小松弘子のブログ

やさしいエッセー

宝(た)、空(から)くじ

「宝くじ」、「宝(た)、空(から)くじ」とも言う。

 何回買っても当たらないもの。多くの庶民の夢であり希望の星である。宝くじの当たる確率は巨大な隕石が地球に衝突するよりも低く、交通事故に遭う確率よりも低いらしい。一生に一度でも良いから高額の宝くじに当たってみたいとつねづね思っているが、今もって当たったことはない。

 お金は命の次に大切であるから、宝くじに当たれば夢の大半が手に入るわけだ。

「宝くじ」、その言葉を聞いただけでパアーと目の前が照らされて光り輝く。恐らく日本だけではなく世界中の人の羨望の的になっている。一攫千金を狙って世界中で販売され数々のドラマを巻き起こしているに違いない。人間の欲を掻き立てる大物、それは「宝くじ」。

 最近日本では一年中毎日のように宝くじが発売されている。私も三十年前から宝くじに興味を持ち、時々買っている。五十年くらい前は宝くじの発売は年に十回くらいだったが、いつの間にか毎日のように手を変え品を変え売り出されている。日本中で宝くじ売り場は何万軒か存在するらしい。

 ある時、なじみの宝くじ売り場で親切なおじさんに宝くじに関する質問をさせてもらった。特別に当たる良い秘訣があるかどうか聞いたが、宝くじを売っている本人でさえ詳しい情報は勿論のこと、一般の人と全く同じで何も分からないらしい。

「宝くじ」、買っても当たらない。買わなきゃ尚更当たらない。私の父が冗談のように言っていた口癖を思い出す。なるほどその通りだ。

 父は、五十年間飽きもせず一攫千金を狙って、近畿一円ジャンボ宝くじを買いに奔走していた。年老いて亡くなる寸前まで宝くじを手に握って自分が当たった時のことを想像して嬉しそうに話をしていた。入院してからも宝くじの発売日が近づくと、内緒で買ってきてほしいと頼まれた程だ。

 そんな父だったが、結局五十年間何回買っても、とうとう大口は当たらなかった。今思えば宝くじにあれほど執着出来た人も滅多にいないだろう。                       

計算してみると、五十年間買い続けた宝くじの金額は相当なものだ。結局のところ宝くじの勝負に父は負けたのだ。

父がまだ元気だったある日、私は実家の押し入れの布団の下になんと紙袋に入った三千枚のジャンボ宝くじを五袋見つけた。母が父より先に亡くなってから、宝くじを買う楽しみを見つけて時々買っていることは前から薄々知っていた。

「ねえお父さん、この袋に何が入っているの?」

 私は何気なく尋ねた。

「あっ、これこれ、その袋触ったらあかん! それは、わしの大事な枕や」と言って、父は慌てて押し入れの戸を閉めようとした。

「ちょっとだけ見せてよ! それって、枕じゃなくて宝くじが入っているのと違うの?」

 私はその中の一つを無理やりに手に取った。そうすると父は言った。

「あーあー、仕方ないな。その一つだけだったら見てもいいよ。他のは宝くじと違うからね」

 父は、バツ悪そうに笑った。

「ついでに他のも見せてよ。宝くじだったら、皆で当選番号を見た方がいいでしょ。夫にも言って、応援してあげるわ」

 私は面白くなって、他の四個の包みの中身を取り出した。

「お父さん、枕じゃなくってやっぱり宝くじじゃないの。今、番号を確かめないと期限が過ぎて無効になってしまうわ。その方がもったいないでしょ。」

 父は言い出したら聞かない私の性格を知ってか、半分諦めたようだった。

 次の日、一日の仕事が終わって一緒の帰り道で父がぽろりと呟いた。

「自分で当選番号を見るのを楽しみにしていたのに……」

その時の父はなんだか寂しそうだった。私は少し悪いことをしたなと思ったが、もう後には引けなかった。

 母が先に亡くなって、一人で一匹のワンちゃんと七年も暮らしてきたのだから、宝くじに走るのも無理はない。宝くじが唯一の楽しみだったのか、余程寂しかったのかもしれなかった。

「ごめんね」と今なら私も言えたのに……。

 そして、宝くじの袋を自宅に持って帰り、夫と一緒に有効期限が迫った物から一枚ずつ照らし合わせていった。一つの包みに宝くじが三千枚あり、私も夫と一緒に番号を見ていたが、百枚を超えると疲れてしまい、目と頭がボーっとして何をしているのか全然分からなくなった。

宝くじの当選番号を調べていた夫が私に言った。「お父さんは買うだけが楽しみだったのかもしれないなあ。人間の目では三千枚を見るのなんて無理だよ。それに五万円の当選したくじが何枚か出てきたし、三千円もたくさん出てきたよ。お父さんに伝えた方がいいんじゃない?」

 正直で真面目な性格の夫らしい発言だった。

「そうね。家も近くだからすぐに父に持っていくわ」私は歩いて父の家へ行った。

「お父さん、あの袋の中から三等とか四等とか出てきたよ。一度も見てないのと違う?」

 父は穏やかな顔で何も驚かなかった。

「分かっているよ。一等と二等だけ当たればいいから、連番の当たりだけを見ていたんだよ。その他はどうでもいいから、見てなかったんだ」

 その言葉を聞いて、あんなに一所懸命に一等を探したのにと私は呆れてしまい、力が抜けてしまった。

「しんどいのに、当選番号を見てくれたお前たちに当選した分と残りの分は全部あげるよ」

そう言うと、父は何事もなかったように新聞に目をやった。

「でも、主人も皆返した方が良いと言っているから、一応は当選の分は渡しておくわ」

「いいよ。いいよ。当たった宝くじはお前たちにあげるよ。子供の塾の費用に使いなさい」

父は、優しい声で言った。

「ありがとう、お父さん」

私は家に帰り夫にそのことを伝えた。夫はニコニコして残りの宝くじを新聞と睨めっこしながら作業を続けていた。私は百枚見たあたりで限界を感じたので、もう当選番号を探すのは諦めた。

これほどまでに人間を夢中にさせる宝くじ。それは夢か、幻か、不思議な代物だ。

私は最近あまり宝くじを買わなくなった。それは父がいつも言っていた言葉を思い出すからだ。

「こんなものに夢中になったら、あかんよ。人間が阿呆になってしまうから。宝くじは暇な年寄りが遊びで買うものだよ。若い者は一所懸命働いて死ぬまで頭を使って生活しないといけないよ。今までに宝くじは何回か小さいのが当たったけど、コンピューターシステムに変わってからとんと当たらなくなったよ。年を取って自分のカンが働かなくなったからかもしれないけど」

 それから間もなく、父の宝くじの爆買いはめっきり減ってしまった。

 六年後、母の七回忌を済ませ、元気な父は八十八歳でこの世を去ったが、ジャンボ宝くじの大口には、とうとう当たらずじまいだった。一回くらいは当たってみたかっただろうなー。

父の性格は気が短く、人一倍頑固だったが、ユーモアがあり面白い人だった。

 私は今もジャンボ宝くじが発売されるたび、あの時の宝くじの枕と、父のことを思い出す。