小松弘子のブログ

やさしいエッセー

信州の旅㈡

 一日目のヒスイ海岸の見学を終え、遠くに残雪が光る妙高山の頂を眺めながら、新潟県に入った。山々の美しい景色は、飽きることなく続いた。

「こんな素晴らしいところで毎日暮らせたら、どんなにか幸せだろう」

 そんなことを想っているうちに、午後四時頃に宿泊先のある湯沢町に到着した。

 小さな民宿が何軒か見えた。今日のお宿だ。冬だとスキー客でにぎわうだろうと思っていたら、一組の若い夫婦が、

「こんにちは。まだ雪が残っているので、今からスキーに出かけます。よろしくね」

 と先に挨拶をしてきた。

「へえー、五月になっても、まだ滑るところがあるのですね。私達は今日の朝、神戸から来ましたが、お二人はどちらから来られたのですか?」

「はい、静岡県からですが道が混んでいましてね。やっとのことで、今着いたのですよ。まだ一時間くらいスキーができそうなので楽しみにしているのです。神戸には昨年仕事で行ったことがありました」

「まあ、そうだったのですか。また神戸に立ち寄ってくださいね」

私達はやっとのことで宿につき、ホッとしたばかりだというのに、今からスキーに出かけるという若い二人に驚いた。あっけにとられてポカンとしているところに、宿の主人が顔を見せた。のんびりした口調で、いろいろとこのあたりのことを説明してくれた。

「今年は久しぶり雪が残っていて、この近くのゲレンデでまだスキーができるのですよ」

 二階へ案内されたが、テレビがあるだけの部屋ばかりみたいだった。部屋は殺風景でいかにもスキー客用の作りだった。

「まあ、連休だから宿泊できるだけで有り難い」

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野沢温泉(長野県)

 宿についてから夕食までに二時間くらいあったので、まずは宿のお湯につかってみようと、小さな浴室へ行った。温泉のお湯はツルツルとして、疲れがとれそうに思った。効能の良さは言うまでもない。案内所でこのあたりの民宿は湯が豊富なので、どこの施設でも無料で入れると聞いたが、この宿に入浴できただけで満足だった。夕食の野菜料理は新鮮でおいしかった。

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野沢温泉(長野県)

 次の朝は湯沢町を散策した後に、旅のメインの「善光寺」を目指して出発した。善光寺は昔から「牛にひかれて善光寺参り」とか、「一生に一度は善光寺参り」と言われているくらい庶民の信仰が厚いお寺である。創建千四百年になると聞いたが初めての「善光寺」、どんなお寺だろう。

千曲川沿いに、満開の菜の花が何キロも植えられていた。松本市まで二十回以上も千曲川に架かる橋を渡ったはずなのに、また橋が見えてきた。

「さっき橋を渡ったばかりなのに、また橋を渡るのね。千曲川は幾重にも曲がって流れているから、千曲川の名前がついたのね」

長野県は山あり川ありの自然が多い。特にこの季節の花や木は良く育ち、緑一面の景色が広がって美しいと感じた。

 川沿いの桜並木もちょうど見ごろを迎えていた。そうしている間に善光寺の案内板が、あちらこちらで目につくようになった。徐々に道路沿いは観光客と車であふれてきた。お寺参りの人の多さに驚いた。年間のお参りは六百万人以上らしい。

「わあ、さすがに有名な善光寺だわ」

 数分後に運よく駐車場が見つかり、皆でお寺へと歩いた。この日は初夏のように暑く、少しの坂道も辛いと感じた。

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善光寺(長野県)

「一生に一度の善光寺参りだから我慢しよう」

 三十分以上は歩いただろうか? ふうふう言いながら顔をあげると正面に大きな門が見え、本尊にたどり着いた。お寺の境内は参拝をする大勢の人で賑わっていた。阿弥陀如来像近くで手を合わせた。

「やっと善光寺参りができ、有難うございました。また来られますように」

 お賽銭を入れて、それだけを祈った。もっといろいろお祈りしたい、と思っていたが、慌ただしさに何も浮かばなかった。

つづく

信州の旅 ㈠

元号が令和になって、初めての大型連休を迎えた。四月二十九日から三日間は雨模様だったが、後半の五月二日以降は全国的に晴天が続くと知った。せっかくの休暇なので、家族と一緒に旅に出たいと思い、長男たちに旅の計画を持ちかけた。

行き先を相談した結果、まだ旅行していない長野県の善光寺辺りに絞った。長野県の民宿到着への所要時間は、車でおおよそ十時間かかるらしい。ゴールデンウイーク中なので運が悪ければ渋滞に巻き込まれ、それ以上になる恐れもある。皆は遠距離の旅になるので、少し慎重になっていたが、私は旅の実現ばかりを祈っていた。二時間くらい思案したが、何とか善光寺だけでも行こう、と決めてくれたのでホッとした。

長男は東名高速道路を利用するより、山陰地方から越前海岸を走り、新潟県から信州方面に入った方が早いと考えているようだった。出発日はのんびりと日本海の海岸線を走り、長野県ではりんご畑を散策する予定になった。二日目にメインの善光寺にお参りして、三日目は上高地を訪れることにした。

「だいたいの計画はできたが、さて信州方面にまだ宿泊できる施設が、残っているだろうか?」

 そのことが一番気にかかった。前日の朝、近くの旅行案内所二軒を当たったが、善光寺近辺では空きの宿が無かった。

「もしかして小さなところだと、一軒ぐらい残っているかもね」

 と言って息子はスマホで何軒か探した。

「ああ、駄目かもしれない。この時期はなかなか良い宿が見つからないな」

「じゃあ、民宿でもいいのじゃない。旅を諦めるよりずっとましよ」

 とすかさず私が言った。 

 宿を決めるのにスマホで約一時間かかったが、なんとか二日分の民宿が見つかり良かった。やはり昨年の同時期よりも、どこも旅行客で一杯だった。 

 次の朝、自宅を午前五時半に出発。朝早く起きたので眠くて仕方なかったが、皆に悪いと思い必死で堪えた。

 出発から六時間くらいで、富山県翡翠海岸という海辺についた。名前の言われのごとく「ヒスイ」が砂に混ざっている、という話声が聞こえた。

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翡翠海岸

 私は眠くて車の中でうとうとしていたが、「ヒスイ」の声にパッと目が覚めた。

「本当にこの海岸にヒスイが摂れるの?」

 私が思わず大きな声を出したので、

「女性はこの件になるとゲンキンやなあ、ビックリするわ」

 友人があきれ顔で言った。

 

「だって、それって珍しいことなのよ。さっそくヒスイを見つけに行きましょう」

 私はサッサと車を降りて、広々とした海を見渡した。前日の雨上がりのお陰で、空が真っ青だった。空気が爽やかで、とても良い眺めだった。靴だと歩きにくいと思ったが、砂浜を駆け抜けた。

 波際まで一気に走ったので案の定、靴に砂と水が入ってしまった。

「車の中に砂を持ち込まないでよ」

 誰かが言ったが、

「大丈夫よ、気を付けて乗るからね」

 と言ったが、靴の中は砂が一杯だった。天気が良いからすぐ乾くし、どうでも良いことに聞えた。

 広い砂浜には家族ずれなど、三十人位の観光客が思い思いにヒスイを探しているように見えた。どの石がヒスイなのかはわからなかったが、それらしきものを二十個ビニール袋に詰めた。

 近くで砂を掘っていた人が、

「案内所で砂の鑑定をしてくれるそうよ。ヒスイだったらいいのにね」

 と親切に教えてくれたので早速持っていった。

「ウーン。残念ながら全部ヒスイと違うね」

「あら、そうなの。でも旅の思い出に持って帰るわね」

 係の人は、ヒスイの見本を見せて説明してくれた。

つづく

桜を求めて

 明るい春の日差しを感じる今日この頃、日ごと桜の話題が増えてきた。花好きな私には嬉しい季節である。連日のようにテレビや新聞のニュースで、桜の開花を知らされる。日本の桜は世界中で、一番美しいと言われている。

平年に比べ今年は東京方面の桜の開花が早くて、四月一日にもう満開をむかえた。関西では開花が遅くなり、見ごろは一週間後になるらしい。平年よりお花見が遅くなり残念だ。

私は桜の花を一日でも早く見たいと、まだ肌寒い四月六日に、西宮市の桜の名所の夙川公園を訪れた。公園に着くまで満開の桜を期待してワクワクしていたが、まだ四分咲でお花見には程遠かった。それでも川べりは綺麗に咲いていたので嬉しかった。公園付近は花見客で一杯だった。日本人は桜が本当に好きな人種だと、あらためて感じた。

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夙川公園(西宮市)

次の朝、体操教室の仲間と顔を合わせたので、近くで桜が見られないかと尋ねた。

「おはよう。昨日西宮市の夙川へお花見に行ったのだけれど、まだ早すぎて残念だったわ。あなたはどこかでお花見された?」

「ううん、まだなのよ。この近辺もあまり咲いてなさそうよ。今年の春は寒くてお花見どころじゃないわ。それに今頃の季節にコートを手放せないのも、少し変だわね。本当にいつまで待てば咲いてくれるのかしら」 

 全く同感だったので少し可笑しかった。

「まあ、そのうちに咲くでしょう。今年は気長く待つことね」

 やっぱり関西地方の桜の見ごろは、まだ当分先になりそうだ。誰も満開の時期を予想できないようだった。

その次の朝は、たまたま長男の勤務がなかった。

「お母さん、徳島県神山町の桜が満開らしいよ。以前から一度行ってみたいと聞いていたからね。今から桜を見に行ってみようか?」

「まあ、満開の桜街道が見られるなんて滅多にないから嬉しいわ。今すぐに出発したら、十一時過ぎには到着できそうね」

 桜見物にはもってこいの日和だ。早速、二人で車で行くことに決めた。また数日前に四国参りの歌ができ、今回桜街道がビデオカメラに収められたら、きっと役立つに違いない。

「わあ、ついてる、ついてる」 

 思わず斎藤一人さんの有り難い言葉が出てきた。信じるものは救われるか……。

 自宅を午前八時半に出発。淡路島の満開の山桜を横目に、鳴門海峡を十時に通過した。そのまま高松道に乗ったが、一度、徳島県吉野川を見たかったので市内に入った。少し行くと、すぐに雄大な川の流れが見えだした。やはり川幅が広くて大きい川だ。とうとうと流れる水に、ふと昔のことがしのばれた。

 何かの用で父母の故郷である徳島県へ家族五人で行く途中に、この吉野川に出会った。初めて乗る渡し船は珍しくて楽しかった。澄み切った川の美しさに惹かれ水を触ってみた。身を切るような冷たさだったが、船から降りるまで川面を見ていた。

 そんな遠い昔の思い出に浸っていたが、息子の声で我に返った。

「お母さん、もうそろそろ出発しないと、目的地に行くのが遅れるよ」

「はーい。さあ、待望の神山桜を見に行きましょう」

 カーナビを見ながら、桜を求めて山の方へ向かった。カーブが続く中、途中の道には枝垂れや山つつじなどが、沢山見られた。

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神山町徳島県

 走行中に桜祭りののぼりが目についたので、駐車場に停めた。平日だがどこも観光客でにぎわっていた。春風に揺れる神山町の桜街道のしだれ桜は、素晴らしく綺麗だった。他の花々も肥料が良いのだろうか。全体にいきいきとした美しさが際立っている。

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 桜の花は鑑賞できる期間が二週間ほどで、運が悪いとその年の満開の桜を、見られない場合がある。

今回は存分に桜の花を鑑賞でき、本当に満足な旅だった。

 

ラテンの歌に挑戦

 二月からシャンソンの 「アドーロ」という歌の練習を続けている。挑戦してから一カ月半になる。

今までは日本の歌を多く歌ってきた。ある時、体操仲間のYさんから、この曲を紹介されたのをきっかけに、ラテン系を練習するようになった。

アルゼンチン出身の歌手スサーナが日本語で歌っている “アドーロ” は、もともとスペイン語で歌われている曲らしいが聞き覚えがなかった。さて、どんな歌だろうか? 疑問はあったが、いろんな分野の歌も歌えるようになりたい。本音は珍しい歌に挑戦したかっただけかもしれない。そのうちにだんだんと五月の発表会に歌いたい、とまで思うようになった。

それでいつも通っている音楽の先生に、この “アドーロ” の歌を練習してみたいと言った。

「ああ、いいですよ。一九七〇年代にヒットしたシャンソンの曲ですよ。三か月ぐらい練習すれば、何とか歌えるようになるでしょう」 

との返事だったので少しほっとした。この歌に関して何も知らないので、いろいろなことを先生に尋ねてみた。シャンソンの歌にはいろいろ種類があり、歌の表現も難しいらしい。本当に五月の発表会までに、上手く歌えるようになるのだろうか?

初めての歌で不安だが、シャンソンの歌に挑戦する楽しみが大きかった。

「ねえ、小松さん。「アドーロ」 という歌を知っている? 何度かカラオケで聴いたのだけれど、とても素晴らしくて気に入っているのよ。あなたに合う曲だと思うのよ。是非機会があったらカラオケで聴いてみて」 

「Yさん、いつも良い歌を教えてくれて有難う。でも、そんなに好きな歌だったら、あなたが練習した方がいいと思うけれど」

「いやー。好きな曲だけれど結局は諦めたのよ。絶対にあなたに歌ってもらいたいの。五月の発表会を観に行くから、是非歌って聴かせてね」

「でもねえ、ぜんぜん知らない曲だし。まあ考えておくわ」

 その時は自分が歌うのかどうかも迷っていた。けれども体操教室でYさんに会う度に、この歌を薦められた。二週間たったある日、思い切ってカラオケ店で スサーナの “アドーロ” を聴くことにした。

「ボロロン、ボロロン」 ピアノが奏でる曲は、物憂げで寂しい。が、だんだんと情熱的なものになってきた。

なるほど、歌を長くやっているYさんが薦めるだけあり、とても良い曲で気に入った。

「よーし、頑張って歌えるようになろう」

 早速カラオケ店に行き、二回ほど練習したが難しくて歌えなかった。少しくらい歌えそうに思ったのに、ぜんぜん駄目だった。

 やっぱり歌の先生に相談してからにしよう。ということで今、猛練習のために教室に通っているのだが、思うように上達していない。そんなある時教室で、

「あのー、歌詞が日本語訳になっているので、歌いにくいですね。特に最後の方は難しい……」

 先生にそう言うと、

「そうですね。確かに日本語だと歌いにくいですね。最後の部分だけはスペイン語の方で行きましょう」

 と言って二回ほど丁寧に見本を歌ってくれたが、私はうまくいかなかった。

 あくる日、ラテン系の歌の得意な歌手のことを思い出し、Yさんとその人がやっているお店に行った。

「すみませんが、あなたに歌ってほしい曲があります。“アドーロ” ですが、お願いできますか?」

「やあ、その曲は長く歌っていましたよ。僕の持ち歌なのです。話は聞きましたが、あなたが言うように日本語で歌う方が難しいですね」

 と言ってすぐに歌ってくれた。さすがに聞きほれるぐらい上手かった。

「次回はスペイン語で歌いたいと思いますよ。日本語より歌いやすいのでね」

 歌手の歌が聴けて二人とも感激した。一時はこの歌を諦めかけたが、三か月の練習をめどにもう一度頑張ろうと思った。

ネットで格言を聞く

ある日パソコンの画面から、ふと今まで気付かなかった面白そうな見出しが目に入った。

 ユーチューブに目をやると、「神様の有り難いお告げ」 の題が沢山並んでいた。

「へえー、パソコンでこんな珍しい情報も提供するのだ」

 私は、「神様の話」の内容が知りたくなった。思い切って画面を見ることにした。

「お金持ちになれる話」 「幸福をつかめる話」 「誰にでもある人生の悩みの解決法」 など、無数にあるらしいのだ。時計を見ると午後四時になっていた。

そろそろ夕飯の支度があり、何件かに絞った。とりあえず自分の今年の運勢を上昇させようと考えた。

「開運」 に関する話を選んだ。人には振動数があり、振動数をあげるとツキが廻ってくるというのだ。また物に感謝すること、徳をつむこと、執着することなど。どれも当たり前の話だったが、今までその気持ちを忘れていたことに気がついた。見終わるのに一時間以上かかったが、特に日常生活で心得なければいけない内容が多かった。

 この方のお喋りは楽しくて、とにかく面白かった。家でリラックスして聴けるのが良かったし、いろいろ為になる話が素晴らしいと感じた。その他にも興味が湧きそうな多数の続編が紹介されていた。

 日々の暮らしの楽しみが、一つ増えた気持ちになった。見終わったその日は幸せをもらい、満足だった

もっと続編を見たかったが、夕方になり仕方なくパソコンから離れた。

「神様の言葉を、私達に伝える」 精神面の話だから本当は難しい内容だが、この方の声としゃべり方は凄い説得力がある。それでいて誰にでも理解しやすい言い回しだ。ますますこの手の話に夢中になりそうだった。今日の話は全部素直に聞けたし、本当に良い内容で心が洗われたと思った。

夕食の準備をしながら、ふと疑問が走った。

「神様の話」。もっともだけれど良い話を無償で提供するなんてありえない? と思いながらも快い気持ちになったのは事実だ。

次の日、仕事から帰ってきた息子に言った。

「今日もパソコンで神様の話を聞いたのよ。あなたも一度だけでも検索したら? 絶対に役に立つから」

「お母さんは単純で、すぐに何でも信用する癖があるから、ちょっとだけ心配やなあ」

「いーえ。この話は本当に良い内容が沢山あるので、きっとあなたに役立つ情報をくれるはずよ」

「まあ、その話にあまりのめり込まないように。上手いことを言って、何か高額な物を買わされそうやな。気を付けてよ」

 息子はあくまでも話に乗ってこなかった。あれから一カ月なるが、息子はパソコンを開いていないようだ。

 私も忙しくなり最近は暇な時だけ、「有り難いお話」 を聞いているが、どれもまともな良い話にめぐり合っている。こんなにも良いことは誰かに教えてあげたい。自分だけ知るのはもったいない。 

 ところがそれから二週間経ったある日、そんな話を体操教室でしていたら、そのうちの一人が言った。

「あなたから聞いてパソコンで見たわよ。本当に良いお話で感動したわ。でもね、このあいだ用があってある駅に行ったの。そしたらその人がかかわっているらしい例のお店を見つけたのよ。やせ薬などを売っていたわ」

 その言葉に返事もできなかった。まさか 「やせ薬」 を扱っているとは想像していなかったので、正直なところ驚いた。商売が悪いわけではないが、人は自分勝手なイメージによって、夢を膨らませることがある。タダより怖いものはないではないが、少し気を付けなければならないと思った。

今回、パソコンで随分の幸せをもらった。けれども本当の幸せは、そう簡単に手に入らないものだと悟った。

河豚を食す

 今年二月に友人達と美味しいフグを食べることができた。人は自分の好きなものを食べると、なぜか幸せな気持ちになる。勿論その人により異なるかもしれないが、多くの人は幸せを実感できる。今回も友人にフグをご馳走になり、大変おいしい思いをさせてもらい、良かった。

初めてこのフグ店の暖簾をくぐったのは十年前だ。友人のお招きが無かったら、おそらく一生涯フグを食すことはなかっただろう。毎年、夏はハモ料理をご馳走になり、冬は決まってフグを頂いている。どちらも家庭では味わえない高級食材なので、いつも有難いと感謝している。

今夜も友人達五人で店に入った。特にこの季節はフグ料理の注文が多いそうだ。店はお客さんが一杯で繁盛しているみたいだった。

「いらっしゃいませ。毎度有難うございます」 

板前さんの威勢のいい声が小気味良かった。私達が店に入ると数人の客が「にっこり」と、笑顔でこちらを振り向いた。好物の料理が気に入っているのか、幸せな時間を楽しんでいるようだ。私達は予約をしていたので、すぐに座敷に通された。

その時、隣の部屋に運ばれている料理がチラッと目に入った。すぐにフグコースの最初に出される唐揚げだと気がついた。この時期はやっぱり私達と同じものを注文していた。同年輩の女性グループだった。遅めの新年会かもしれない。この後の料理は「ふぐの酢の物、ふぐ刺し、ふぐちり」があり、最後に出される雑炊がまたおいしい。

九州地方では昔から、フグは庶民に愛されていると新聞で見たことがある。以後、全国で一般に食されるようになったが、今でも 「鉄砲」 と呼ばれたりする。即ち 「当たると必ず死ぬ」 からだ。食べず嫌いの人はおおかた敬遠する。しかしながら一度でもフグ料理を食すると、大抵の人はその美味しさの虜になってしまう。全く不思議な魚だ。けれど調理方を間違えたら本当に怖い食材だ。

フグのことわざに 「ふぐは食いたし命は惜しし」というのがあり、私も友人に勧められるまでは、もっとも苦手な部類だった。フグだけは一生縁がない筈だった。ところが初めて箸を付けた時から、だんだんと好物になり、フグの季節が待ち遠しくさえ思うようになった。以前は友人が絶対に大丈夫だと言っても、半信半疑で口にするのをためらっていた。

その後、中毒の原因はフグの肝臓にあると知った。テトロドトキシンという毒を上手く取り除けば、何も怖がることはないらしい。今思えば珍味なのに、もっと若い頃に知っていたらと後悔している。

ある時、五人の中の一人が言った。

「養殖のフグは天然ものに比べると安全だよ。毒がほとんどないから大丈夫だ」

この人は友人の旦那さんが病気にかかり、長年にわたりお世話になっている医師だ。私達もたまに病院にかかることがあったので、以前から顔だけは知っていた。以前から患者さんに親切で評判が良いと聞いている。いつも明るくて気さくな先生なので、私達も気後れしないでお付き合いをさせてもらっている。

十八歳までマレーシアに住んでおられたが、その後日本で医者になった。結婚してから日本に帰化され、今も皮膚科の医者として頑張っておられる。とても頼もしい六十二歳だ。この先生は私達よりずっと日本のことを知っている。日本人の気質や地理は勿論、食生活など何でも熟知しているので驚かされる。

今年も会食の予定時刻に来られていなかった。お忙しいのだろうと思っているところに、

「やあ、遅れてごめん、ごめん。皆元気だったかな? フグは好物なので楽しみやなあ。皆とも半年ぶりに会えるしなあ」

 と言って、でんと大きなお尻をついた。

 また一段と太っている! 奥さんと社交ダンスの競技会に出場する前は、いつもダイエットをして少しスマートになっていたが、どうも今日はその限りでない。人のことは言えないが、大きなお腹だ。競技会はまだなのだろうか? 十年程前から夏と冬に会食で必ずお目にかかっているが、今年は出場を断念したのだろうか?

「先生、今年の社交ダンスの競技会はまだですか?」

 誰かが聞いたが、

「やあ、もう歳だからゆっくりするのも良いしね。アッハハ」

それ以上誰も聞かなかった。何年間かご夫婦のダンスの競技会を見に行ったことがあった。確かに奥様の方がスマートでダンスが上手い。ひょっとして先生の体型に不満があるのだろうか?

「まだ先生は六十二歳なのに、年寄りみたいに言わないで。私たちは皆七十歳を超えているのよ」 

と友人が言うと、

「ごめん、ごめん。そうゆう意味じゃないよ。アッハッハ」

いつお会いしても庶民的で、あっけらかんな面白い言葉が返ってくる。けれどひとたび大事な話になると、大きな目がキラリと光る。今日も笑った顔が、弘法大師の像にそっくりだったので、

「顔が弘法大師さんに益々似てきましたね。お医者さんは困った人を救うのだから、弘法大師と同じで本当に立派だわ」

思わず私が言うと、

「いやー、嬉しいね。時々似ていると言われるけれど。アッハッハ」

この時、友人の旦那さんが初めて言葉を発した。

「本当に先生は偉いお人やね。先生にはいつも感謝しています。有難うございます。ドンドン食べて下さいね」

「いつも大好物のフグをご馳走になり有難う。僕としては貴方がドンドン元気になってきたので、本当に嬉しいよ。いつまでも元気で長生きして下さい。こうして皆で一緒に食べると一層おいしいね。さあ、乾杯だ」

皆幸せな顔で料理をご馳走になった。今夜の五人そろっての会食は、この上なく楽しい時間だった。

歌手人生 さまざま

 先日、体操の仲間七人と近くのカラオケ店に行く約束をした。どう考えても、平日の朝からカラオケに行くのは不自然な生活だが、思いついたYさんは平素からしっかり者で皆から信頼されている。誘われたとき面白そうな企画だったので、その店に行ってみたいと賛成した。三時間のカラオケが終わった後の、皆で一緒のランチも楽しみだった。

どんなカラオケ店だろうか? Yさんの話では一年位前に、自力でカラオケ店を開業したという。歌手の名前とか風貌は少し認識があった。又、息子達と同年代なので身近に感じる。プロフィール写真を見せてもらったが、今も爽やかで感じが良かった。

同じ神戸市出身なので、余計に母親の心情になり、応援したい気持ちになる。現在関西では名が通っていて、あちらこちらで活躍している。何とか有名歌手として大成させてあげたい、と友人達も期待しているスターだ。

ただ私には一つだけ気になることあった。それは、

「神戸から有名歌手は出ない」というジンクスである。昔からの迷信だと思われながらも、今も根強く残っている。この辺で是非ともそのジンクスを返上させたい。

 当日の朝こんなことを考えながら、バスで集合場所に向かった。まだ誰も来ていなかったが、そのうち次々と集まり皆で七人揃った。

「おはようございます。今日はよく冷えるわね。でも楽しいことが待っているから、さあ元気を出して行きましょう」

 体操教室で歳の若いYさんが言った。年配のNさんは八十歳を超えているが、元気が良いので誰かが誘った。初参加の彼女はいつもさりげないおしゃれをしていて若々しい。

「Nさんも歌ってね。一度あなたの声が聴きたいわ」「あら、ごめんなさいね。私はカラオケにいったことがないのよ。皆さんに誘っていただいて本当に嬉しく思っているのよ。皆さんの歌が聴けるなんて楽しみだわ」

 この方は上品なインテリとの、噂を聞いたことがあった。

 皆で歩いている時、後ろから少し賑やかな声がした。私が振り向くと、

「ねえねえ、私も今までカラオケに行く機会がなくて、あまりレパートリーを知らないの。だから先生とYさんと小松さんの三人で歌を聴かせてね」

 初めての場面に遭遇すると、過剰に反応するKさんだった。

「あなたも上手に歌えるじゃないの? いつもそのように言っているけれど、最後はマイクを離さないでしょ」

 ズバリ私が言うと、

「実はそうなのよね。アッハッハ」

 そうしているうちに五分くらいで目標のお店が見えた。駅近くの便利の良い場所にあり、私の家から三十分の距離だった。いかにも今風の可愛い店だった。

 先生がノックしながら、ドアを開けた。

「こんにちは、お邪魔します。よろしくお願いします」

 先生はデビューの頃からの、お馴染みさんだったと聞いたことがあった。

「先生お久しぶりです。今日は大勢で来て下さって本当に有難うございます。皆さん、ゆっくりと楽しんで下さいね。何でも言って下さい」

 にこやかな挨拶で緊張がほぐれた。彼はカウンター越しにテキパキとお茶の用意をした。なるほどプロになると、何でも自分一人でこなさないといけない。まだ誰も雇っていなので、まかないを全部やりながらお客さんの相手をする。

この店にたどり着くまでに、この歌手が「お坊ちゃま育ち」 ということを聞いていたが、苦労の覚悟はできていると感じた。大学卒業と同時に歌の勉強のため、アメリカに留学の経験をしたらしい。だからラテン系の歌が得意で上手いと聞く。

入店して十分位はコーヒーを飲みながら、世間話や冗談を言い合った。彼は緊張しているのか、顔が少し青ざめて見えた。付き出しの小さな皿に、お菓子を一杯盛ろうとした。

「有難う。そんなに沢山入れなくてもこれで十分よ」

 先生がにこやかに言った。

「いやー、昨晩お客様に誘われて遅くなり、まだボッーとしてごめんなさい。お菓子も沢山買ってあるので、ドンドン食べて下さいね」

 この日は特別にデザートをサービスしてくれた。

 私はこの時、親しみやすい庶民的な人だと感じた。

「おやつ良かったら摘まんで下さい」

「あーあー、正直すぎる! お菓子のことより、貴方の歌の方が聴きたいわ」

 皆もその言い方が可笑しくて、ドッと笑った。

「でもお客様から先に歌って下さい。その次に僕の歌を聴いて頂きますから」

 あくまでも謙虚で紳士的な笑顔だ。今までに数軒カラオケ店に行ったことがあったが、良い意味で何か雰囲気が違った。午前中のお客はほとんど主婦だと聞いた。おばさん相手の仕事に、生きがいを感じているのだろうか?

 目標はやっぱり一流歌手になり、有名人になることだろう。芸能界で有名になるにはその過程で沢山のお金が必要となる。だからしんどくても、自分の商売を繁盛させないといけない。彼なりに精一杯考えているのだ。特にこの業界は厳しくて、毎日が真剣勝負だ。

 この日は三時間も楽しい時間を堪能し、約束通り最後に彼の歌を聴かせて貰った。歌は確かに惚れ惚れするほど上手だった。プロ歌手だから当たり前といえばそれまでだが、その人となりが印象に残った。ランチの時にその話になったが、皆も早く有名歌手になってほしいと言っていた。

後日、私はカラオケ教室に行き、友人達と歌手の生活などを話し合った。この教室からも数名がプロの歌手になっている。プロになるだけあって確かに歌は上手だった。しかしながら今のところ、歌が上手だけではもう一つ人気が出ない厳しい業界だ。

 昔から一流歌手になるためには、色々な条件が揃わないと難しいと言われている。例え条件が揃っても、ラッキーなチャンスにめぐり合わないと達成できない。

 歌手として売り出すには、健康と容姿に恵まれ、尚且つ莫大な資金が不可欠という。

 聞くところによると、有名になるには一億円以上のお金が必要らしい。それでもまだ十分ではなく、後は本人の努力と、それを取り巻く企業とファン層の協力など、様々な分野に広がる。

 歌手を目指す人は、それを承知で日々葛藤しているのだ。私などには気の遠くなる未知の世界だ。

華やかに見えるが本当に大変な仕事だ。

歌手人生、苦労話さまざま……。

「平凡が一番幸せ」、かもしれない。