小松弘子のブログ

やさしいエッセー

おばさんからおばあさんへ

 ある朝、突然目まいが私を襲った。初めは何が起こったのか分からなかった。その内にぐるぐると目が廻りだしたのだ。気分が悪くなり、とうとうその場にうずくまった。頭のかたすみでは直ぐ治るかとも思った。けれどもだんだん動悸が激しくなり、ひょっとしてこのまま死んでしまうかもしれないとも思った。同居している息子に「チョット、来て!」と叫んだ。

叫んだと言っても、意識がもうろうとして、声が出ていたかどうかは、わからない。朝だったので洗面所で偶然、母の異様な姿に気づいたのだろう。「どうした。大丈夫か」息子の声は聞こえたが、ただ返事をするのがやっとだった。

六十代後半になり、血圧が少し高く、内科に月に一度だけかかっていたことを知っている息子は、すぐ医者に連絡して少し落ち着いた。息子にかかえられ、車で三十分の医院に向かった。内科の医者の話では、この年齢になるとよく起きる症状で大した病気でもないらしい。そして耳鼻科へ行くことを勧められた。耳鼻科でも同じような説明で、薬を飲めば二、三日で治るらしいとのことだった。

これを境に私は、自分がもう若くないことを、イヤというほど思い知らされた。まだおばさんの年代と思っていたのに、いよいよ高齢の仲間いりなのだと。みんなこうして年を取ってゆくのだ。世間から、おばあさんという目で見られる女性になるのだ。今まで、無理して若作りをしていたのかもしれない。

十年前に夫を見送り、まだまだがんばらなくてはと、気だけは五十代のつもりだった。しかし、身体は正直だった。このまま自分は何もせず、この世から消えてゆく運命かと恐怖さえ覚えた。

おばさんからおばあさんへ……。決して他人には何も不思議に思わない当たり前のことだと、息子さえ思っているだろう。

自分には、まだまだやりたいことがある。世間から見れば、もうゆっくり楽しく過ごす事が倖せよと、言われるだろうけれど……。ただ、もう少し、いろんなことに挑戦したいと思っている。生きている限り、気持ちだけは若くしていたい。その為には、身体も鍛えて元気な年寄りでなければいけない。

長く生きたいとは思わないが、自分の夢は、叶えたい。例え、他人からは、しょうもない、小さな望みでも、夢に近づけたら幸せな人生だと思う。

とにかく人生やるしかない。やればできる、何事も、そういっていた自分の母の年令になったのだ。確かに、何事も努力と時間が解決してくれるかもしれない。母の口癖は、的を射ている。

おばあさんは強い。賢い。おばあさん、頑張れ! 死ぬまで、生きよう!

まだ、おばさんの友へ。今を一生懸命に生きなさい。おばさんと呼ばれている間に、自分のやりたい事を見つけ、それに向けて、必死に頑張ってほしい。身体が動く間に、夢を叶えて欲しい。老いはくるものだから、その前に出来るだけ前進してみて。

きっと、老後の後悔は小さくなるはずよ!

頭も身体も、いつまでも若いままじゃないことを。

さあ、気持ちは、おばさんのままで、頑張ろうっと。