小松弘子のブログ

やさしいエッセー

鞆の浦、尾道、湯原温泉の旅㈡

一月三日の朝五時に神戸を出発した。まだ外は真っ暗である。空気は冷たいが気持ちの良い朝だった。 

 車は午前六時半に山陽道西行きのサービスエリア 『龍野西』 に着いた。 ここで早速名物の『卵かけごはん』 の朝食を頂くのが習慣になっている。

 ここの 『卵かけごはん』 は、シンプルだがいつ食べても確かに美味しい。しばらくの間、朝食は他に考えられないだろう。

 サービスエリアを出発して、ようやく七時すぎに日の出が見られた。ここから今回の旅の最初の目的地、広島県福山市鞆の浦に着いたのは午前十時頃だった。車を降りるとすぐ穏やかな瀬戸内海が広がる港町に着いた。お正月のせいか町全体が静かだ。カモメが飛び交う浜辺は、潮のにおいで一杯だった。久しぶりにのんびりとした空間を味わった。趣のある土産物店や、古い時代の燈台が、よき昔を偲ばせていた。

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鞆の浦広島県福山市

「へー、昔の漁港がまだ保存されているし、とても雰囲気があって良い町やなあ」

 息子はこの景色を逃すまいと、写真とビデオで必死に撮っていた。私と友人も初めてみる 『鞆の浦』 の景色に心を奪われた。どこを一つとっても、素敵な一枚の絵になっている。

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 かれこれ一時間くらい街を散策しながら、ついでにお土産物の海産物を買った。歴史のある小さな港町ではあったが、飽きないものが沢山あると感じた。

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 鞆の浦の少し西に、尾道市 『千光寺』 があると知り、見学したいと思った。しかしながら徒歩でお寺に辿りつくには幾つかの坂道があるらしい。私と友人は無理だと思い諦めた。お寺から戻ってきた息子に感想を聞いた。お寺の境内からは尾道市の全貌が見え、風光明媚なところだと聞かされた。ああ、私達二人は行けなくて残念だったけれど仕方ない。

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尾道市広島県

 さて今日の旅の最後は、しまなみ海道を乗り継ぎ、生口島にある 『耕三寺』 を訪れるのだ。このお寺は群馬県の有名な東照宮に似せて造られている。

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耕三寺

お寺の立派な門をくぐると、原色に彩られた壮大な建物が姿を現した。『西の日光東照宮』 と呼ばれるくらい、お寺の景観がそっくりで何とも美しい。全体の建物の色彩は、赤や黄色、青、緑が多く使われ、日本のお寺と比べると派手な印象だった。敷地面積も割合広くて見ごたえがあるので、お薦めしたいお寺だ。

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その隣に洋風の真っ白い塀が見えた。何だろうと不思議に思い行ってみた。何と見たこともない大理石で造られた沢山のオブジェや、真っ白な建物があった。全部イタリア産の大理石で造られているとのことだった。ここも少し変わったものが見られるので面白い。

時計を見ると、あっという間に午後三時を過ぎていた。もう出発しないと宿泊地到着が間に合わない。急いで岡山県に戻り、湯原温泉の 『米屋』 に向かった。お宿に着いたのは午後五時だったので、何とか間に合った。

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 3年前にも止まったお宿だ。以前は雪が積もり屋根に氷柱ができていたが、今回は暖冬で雪はなかった。

 「ごめんください」 フロントで声をかけたが誰もいない。繁忙期だから仕方がないが、後からのお客さんもブツブツと文句を言っていた。合理化の波がこの業種にも忍び寄っているのだろか? まあ時代の流れというか、半分諦めているが、このままで良いのだろうか?

 ようやく部屋に案内され30分ほど休憩後、待望の温泉に向かう。

前に来た時とは違っていて内湯、露天風呂はリニューアルされていて新しく開放的で気持ちがいい。いいお湯だ。心も身体も思いっきりリフレッシュできた。

 夕食の時間になり食堂に行った。満席で従業員の人がとても忙しそうだった。誰でも日々忙しすぎると、あまり物事を考えなくなり脳が退化するらしい。本当のことかも?…。

 夕食のお料理は品数も多すぎるほどで満足だった。どれ一つをとっても真心が感じられ、美味しいと思った。

 朝八時に旅館を出発した。

「さあ、今日はどこへ行こうか? 冬だというのに暖かいし、『蒜山高原』 はどうかな?」

 友人が提案したので、

「いいところよね。あそこのヨーグルトは美味しいね。そこに決めましょう」

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蒜山高原岡山県

 ということで、冬の 『蒜山高原』 に着き、美味しい空気を胸一杯吸った。

「その次は奥大山を見たいな」 

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山の奥に見える大山

 と皆の意見がまとったので出発した。遠くから見える雪の大山は、想像していた以上に迫力があり美しかった。途中何度か車を停め、写真を撮る。大山の絶景スポットへ向かおうとしたが雪のため通行禁止でたどり着けなかった。本当に残念だったが、近くに 『奥大山国民休暇村』 を見つけた。

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さすがにここまでくると建物の前庭に新雪が積もっていたので、雪を握りしめた。雪が見れるとは思っていなかったからここまで来れて良かった。ここはスキー場を併設しているようで、子供達が雪の上で楽しそうに遊んでいた。このとき孫達もここに連れてきたらきっと喜ぶだろうなと思いつつ、帰路に向けて車を進めた。

 

 

鞆の浦、尾道、湯原温泉の旅㈠

一月三日から息子と友人と三人で一泊二日の、広島県岡山県方面の旅に出かけた。 昨年の夏は皆の日程が上手くかみ合わず、結局のところ実現できなかった。

 そのためにこの半年を、もやもやとした気分のまま、せっかくの休暇をだらだらと無意味に過ごして、後悔する日々を過ごしていた。

 そこで今年は何とか、悔いを残さないような一年にしたい。お正月休暇を利用して、手軽に行ける旅にトライしようと思っていた。

 元日の朝、テレビの天気予報を見ると、晴れの日が五日間もつづくらしい。さあ、旅のチャンスがやって来た。

 お雑煮を食べ終えた息子が、部屋に来たので、

「今年のお正月は暖冬だし、天気も長く続きそうね。家でゴロゴロしていても、何か時間がもったいないわね。近場でどこかに旅に行ってみない?」

 と言って様子をうかがった。

「また、お母さんのいつもの癖が始まったな。でもその通りで、どこかに旅行したいな」

「本当にお正月の旅ができたら嬉しいわ!」

 私と同様、年末まで結構忙しくしていた息子の本音を聞いた気がした。

「のんびりと温泉につかりたいな。まだ行っていない近場が見つかったら一番良いけれど…」

 と言って、早速スマホで探がしてくれた。

「そうやなー。一泊となると東方面は、もう空きの宿がないかもしれない。もし宿が探せても値段が高いものしか残っていないだろう。そうなると兵庫県北部の城崎方面とか、岡山県広島県に限定されるけれど、それで良いかな?」

 結構、結構…。

「でも、岡山県方面は今までに随分見物したよね。同じ所の旅は、はっきり言って面白くないな」

 危うい、危うい…。

「そうよねー。その通り、お馴染みのところは飽きるよね。ちょっと待って。 『旅の本』 を探してくるわ」

 私は慌ててこっそり用意をしていた 『旅の本』 を息子に渡した。

「ウーン、どこを見てもパッとしないな!」

 そんなこと言わないでよ! 息子は半ばうんざりした面持ちだった。

しばらくして息子の明るい声がした。

「あっ、綺麗な景色の写真がある! 『鞆の浦』 と書いるページを見つけたよ。初めての場所だけれど、どうだろう?」

 しめ、しめ。作戦成功!

「わあ、写真を見たけれどすごく良い所みたいね。 『鞆の浦』 何といっても語感が素敵だわ。何か歴史を感じそうな風景が見えるわ」

「へえー。そうかなー? あまりそこのところは知らんわ」

 歴史にあまり興味のない素振りの返答だった。

「確かなことは忘れたけれど、まあどんなところか一度行ってみたいわ」

 とにかく息子に旅の実現の答えを期待するしかないのだ。

 結局いろいろ検討して、旅の初日は主に、 『鞆の浦』 と 『尾道方面』 へ決定した。

「あとはその日の行動次第で、予定を決めれば良いのじゃない?」

と息子に言うと、

「もう、お母さん…。いい加減なことを言わないでよ。きっちりどこへ行きたいのか決めないとだめだよ」

と少しむっとした顔になっていたので、

「ごめん、ごめん。やっぱりちゃんとした予定をしないとまずいわね」

と言うと、

「当たり前だよ!」

旅に行けなくなるとまずいので、すぐに話題を変えた。

「そうだ、友人のOさんに早く連絡をしないとね」

すぐに連絡を取ると、一緒に行きたいと言ってくれたのでほっとした。そのことを息子に伝えると、すぐにスマホで宿泊先を見つけてくれた。

つづく…

突然のこむら返りが治った!

 ある日の夕方、家でテレビを見ていた時だった。突然に左足のふくらはぎがつってしまった。

「痛い、ああ痛い! 」

 おもわず叫んだ。助けを欲しいと思ったがそばには誰もいない。こむら返りの痛みはだんだん強くなってきた。足首を逆方向に曲げてみても一向に治らない。

患部をさすると余計にいけないし…。

「どうしょう。このままだと痛みがますますひどくなり、歩けない状態になるかも…。 そうだ、早くあの特効薬を飲めばすぐに治るはずだ! 」

あの特効薬とは 「ツムラ芍薬甘草湯 68」である。以前お医者さんでもらったこの漢方薬は、飲んでから1分も経たないうちに、こむら返りが治るのだ。実際過去に友人の一人が突然足のこむら返りが起ときに、一包を服用しただけですぐに激痛が治ったことがあった。

「そうだ。あの薬を飲んだらこむら返りがすぐ直る」

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ツムラ芍薬甘草湯」シャクヤクカンゾウトウ(68)

 すぐさまこの薬 「ツムラの68」 を水で服用した。

「あらっ、見る見るうちに痛みがすーっと引いたわ。本当に良かった」

この時、改めて薬の効果を確信した。やはり何十秒かでこむら返りの痛みは嘘のように消えたのだ。 

 もしも突然のこむら返りの痛みに襲われることがあったら、ぜひお薦めしたい。

 このあいだも体操教室の人が、足の痙攣のような痛みで少しの間、休憩をしていた。 様子を見ていた先生がその人に声をかけられた。

「どうされたの、大丈夫ですか? ひょっとして足がつったのですか。そうだとしたら、良いお薬を持ち合わせたているのですが…」

 と言って、本人に尋ねていた。

「まあ心配をおかけしてすみませんね。実はね、この頃遠出をしたりすると、よく起こるのですよ。昨日も自分の歳を忘れて一日中歩きすぎたのです。ほって置いたら治ると思います」

 と言って左足のふくらはぎを、何回もさすっていた。

「でも痛みを我慢するより、このお薬を飲んだほうが良いと思うのですが…」

「有難うございます。いつもしばらくすると治ってしまうので大丈夫です。少し様子を見ますから」

 と答えるばかりで薬を飲もうとしなかった。

「皆さん、この『ツムラ芍薬甘草湯68』は、初め私の姉にもらったのですが、足などの痙攣が起こったときに飲んだら、すぐに効果があり助かったの。もしよかったら、見本にお渡しするわね」

 と言って何人かに配っていた。 以前に私も他の教室で、この先生から 『ツムラ芍薬甘草湯68』 を一包をもらっていた。半年ぐらいカバンに持ち歩いていたが、服用することはなかった。だが、その後に友人の突然の足のこむら返りに遭遇し、この薬に助けられた。後日、私もこむら返りを経験してから、この漢方薬を常時持つことにしている。

 若いときは、こむら返りなど薬に頼らなくても、いつのまにか治っていたものだ。ところが今は一刻も早く治した方が、後の痛みがなくて良いと思うようになった。

 そんなことを思い出していたとき、

「やっぱり薬を飲んでみるわ」

 と言って、先ほどの人が先生から手渡された薬を飲むのが見えた。するとどうでしょう? 

 効果はてきめん、1分ほどで元に戻られた。

「まあ、Kさん、治って良かったわね。さあ、一緒に体操しましょう」

「皆さん、心配してくれて有難う。とても楽になったみたいです。さあ、頑張るわ」

 と元気よく体操の仲間の中に入った。明るい声が教室を包んだ冬の一日だった。

チャリティーコンサートを見て

 男性演歌歌手Aさんのコンサートが、日曜日に垂水区役所内のホールで開かれた。歌手のAさんを含め、ゲスト四人のチャリティーコンサートだ。Aさんの歌手の芸歴は、いわゆる「流し」の時代を含めて約五十年だという。この歌手の芸歴はあまり知らなかったが、あらためてその長さに感慨を覚えた。一口に五十年というけれど、艱難辛苦の多さを想うと、歌手人生も大変だとしみじみ思う。

ゲスト出演の女性歌手Bさんは、以前に同じ歌の教室に通っていたので、お互いに顔は知っている。今から十五年位前だが、発表会で聴いた彼女の声は、ところどころに特徴があるのを覚えている。Bさんは皆と違い、初めから歌手を目指していたらしい。

同じ教室で出会う以前から、歌のレッスンを何十年か続けたことも、六年前に知った。そのうちチャンスがめぐってきて、五年後に念願のプロ歌手になった。その後、彼女は教室を去り華やかにデビューした。何度か劇場で歌っているのを見たことあったが、まだ若かったのではつらつとした印象だった。

あれから六年経って、久しぶりに彼女の歌を聴くことになり、歌手としての成長ぶりが楽しみだった。

ステージの幕が開くと、ライトに照らし出されたBさんが微笑んで立っていた。黒っぽい衣装が淋し気に見えた。歌は上手いから、もっと堂々と歌うほうが良いのにと感じた。しかしながらやはりプロ歌手と、趣味で歌っている私達とは違うものを感じた。

私は隣席のYさんに話しかけた。

「実はね、Bさんのこと、私も気になっていたのよ。勿論、歌はうまいけれど、それだけではこの世界で生きてゆけないのよね。どうも観客はメインのAさんの歌を待っているみたいね。彼女は笑顔で歌っているけれど、作曲家に良い歌をもらえるように祈るわ」

 もう一人が言った。

「早くヒット曲に出会えたらいいのにね」

 同席した仲間たちの思いが同じだった。優しい人達ばかりで安心した。

 次に登場した若い男性歌手も神戸市出身であった。この人はYさんを通じて、彼のお店でときどき歌を聴かせてもらっている。すごく良い声で歌もうまい。

まだヒット曲に恵まれずに、飛ばず鳴かずで残念だ。

その後に、もう一人の女性演歌歌手が登場した。この人は九州出身だが、神戸で歌手になったという。もう歌手の中ではベテランでヒット曲もあり、初めて見たが、歌以外にいろんな芸を持ち合わせていると思った。

歌手はいろいろな芸事や、お客とのトークもできないと魅力的になれないのかもしれない。

Bさん言う星が、まだ目立たないのは、歌以外の何かが少し不足しているのかもしれない。

さて、一時間半後、三人の前座の歌が全部終わった。会場は一瞬静まったが、どこからともなく大きな拍手が沸き起こってきた。

同時にメイン歌手のAさんが舞台に現れると、どよめきにも似た声援が響いた。さすがに有名な歌手になると、会場がいっぺんに華やかになった。結構狭いホールだったが、中高年の女性客で一杯だった。時折 「Aさん、可愛いー」などと、黄色い声援が聞こえた。観客はどっと笑いの渦に包まれ盛り上がった。

その声に六十代後半のAさんも驚いたが、愛そうよく声援にこたえて手を振っていた。以前、友人から聞いたのだけれど、「芸能人はいつも笑顔を絶やさず、草の根にも頭を下げるぐらいの根性でないとだめだ」と、聞いたことがあった。とにかく平凡な世界でない。

今日のAさんをはじめ、有名人はたいていキッチリと心得ているみたいだ。Aさんは派手な印象はないが、他のゲストに比べるとやはりオーラがあった。

一時間余りの歌とお喋りは、面白くて退屈しなかった。最後のステージは全員で歌いながら幕になった。司会者が来年のチャリティーコンサートを紹介したが、すぐに完売になるという。

このコンサートは神戸の震災後、何年かたって神戸市が協賛で運営されているらしい。入場料が安く、市民に人気があると聞いた。

 

龍神温泉をめざして㈠

 もうすぐ梅雨に入りそうな時期なのに、今朝もまだ青空が広がっていた。こんなにも良い天気だと家に居るのがもったいない。今日、できれば入梅の前に和歌山県紀の川方面へ行きたいと思った。というのも、このあいだ三回目の四国八十ハ所巡りが終わり、総本山である高野山参りを済ませなければならなかったからである。また秘湯と言われる龍神温泉にも、ぜひ足を延ばしたいと考えていた。

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龍神温泉

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和歌山県にある龍神温泉は、神戸市から一六〇キロ以上離れている。到着するまで四時間以上かかる。和歌山県の中でも特に山深い秘境の地にあり、日本昔話にも登場するくらい歴史が古い。

朝からそんなことを考えていたが、朝食が終わるや否や、私は息子に言った。

「あのー。今から和歌山県龍神温泉に行きたいのだけれど……。連れていってくれないかしら」

「えっえー、今から高野山だけじゃなく龍神温泉まで行くの? 高野山は今回の四国参りの最後のお参りだから仕方ないけれど、龍神温泉までは遠すぎるよ!」

 息子はあきれ顔で、私の顔を見た。

「実はね、昨日一日中雑草取りとか、木の枝を切ったりしたのよ。そうしたら夜中から腕と肩がとても痛くなってね。痛みが軽いうちに治さないと困るしね……」

「やっぱり無茶したんやな。来週の休みに僕が手伝おうと思っていたのに。もう年なのだから無理は禁物だよ」

「植木屋さんに頼むほどでもないし、節約しないとね」

 もっともらしい言い訳を並べたが、息子は取り合わなかった。

龍神温泉まで遠いので、運転が大変なことは承知だ。が今チャンスを逃したら、楽しみにしている明日の体操教室に行けなくなるのが残念だった。果たして温泉に行くだけで治らないかもしれないが……。

思案顔の息子が言った。

「ウーン、まあ疲れるけれど仕方がないな。高野山から龍神温泉まで行くよ」

 その息子の一声で、私は有難かった。

「有難う。本当に助かったわ。今年初めての龍神温泉行きになるわね」

 さっそく友人のOさんに連絡すると、気持ちよく引き受けてくれたので、三人で自宅を出発した。

 名神高速湾岸線を利用し、泉南方面を抜け和歌山道に入った。和歌山県はまだ自然の景色が守られている。うっそうと茂った山が多く、渓谷に流れる川の水が澄んで美しかった。山の標高は約八百メートルとあまり高くないが、緑一色の景色が続いていた。

 私は山の空気を味わいたいと、車の窓を少し開けた。山々の爽やかな風と共に、緑の香りがサーと入ってきた。何とも言えない良い香りだった。瞬間に夏の暑さが不思議に涼しく感じられ、いつの間にか肩の痛みを忘れていた。

和歌山市に入って一時間くらい走ると、新しくできた高速道路沿いの「かつらぎ西」インターチェンジに着いた。「かつらぎ西」から少し南に行くと、いつも立ち寄る「道の駅」に出る。ご当地の自慢の野菜や果物が豊富に並べられ、観光客で賑わっていた。私達もここで休憩をとった。

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道の駅 紀ノ川万葉の里(和歌山県

この「道の駅」のそばを流れる川こそが、和歌山県を代表する「紀の川」である。ゆったりと東西に流れる紀の川雄大で、最後は大阪湾にそそぐ一級河川だ。小説や歌の中にも多く登場していると聞く。その紀の川沿いには、遠くの高野山が眺められる絶景が広がる。公園には長い運転で疲れた体と心をいたわるかのように、季節の花が植えられて、ほっと一息させられる。

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紀ノ川(和歌山県

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道の駅 ごまさんスカイタワーからの眺め(高野龍神スカイライン


「道の駅」で季節のモモなどの買い物を終えてから、高野山奥の院へ向かった。途中の道路はくねくねとカーブの連続だ。頂上近くになると、ヒヤッと空気が冷たくなった。標高は七百メートルを超えているので、温度は三度くらい低かった。

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高野山 奥の院

しばらく走っていると、「ビューン」、「ビューン」、ごう音と共に、オートバイ数台が追い抜いていった。対向車線からはカーブにさしかかるたびに、スピードをだしたままのオートバイとすれちがった。「危ない!」、私は幾度となく心の中で叫んだ。中にはスピードを楽しむためだけのオートバイも見かけた。ツーリングはどうもこの季節が一番多いらしい。

 ふと二年前の年末にこの辺りで、車や単車が雪でスリップして、横転していたのを思い出した。

「危ないよ。もっと慎重に運転して!」

わがもの顔に走る単車が憎らしくなった。いったいどんな人が運転しているのか? 以前に知人で単車の愛好家の話を聞いたことがあった。その人が言うには、「単車に乗っている間は、とても痛快で何もかも忘れるくらい楽しい」とも。

その気持ちは分からぬでもないが、事故に遭遇すると大変だ。今回も偶然に対向車線の乗用車に接触しているのを目撃した。お互いに怪我はなかったようだが、白い車のドア二枚が破損していた

やはりこの程度の事故は多そうだ。ご用心、ご用心。

 二十分位走ったのち標高の一番高いところで、休憩をとることにした。その時、窓から見覚えのある派手な色のオートバイが見えた。

「あれー、さっき追い抜いたオートバイだわ!」

 頂上付近の駐車場になん二十数台が、平然と停まっているではないか。私は休憩所に行く振りをして、運転手の顔をそっと見て歩いた。若者ばかりだと思っていたが、意外にも中年世代が多く、壮年以上らしき男性十人くらいがいるのには驚いた。皆楽しそうな表情で話に花を咲かせていた。

 普段はじっくりと大型の単車を見る機会がない。興味本位にゆっくり眺めることにした。どれもこれも原色の派手な模様が多かった。今まではいくら上等な単車でも、都会の中ではあまり気にしていなかった。しかしながら山の頂上で見ると、ひときわ人目を引いている。よく見ると、なかなかの良いデザインを施しているのが多い。愛好家と呼ばれるだけあって、どれも見事に手入れされて素晴らしい。

 息子に聞いたが、一台あたり二百万円くらいするものが多いらしい。ハーレーとかになると、五百万円以上だと知り、驚いた。

「オートバイがよほど好きなのだなー」

 この先、ともに事故のないことを祈りながら、高野山から龍神温泉に向かって車を走らせた。

 

信州の旅㈣

 明日は信州の旅の最終日。さて、今日の民宿はどんな所にあるのだろうか、運転中の息子に尋ねた。

「もうすぐ諏訪湖が見えてくるよ。その近くにある民宿だよ。諏訪湖畔の宿だから、お風呂もあると思うけど」

 私はお風呂の有無など忘れていた。

「今さっき入ってきたばかりだから、気にしなくても大丈夫よ。そのことより初めての諏訪湖の方が楽しみよ」

 車窓からは夕焼けと共に、まわりの風景がくっきりと見えだした。夕暮れの湖畔は素敵だろうな…。もうすぐ諏訪湖が見えてくると思うと、嬉しくて落ち着かなかった。

その時、諏訪湖の景色が目に入った。少しずつ湖が鮮明に見えだした。

「わー、これが諏訪湖なのね。思っていたより大きくてとても美しいわ」

何年か前のスイス旅行での、レマン湖を思い出させた。あの時は有名なレマン湖畔あたりに泊まりたかったが、ツアーの値段が高すぎて諦めせざるを得なかったのだ。今回は国内の湖だが、決してレマン湖に負けないくらいの美しさに感じた。湖畔近くに泊まれることが一番良かった。

 湖畔をほぼ一周したところに、ボートを何隻か泊めてある、小さな民宿この民宿に着くと、ここの家族は早めの夕食をとっていた。

「いらっしゃいませ。夕食は七時になっています。お風呂は地下にありますので」

「わかりました。よろしくお願いします」

 お決まりの挨拶を交わし、奥さんらしい人が二階の部屋へ案内してくれた。私達のほかに三組が泊まれる作りだった。さっそく部屋の窓から外を見た。夕暮れの諏訪湖全体が姿を現した。

「わあー、ここから湖の素敵な景色が見られますね」

私は嬉しくて、つい声が出てしまった。

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諏訪湖(長野県)

「はい、湖に夕陽が沈むまで見られるので、お客さんに喜ばれています。民宿として改装したところ、毎年すぐに予約でいっぱいになります」

 温かい家族的な雰囲気で人気があるのだろう。

 次の朝、早く目が覚めたので湖のほとりを、ゆったりとした気分で散策した。水は豊富でカモなどが呑気そうに遊んでいた。

 朝から天気は上々だ。朝食を済ませて車に乗り込んだ。息子の説明では、ここから松本駅まで戻り、そこから高速道路を利用して上高地に向かうらしい。

上高地は今までに八回くらい旅行したことがあった。季節を問わず飽きない土地柄である。見覚えのある風景が次々に現れては通り過ぎていった。

しばらくして車から現地の観光バスに乗り換えた。十五分くらい経つと、左手に高い山が見えてきた。

「あの山はきっと焼岳だわ。よく見ると、かすかに煙が見えたもの」

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上高地(長野県)

 ビデオを撮っていた息子は、私の声が良く聞こえなかったのか、首をかしげていた。

焼岳を横目に見ながら、二十分くらいで大正池に着いた。バスの乗客と一緒に、久々の大正池を眺めた。

「いつ見ても素晴らしい景色ね」

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そんな会話があちらこちらで聞こえた。何年か前に訪れた時の記憶がよみがえった。今年も上高地を旅行できて嬉しかったが、ここから先の河童橋までは一時間ほど歩かなければならなのだ。私は普段あまり歩いていないので足が痛かった。皆に遅れながらついていくのが精一杯だった。

上高地は緑が綺麗で、いつ来ても素晴らしいところね。何といっても空気が美味しいわ」

「本当にそう思うよ。今回初めて雪が残っている穂高の山々が見られて、本当に良かった。大正池梓川も綺麗だし、上高地はまさに日本の絶景ともいえるところやなあ」

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 息子の言葉はピッタリだった。河童橋付近はやはり大勢の観光客でにぎわっていた。私は水のきれいな梓川の川べりを散策しようと、橋の階段にしゃがんだ。その時、後ろからきた息子達が階段をポンと飛び越えて走っていった。つい真似しようかと考えたが、今までに何度も失敗したことがあったのでやめた。

「みんなー、ちょっと待ってよ! もっとゆっくり進んで。転びそうだし、迷子になりそうだわ」

 この思いは誰にも通じない。誰にも分かってもらえない。

 皆は私を残してドンドンと足早に梓川の中洲へ向かった。そのうちに皆の姿を見失った。

「もう、皆は薄情だわね」

私はブツブツ独り言を言いながら河原へ降りた。さっさとついて行けない自分に腹が立った。息子達の気持ちも分からないではないが、こんな素晴らしい景色を目にすると、たいていは我を忘れてしまう。昔の自分のように……。

 あーあー、足を鍛えて、いつかまた上高地に行けるように頑張るのみだ。

信州の旅㈢

 旅の二日目の午前中に、念願の長野県の善光寺参りを終えることができた。

さて今から諏訪湖畔にある民宿に向かって、車を走らせるのだ。旅も二日目になると民宿の良さがわかり、泊まるのが楽しみになってきた。車窓からは雪をかぶった連峰と田園地帯が広がり、日本の独特な風景画を見ているようだった。緑のそよ風と共に良い香りが一面に漂い、自然の恵みの素晴らしさを感じた。

しばらく走っていると、山の中腹に一軒の瀟洒な建物が現れた。何の建物だろうと思い、運転をしている息子に聞いた。

「あの建物は何なの? ずいぶんと静かな場所に一軒だけあるのね」

 すると息子は、

日帰り温泉だけでも可能で露天風呂でも有名な松仙閣という旅館だよ。もしも今日泊まる民宿にお風呂がなかったら困るのでね。せめて温泉気分だけでも、とネットで探したのだよ」

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温泉旅館「松仙閣」

 親のためにそこまで考えてくれていたのだ。説明通りゆったりとした旅館だ。すぐに温泉旅館の支配人が出迎えてくれた。

「あのー。日帰り入浴だけでもいいのですか?」

 私は心配になって係の人に聞いた。

「ハイ、大丈夫ですよ。ここのお湯は珍しく蛇口の水も温泉ですよ。ゆっくり温泉を楽しんでください」

 係の人が親切な口調で、広い廊下の向こうにある湯殿を案内してくれた。

「一見小さな建物に見えたけれど、随分と奥行きがあり、何といっても上品な旅館ね」

と私が息子に言うと、

「そう思うだろう。本当はこの旅館を見つけた時、絶対に泊まりたいと思ったが、連休だから全然部屋が空いていなくてね」

「本当に残念だったわね。またいつか来られたらいいね」

 大浴場で温泉気分を楽しむことができた。雰囲気が良い名旅館だったが、時間がないのですぐに温泉を後にした。途中の茶臼山の頂上から松本市が一望できた。この付近の山道はりんご畑が続いていた。

「ちょっと車を停めてくれない。りんごの花を見るのは初めてなので、もっとゆっくり眺めたいわ」

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車から降りてどこまでも広がるリンゴ畑を見渡した。青空の下のリンゴの花はとても綺麗だった。手にとってよく見ると、桜と同じで五枚の花弁だった。真っ白に近かったが、うすいピンクの花びらが混ざっていた。誰かが美空ひばりの「リンゴ追分」を思い出したのか、気持ちよさそうに歌っていた。

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「あの映画は確か青森の話だよ」と、私は言いそうになったが、グッとこらえた。まあ、よく似た風景だから無理もない。秋になったら赤い実が沢山ついて、見事な景色になるだろう。一度だけでもその光景に酔いしれていたいと思った。

それから少し走っていると、りんごの集荷場を見かけた。店先で沢山のりんごを販売していた。

「ちょっと待って。ここでりんごが買えそうよ」

 車を止めて、皆でリンゴの試食をした。

「いつものものよりも、このりんごの方がだんぜん甘くて、すごくおいしいと思うから買って帰ろうね」

 どうも関西のスーパーでは年中青森県産しか販売していないようなので、珍しい長野県産のりんごを買うことにした。

「少しだけでいいよ。車の荷台がもう一杯だから」

「でも長野県までりんごだけを買いに来ることはないだろうから、少しだけなんて残念だわ」

 と私が言うと、息子がインターネットで注文が可能だよ、と教えてくれたので安堵した。今秋は絶対に長野県産のりんごを沢山味わいたいものだ。

 皆でりんごを食べている時、ふと四十年くらい前に亡き夫と信州へ旅したことを思い出した。

「ああ、そうだなあ。バケツに冷やしたりんごを二人で食べながら、上高地を散策したなあ。あの時のりんごもシャリシャリして美味しかった」

信州の旅、三日目の明日の朝は上高地を散策するのだ。懐かしいなー。

つづく