフォーマンスなどが面白い人に大変有利らしい。その他いろいろな情報を得たが、それを聞くたびにだんだん自信を失くしている。やはり自分の実力と運がつきまとうのだろうなー。

はがきの当選通知が届くまで、あと五日後となった。あー、あー、ため息が出る程長い二カ月だった。