パソコンから消えたエッセイ
八月末に購入したパソコンのエッセイが、数日で突然画面から消えてしまった。今までに使っていた私のパソコンが古くなり、時々愚痴をこぼしていたのを長男が聞いていたのだろうか? その長男がプレゼントくれた、思い入れの大事なパソコンだった。使用して二回目に、まさかのまさかでパソコンが故障したのだ。信じられないハプニングだった。
「嘘、そんな筈はない! 買ったばかりなのに。キーボードが軽くて使いやすかったし、エッセイがサッサと打てて相性が良かったものを・・・」
まさに青天の霹靂とはこのことだ。今までに息子が買った電気製品で、数日のうちに故障した試しはなかった。私は本当にガッカリだった。しかし、すぐに故障が直るかもしれない…。まあ息子が帰ったら電気店に連絡して直してもらおう。
初めは簡単に直るだろうと思っていたが…。
夕方帰宅した息子に、パソコンを購入した大型電気店に電話を入れてもらった。
「もしもし、買ったばかりのパソコンの故障で困っているのですが、なんとかなりませんか?」
私は店員さんとのやりとりが気になって、そば耳を立てていた。あくまでも店員さんの対応は丁寧でそうで納得した。ただある一つのことが気になってしょうがなかった。
それは今日、書きあがったエッセイのデーターが、そのままに引き出せるのかどうかという問題だった。
もし、駄目だったらと思うと居ても立っても居られなかった。夕方の気ぜわしい時間帯だった。息子と店員さんとの対話が、余計に長く感じられた。
私は息子に思い切って尋ねることにした。
「あのねえ、本当はパソコン本体のことよりも、データーが消えてしまうかが心配なの。そのことを早く尋ねてくれない?」
「お母さん、そんなに急がないで、今は相手と話をしているのだから静かにしてよ。一度店舗にて修理が可能かどうか、持ち込んで調べてみると言っているけれど。エッセイがそのまま残っているかどうかは今は何もわからないらしいよ。お母さんはそれでいいかな?」
「ちょっと待って! もう一度だけ大事なことを聞きたいので、電話を変ってくれるかしら」
と言って店員さんに、早口でデーターのことを聞いてみた。
「どうも、なにぶんパソコンのことなので見てみないと何とも言えませんね。今日入力したエッセイが残るのか、その件は大変難しいですね。引き出すのは無理かもしれません」
少しは同感をしてくれたようだが、あくまでも相手は冷静で、こちらの悩みはあまり感じていないようだった。
「ああ、そうなのですか。分かりました。商品を持ちかまないと、どうなっているのか分かりませんよね」
いつまでたっても慌て者の私の性格に、息子は笑っていた。それから五分位で、パソコンの修理の件の話は終わった。
「お母さん、残念だけれど入力したエッセイは、もう引き出されないことを覚悟してほしい、との返事だったよね。もう、諦めた方が良いかもね」
「エエッツ! 諦めるしかないの。暑いさなかに書いたエッセイなのよ。長い空白の末にやっと一カ月ぶりに仕上がったのよ」
「気持ちはわかるよ。本当に残念だと思うけれど、消えたものは仕方がないやん。また原稿を思い出して書くしかないな」
息子は静かに言った。
「ああ、そう。ごもっともな意見だけれど、もうエッセイは止めよ。しばらくショックで書けないと思うわ…」
本心だった。最近はいくら一生懸命書こうと思っていても、何かもやもやとした気持ちがあった。どこからの評価もあまりないし、コロナ禍のせいで、何か満たされない日が続いていたのも事実だった。
さて、消えたエッセイの題だけは覚えているが、話の中身ははっきり思い出せなかった。本当のところもうどうでも良い心境だった。やっぱりもう書けない…。もうこれでエッセイは終わりになるのだろうか?
そんな中、息子だけが時々励ましてくれていた。
「あのさあ、お母さんのエッセイのことだけれど、僕のパソコンでは、全国で何人が見てくれているかが分かるんだ。お母さんも毎日のデーターを見たら、キット面白いよ。一人だけの時もあるけれどさ。この間なんかは十人も見てくれていたよ」
「まあ、そうなの! 嬉しいこともあるのね。そういえば、このあいだ体操教室の先生とか、自治会のKさんと体操仲間のIさんは、いつも見てくれていると聞いたわ。本当に有難いと思っているわ。早速に見たいから方法を教えてね」
単純な私は思わず喜んだ。そして古いパソコンの画面を食い入るように、棒線グラフを見つめた。
「ちょっとだけ、コロナ禍のグラフに似ているわね」
息子と二人で笑った。この瞬間、不思議にエッセイを続けてみようと思った。
「お母さん、邪魔臭いと思うけれど、今回からはノートに書いて、出来上がってからパソコンに入力したらどうかなあ。ボケ防止に良いらしいよ」
「そうしてみるのもいいわね。考えてみるわね」
と答えたものの、未だに実行はしていない。まだまだパソコン後遺症は消えそうになかった。
つづく