信州の旅㈡
一日目のヒスイ海岸の見学を終え、遠くに残雪が光る妙高山の頂を眺めながら、新潟県に入った。山々の美しい景色は、飽きることなく続いた。
「こんな素晴らしいところで毎日暮らせたら、どんなにか幸せだろう」
そんなことを想っているうちに、午後四時頃に宿泊先のある湯沢町に到着した。
小さな民宿が何軒か見えた。今日のお宿だ。冬だとスキー客でにぎわうだろうと思っていたら、一組の若い夫婦が、
「こんにちは。まだ雪が残っているので、今からスキーに出かけます。よろしくね」
と先に挨拶をしてきた。
「へえー、五月になっても、まだ滑るところがあるのですね。私達は今日の朝、神戸から来ましたが、お二人はどちらから来られたのですか?」
「はい、静岡県からですが道が混んでいましてね。やっとのことで、今着いたのですよ。まだ一時間くらいスキーができそうなので楽しみにしているのです。神戸には昨年仕事で行ったことがありました」
「まあ、そうだったのですか。また神戸に立ち寄ってくださいね」
私達はやっとのことで宿につき、ホッとしたばかりだというのに、今からスキーに出かけるという若い二人に驚いた。あっけにとられてポカンとしているところに、宿の主人が顔を見せた。のんびりした口調で、いろいろとこのあたりのことを説明してくれた。
「今年は久しぶり雪が残っていて、この近くのゲレンデでまだスキーができるのですよ」
二階へ案内されたが、テレビがあるだけの部屋ばかりみたいだった。部屋は殺風景でいかにもスキー客用の作りだった。
「まあ、連休だから宿泊できるだけで有り難い」
宿についてから夕食までに二時間くらいあったので、まずは宿のお湯につかってみようと、小さな浴室へ行った。温泉のお湯はツルツルとして、疲れがとれそうに思った。効能の良さは言うまでもない。案内所でこのあたりの民宿は湯が豊富なので、どこの施設でも無料で入れると聞いたが、この宿に入浴できただけで満足だった。夕食の野菜料理は新鮮でおいしかった。
次の朝は湯沢町を散策した後に、旅のメインの「善光寺」を目指して出発した。善光寺は昔から「牛にひかれて善光寺参り」とか、「一生に一度は善光寺参り」と言われているくらい庶民の信仰が厚いお寺である。創建千四百年になると聞いたが初めての「善光寺」、どんなお寺だろう。
千曲川沿いに、満開の菜の花が何キロも植えられていた。松本市まで二十回以上も千曲川に架かる橋を渡ったはずなのに、また橋が見えてきた。
「さっき橋を渡ったばかりなのに、また橋を渡るのね。千曲川は幾重にも曲がって流れているから、千曲川の名前がついたのね」
長野県は山あり川ありの自然が多い。特にこの季節の花や木は良く育ち、緑一面の景色が広がって美しいと感じた。
川沿いの桜並木もちょうど見ごろを迎えていた。そうしている間に善光寺の案内板が、あちらこちらで目につくようになった。徐々に道路沿いは観光客と車であふれてきた。お寺参りの人の多さに驚いた。年間のお参りは六百万人以上らしい。
「わあ、さすがに有名な善光寺だわ」
数分後に運よく駐車場が見つかり、皆でお寺へと歩いた。この日は初夏のように暑く、少しの坂道も辛いと感じた。
「一生に一度の善光寺参りだから我慢しよう」
三十分以上は歩いただろうか? ふうふう言いながら顔をあげると正面に大きな門が見え、本尊にたどり着いた。お寺の境内は参拝をする大勢の人で賑わっていた。阿弥陀如来像近くで手を合わせた。
「やっと善光寺参りができ、有難うございました。また来られますように」
お賽銭を入れて、それだけを祈った。もっといろいろお祈りしたい、と思っていたが、慌ただしさに何も浮かばなかった。
つづく