小松弘子のブログ

やさしいエッセー

「関ヶ原」の旅

 八月も下旬に入ると毎日のように秋の国内旅行の新聞広告が目に入ってくる。どこか良いところがないかと探していたら、丁度「関ヶ原」バスツアーの日帰り旅行が見つかった。

以前から関ヶ原の合戦のことを知りたかったので、早速このツアーを申し込んだ。「関ヶ原」という題名の映画の公開があり、余計に興味を持っていた。

後日、送付されてきたパンフレットを見ると旅行の費用も格安で集合場所も近くで便利だし、おまけにお土産つきだった。旅行代金が割安なのに、あまりにも良いことずくめで目を疑った。一度は関ヶ原の土を踏んでみたいと思っていたので待ち遠しかった。

当日の集合が、自宅の近くの神戸市地下鉄学園都市駅だったので、関ヶ原へ二時間位で到着した。

一日中天気にめぐまれ、絶好の行楽日和だった。

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関ヶ原岐阜県

いよいよ天下分け目の合戦場へ来たのだと、興奮したのも束の間だった。周囲の古戦場だった場所は、工場らしき物や民家が点在していたため、広大な土地が狭く感じられた。若い頃に高速道路から見た景色と全く違い、当時の風情は何も無かった。ただ変わっていないのは、東西の山々と合戦に参加した石田三成の小さな陣地跡が残っているだけだった。

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 その当時を忍ばせる雰囲気だけでも、と辺りを見回したが、それらしき物が見つからず残念だった。

手近で格安な日帰り旅行につられて参加したが、特に一カ所あたりの見学時間が短すぎて、全部中途半端な旅で終わった感じだった。それでもバスから何度も降りて、お土産を買う時間はだけはたっぷりあったように思う。

バスの乗客は中高年がほとんどで、和やかな雰囲気の中で久しぶりに楽しめた。若い添乗員さんの流暢なお喋りで、最後までとても楽しく過ごせて良かった。

けれど帰宅してから、何か空しい気分で満足出来なかった。いったい何故なんだろうと考えた。今までに簡易な旅行は何回か経験したが、今回初めて満足のいかない旅になった。

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関ヶ原の旅を楽しみにしていたのに案の定、観光より土産物店を多く回る日程に終わったように思えた。こういう旅は、殆どが多かれ少なかれ土産物に集中される。若い頃はそれで充分満足していた。

「花より団子」の自分だったが、年のせいで少しものの見方が変わってきたのか? 嬉しいことに間違いはないが、物事を単純に素直に感じることが鈍くなったせいなのか?

 それとも今回の旅、関ヶ原について何も下調べもせず、知識の無いままに旅行に参加した自体が間違いだったのだろうか?

 戦国時代の関ヶ原といえば、まず一番思い浮かぶのは、東軍の徳川家康勢、西軍の石田三成勢。両者が、し烈な闘いに雌雄を決したという天下分け目の合戦があった場所だ。今も歴史上に残る名高い戦場の一つだ。

 昭和の終わり頃までは、もっと広々とした土地だったように思う。高速道路から何度か見た風景が懐かしく思い出された。通るたび、ここが関ヶ原だと感嘆したものだった。ところが、こんなにも周わりの自然が軽んじられ、破壊されているようで正直なところガッカリした。

 今、ブームに乗って観光地に活用するのだったら、それなりにもっと考えて欲しいと思った。最初に地元の人たちが、一カ所だけ名所案内をしてくれた。三成の陣地だった場所から一生懸命に見物客に説明をしてくれたが、背を向けての喋りであまり聞き取れなくて残念だった。この日は特に大勢の観光客でざわついていた。マイクで説明してくれなかったので、大半の観光客は何も分からなかったみたいだった。殆どの人は暑いせいもあり、説明も聞かずに立ち去った。

 それでも何人かは「関ヶ原」のことを知っていた為か、何回かうなずいていた。

 旅が終わって三日後、もう少し当時の戦国時代を知りたくて、一人で映画「関ヶ原」を見に行った。

 合戦に負けた西軍の石田三成をスポットに当てて制作した映画だった。戦国時代の全国制覇を狙って、悲喜こもごもの物語が展開された。東軍西軍それぞれの覇者の心の内がよく描かれている場面に心を奪われた。

 この合戦に加わった人数は二十万人を超えたと言われている。大規模な合戦だったが、千六百年九月十四日から十五日の二日間だけの戦闘だった。実質に合戦をまみえたのは、たったの五時間位だ。死傷者は大勢いたが本当の人数は三万人とも言われている。

 天下を掌握した豊臣秀吉徳川家康。失敗に終わった石田三成率いる西軍の武将達。戦国時代から多数の武者が、現れては消え行く運命を背負った。中でも天下取りの夢に敗れた石田三成の最期は、正々堂々として武士らしかった。見方によって三成は、当時の武将として、もっと早く自決の道を即選んだ方がカッコよかったと批判されるかもしれないが…

 三成は多くの戦国時代の武将達がもった野望に生きたのではなく、未来に自分の志を託したのかもしれない。日本の未来の平和を願って、敢えて最期まで命を永らえたのだろうか?

 せっかく「関ヶ原」の映画を観に行ったが、途中で一時間眠ってしまい、本当の映画のテーマは分からずじまいに終わった。

 

念願の関ヶ原の旅に行けただけで、今回の旅の目的は完了したと思う反面、もっとゆっくりと関ヶ原を散策したいと感じた。

 

 帰りに立ち寄った滋賀県米原市にある醒ヶ井宿(さめがい)は中山道61番目の宿場町で街道沿いに流れる地蔵川がとてもきれいだったので写真を付け加えておきたい。

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醒ヶ井宿街道を流れる地蔵川滋賀県