小松弘子のブログ

やさしいエッセー

河豚を食す

 今年二月に友人達と美味しいフグを食べることができた。人は自分の好きなものを食べると、なぜか幸せな気持ちになる。勿論その人により異なるかもしれないが、多くの人は幸せを実感できる。今回も友人にフグをご馳走になり、大変おいしい思いをさせてもらい、良かった。

初めてこのフグ店の暖簾をくぐったのは十年前だ。友人のお招きが無かったら、おそらく一生涯フグを食すことはなかっただろう。毎年、夏はハモ料理をご馳走になり、冬は決まってフグを頂いている。どちらも家庭では味わえない高級食材なので、いつも有難いと感謝している。

今夜も友人達五人で店に入った。特にこの季節はフグ料理の注文が多いそうだ。店はお客さんが一杯で繁盛しているみたいだった。

「いらっしゃいませ。毎度有難うございます」 

板前さんの威勢のいい声が小気味良かった。私達が店に入ると数人の客が「にっこり」と、笑顔でこちらを振り向いた。好物の料理が気に入っているのか、幸せな時間を楽しんでいるようだ。私達は予約をしていたので、すぐに座敷に通された。

その時、隣の部屋に運ばれている料理がチラッと目に入った。すぐにフグコースの最初に出される唐揚げだと気がついた。この時期はやっぱり私達と同じものを注文していた。同年輩の女性グループだった。遅めの新年会かもしれない。この後の料理は「ふぐの酢の物、ふぐ刺し、ふぐちり」があり、最後に出される雑炊がまたおいしい。

九州地方では昔から、フグは庶民に愛されていると新聞で見たことがある。以後、全国で一般に食されるようになったが、今でも 「鉄砲」 と呼ばれたりする。即ち 「当たると必ず死ぬ」 からだ。食べず嫌いの人はおおかた敬遠する。しかしながら一度でもフグ料理を食すると、大抵の人はその美味しさの虜になってしまう。全く不思議な魚だ。けれど調理方を間違えたら本当に怖い食材だ。

フグのことわざに 「ふぐは食いたし命は惜しし」というのがあり、私も友人に勧められるまでは、もっとも苦手な部類だった。フグだけは一生縁がない筈だった。ところが初めて箸を付けた時から、だんだんと好物になり、フグの季節が待ち遠しくさえ思うようになった。以前は友人が絶対に大丈夫だと言っても、半信半疑で口にするのをためらっていた。

その後、中毒の原因はフグの肝臓にあると知った。テトロドトキシンという毒を上手く取り除けば、何も怖がることはないらしい。今思えば珍味なのに、もっと若い頃に知っていたらと後悔している。

ある時、五人の中の一人が言った。

「養殖のフグは天然ものに比べると安全だよ。毒がほとんどないから大丈夫だ」

この人は友人の旦那さんが病気にかかり、長年にわたりお世話になっている医師だ。私達もたまに病院にかかることがあったので、以前から顔だけは知っていた。以前から患者さんに親切で評判が良いと聞いている。いつも明るくて気さくな先生なので、私達も気後れしないでお付き合いをさせてもらっている。

十八歳までマレーシアに住んでおられたが、その後日本で医者になった。結婚してから日本に帰化され、今も皮膚科の医者として頑張っておられる。とても頼もしい六十二歳だ。この先生は私達よりずっと日本のことを知っている。日本人の気質や地理は勿論、食生活など何でも熟知しているので驚かされる。

今年も会食の予定時刻に来られていなかった。お忙しいのだろうと思っているところに、

「やあ、遅れてごめん、ごめん。皆元気だったかな? フグは好物なので楽しみやなあ。皆とも半年ぶりに会えるしなあ」

 と言って、でんと大きなお尻をついた。

 また一段と太っている! 奥さんと社交ダンスの競技会に出場する前は、いつもダイエットをして少しスマートになっていたが、どうも今日はその限りでない。人のことは言えないが、大きなお腹だ。競技会はまだなのだろうか? 十年程前から夏と冬に会食で必ずお目にかかっているが、今年は出場を断念したのだろうか?

「先生、今年の社交ダンスの競技会はまだですか?」

 誰かが聞いたが、

「やあ、もう歳だからゆっくりするのも良いしね。アッハハ」

それ以上誰も聞かなかった。何年間かご夫婦のダンスの競技会を見に行ったことがあった。確かに奥様の方がスマートでダンスが上手い。ひょっとして先生の体型に不満があるのだろうか?

「まだ先生は六十二歳なのに、年寄りみたいに言わないで。私たちは皆七十歳を超えているのよ」 

と友人が言うと、

「ごめん、ごめん。そうゆう意味じゃないよ。アッハッハ」

いつお会いしても庶民的で、あっけらかんな面白い言葉が返ってくる。けれどひとたび大事な話になると、大きな目がキラリと光る。今日も笑った顔が、弘法大師の像にそっくりだったので、

「顔が弘法大師さんに益々似てきましたね。お医者さんは困った人を救うのだから、弘法大師と同じで本当に立派だわ」

思わず私が言うと、

「いやー、嬉しいね。時々似ていると言われるけれど。アッハッハ」

この時、友人の旦那さんが初めて言葉を発した。

「本当に先生は偉いお人やね。先生にはいつも感謝しています。有難うございます。ドンドン食べて下さいね」

「いつも大好物のフグをご馳走になり有難う。僕としては貴方がドンドン元気になってきたので、本当に嬉しいよ。いつまでも元気で長生きして下さい。こうして皆で一緒に食べると一層おいしいね。さあ、乾杯だ」

皆幸せな顔で料理をご馳走になった。今夜の五人そろっての会食は、この上なく楽しい時間だった。